2008年02月29日

大学生の就職活動についての考察



上のニュースはこれまで書いたクルドの話の続報。トルコは本気のようです。アメリカが止めても聞かないとは。拠点を追われたクルド人はおそらく南に逃げることになる。つまりはイラクの中央部に向かって武装したクルド人がなだれ込んでくる。こうなれば治安の混乱は避けられない。アフガニスタンで敗走したタリバン残党が国内各地で略奪などを行っていたのと同じような構図でしょうか。イラクの保護者・アメリカとしては避けたいところ。わしはトルコのことも好きなんですがねえ。なんだかねえ。

ところ変わってここ日本。だんだんと日差しも暖かくなってきて、春の訪れが待ち遠しい今日この頃です。街行く人はまだ黒っぽいコート姿が目立ちますが、そのうち服装も春めいてきて、一気に心躍る季節がやってくるのでしょうかね。

もはやこの季節の風物詩ですが、駅前なんかを歩いていると、リクルートスーツ姿の学生を良く見かけます。「売り手市場」なんて言われていますが、まあどの年だろうと当事者にとっては、慣れないことばかりで緊張と疲労の連続でしょう。がんばってほしいと思います。

で、気になったのが2月23日付けの日経新聞「春秋」(以下引用)。

「ロビーでの着替えはご遠慮ください」。そんな呼びかけを張り出すべきか悩む会社があるという。相手は就職活動中の学生。会社訪問は私服で、とする企業が増えた。指示なしならスーツだ。複数企業をはしごするため志望先の玄関で着替える学生が現れた。最新の大学生事情に詳しい評論家の石渡嶺司氏が「最高学府はバカだらけ」で紹介するエピソードだ。自宅などで準備すべき志望書を受付脇やビルの前に座り込んで書く学生も多く、記入用の部屋を用意した企業もある。

もし就職活動中の大学生でこの「隠れキリシタン」を読んでいるという奇特な人がいたらぜひ教えていただきたいのですが、これって本当のことなんでしょうかね…?

会社のビルに入る前に、ガラスのドアに自分を映してネクタイを締め直す、なんて微笑ましい光景は良く見た気がするけど、さすがに着替えたり書類をその場で書いたりというのは見たことがない。KYなんて言葉が話題になったにもかかわらず、逆にKYな学生が増えてしまっている状況とは。そのうち「学生の品格」なんて本が出されるんじゃないかね。まあそういうところで学生を甘やかしている企業も企業。ぬるい関係に立たなければ、「売れっ子」たちは他社に流れていってしまうということなのかしら。

ちなみに自分の体験を語りますと、OB訪問にやってきた学生で、約束の時間を10分過ぎたころに電話があり「30分遅れる」というので待っていたら、結局一時間近く遅れてやってきた子がいました。それだけならまだ良いんですが、うちの社の会社案内を封筒に入った状態で持ってきて、わしの目の前で初めてそれを開けて「ああこんなことが書いてあるのか」と。さすがにわしも呆れ果てて、これは本人のためにもちょっときつく言ったほうがよいと思って注意をしたら、泣かせてしまいました(笑)。あれは一生に一度の経験だろうなあ…。

こういうのって、結局は相手からどう見られるか・思われるかの想像力に尽きるのでしょうか。そういうわしもまだまだですが。俺の感覚からすると、ネット時代に生きる若者のほうが、空気を読む力は長けていると思うんだけどねえ。

さて、ちょっと話は変わって。就職活動に関して、よく志望者の多い人気企業ランキングなるものが新聞やらテレビやらに出ているじゃないですか。商社やらテレビ局やら大手の企業ばかりが名を連ねているあの順位表。あれはいったいなんのために報道されているのかね。今年の志望の状況を世の中に伝えているというニュース的な面はあるものの、それ以上にマイナスの効果が大きいように思える。学生の目を大きくて強い企業にだけ向けさせてしまうし、そういう人気の企業に内定をもらえたから「偉い・優れている」という錯覚を起こさせてしまう元にもなる。

なかなか光が当たらないけれど、実はこんなに素敵な企業・素敵な職場があるんですということを伝えることが、この場合の報道の役目なのではないかと思います。大きい企業の良さを伝えるより、小さい企業の良さを見つけ出して伝えることって、きっと難易度も高いし、その分やりがいもあることだと思うんですがねえ。

とまあ、今回はぬるーい文章ですが、こんな感じで失礼します。
posted by サイダー at 20:49| Comment(8) | TrackBack(2) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

新銀行東京についての考察



韓国では新しい大統領が就任。政治を企業経営に例えて再生の構想を打ち出しています。その韓国が大嫌いな「あの人」はと言えば、企業経営がうまくいっていないせいで批判を浴びております。ただしこちらは例えではなく、本当に本当の企業経営なわけですが。

新銀行東京、400億の追加融資案を発表して以降、こぞってマスコミが叩き始めました。読売が26日朝刊の社説で、「もう手を引くときだ」って言っているのがすごい。

報道を中心にいろいろな意見を見ていると、新銀行東京の経営責任と、新銀行の構想を打ち出した石原都知事の設立責任とが混在している状況である。最近は行内の営業方法やリスク管理の甘さが明るみに出てきて、設立責任から経営責任へとシフトしているようで。

個人的にはそれはまともな話で、逆に今さら石原都知事の設立責任を言い出すのはおかしいような気がする。この間行われた都知事選挙では、一応争点の一つとして新銀行東京の問題が挙げられていた。その時既に預かり資産が3割減ったとか、とんでもないことになっていたわけである。これは石原都知事にも大きな責任があるなと思い、俺は対抗馬だった浅野氏に一票投じた。これは、そんなに昔の話ではない。

隠されていたとんでもない事実がいきなり明るみに出たというのであれば、石原都知事をこのタイミングで責めることも分かる。けれど、選挙のときにこの銀行の問題が争点として提示されており、しかも都のカネがやがて救済のために注ぎこまれることも明らかであったにもかかわらず、彼を知事に選んだのは東京都民である。今さらいちいち意見を変える有権者って、どうだろうね。覚悟がない。

で、経営責任がいろいろ言われているという話。まあ銀行も大変な商売ですな。ひと昔前は「貸し渋り」「貸しはがし」なんて言われて責められるかと思えば、今度は「簡単に(リスク管理が甘く)貸しすぎ」だと言われて…。まあ顧客の預金を守るのが本筋ですから、どちらかというと貸し渋っているくらいがちょうど良いのかね。

ちなみに個人的な新銀行東京のイメージは、ひどく悪いです。というのは、都営地下鉄の薄暗い構内の、さらに人通りのない一画にぽつんとATMが置いてあってですね、物凄くさびしいイメージなんですよ。しかも誰かが使っているところを見たことがない…。あれは明らかにマイナス効果ですよ。ほんとに怖いくらいさびしいんだもの。

そして、根本的に勉強不足なのですが、新銀行東京と東京都民銀行って、何が違うんでしょうか…。あ、後者が純粋な私企業なのか…。いやはや。
posted by サイダー at 05:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月26日

クルド、世界に否定された民族



21日の記事にコソボのことを書きました。その時に、同じく独立を目指す民族としてクルド人たちがいるということを書いた。そしたらたまたま、こういう動きがあったので、ちょっとだけ触れておきます。

「クルド人労働者党」と訳されているKPPは、まあクルド人国家設立に燃える武装集団です。トルコがイラクの国境を越えて掃討作戦を展開しているということは、組織のアジトがそういう辺境の山奥にあるということと、もともとクルド人がそういうところにしか住まわせてもらえなかったという両方の意味があります。

非合法とか反政府とか物騒な名前がついて紹介されているのは、トルコ人が彼らの存在を認めようとしないので、まあ当たり前の話であります。上の記事もトルコ寄りでございますでしょ。

かたや自治区(今は主権国家?)のコソボ、かたや非合法武装勢力という「ならず者」扱いのクルド。セルビアが反対すれば欧米が擁護するコソボと、トルコ軍が国境越えて本気で殺しに来てもアメリカがそれを黙認するクルド。

どちらも長きに渡って体制側による弾圧を受け、民族独立を求め続けてきた歴史を持っているにもかかわらず、こうも扱いが違う。欧米列強にとって都合の良いコマか、そうでないかが運命の分かれ目。それを決める大きな要素は地理的な問題(どの国とどの国にはさまれているか、資源はあるか)であります。

日本も、戦後欧米列強にとって非常に都合の良いコマだったから生かしてもらうことができ、それによって今の繁栄があるわけですな。そう考えると、彼岸の出来事もだんだん他人事とは思えなくなってくる…というのはちょっと無理矢理過ぎでしょうかね(笑)
posted by サイダー at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月21日

コソボ、与えられた独立



コソボ自治州がセルビアから独立することを決めました。今はイージス艦が漁船に衝突した事件が大きく取り沙汰されていますが、こっちも非常に大きな問題。それにしても餃子事件、コソボ独立、イージス艦事件と、アーレイ・バーク級の事件がこうも立て続けに起こるとは。今のはちょっとマニアックすぎるかね。

コソボの問題については、現在はどちらかと言えばコソボ寄りの報道がなされています。けれどまあほとんどが事実報道に近い。国内のことをあれこれいうのは得意なのに、こういうセンシティブな問題のときだけ態度を明確にしないのは日本のマスコミの悪いところですね。

セルビアはもちろん独立を認めない姿勢を貫いていますが、さすがに旧ユーゴスラビア時代に世界からめちゃくちゃに非難されたことが教訓になっているのか、真っ先に「軍事的な手段は用いない」旨表明した。これがアンチ・セルビアのトーンがそこまで鋭くなっていない理由でしょうね。ちなみに英語の教科書にも出てくるくらい有名な「民族浄化」という言葉は、かつて旧ユーゴを悪者に仕立てあげるべく、アメリカのPR会社が作った造語です。

客観的に見ると、どうもコソボの人たちが哀れに感じてしまう。アメリカやロシア、EUと、大国のパワー・ゲームに翻弄されているようにしか思えないからです。このタイミングでのEUの「保護下」での独立。EUにそそのかされたようにしか思えない。狙いは当然ロシア。エネルギー資源を武器に近年飛躍的に経済成長を続け、かつての影響力を取り戻しつつあるロシア。領域内に民族問題を抱えるロシアにとって、コソボの独立は国内の不平分子を活気付かせる悪材料となる。外部から揺さぶりをかけて、勢いづくロシアの足止めをする欧米陣営の意図があると思います。

コソボ「国内」の状態にしたって、国家として独立はできても、経済的な独立ができるようには思えない。当然欧米の支援を受けることになる。これもまあ正義の使者気取りで世界的な印象を良くしながら、バルカン半島でのEUの影響力を強めよう(ロシアの影響力を殺ごう)という意図があるのだろう。

そんなわけで、セルビアの一部であった時よりも明らかに経済状態が悪化するにもかかわらず、「EUから、別の目的を果たすために与えられた」独立を目の前にして喜んでいるコソボのアルバニア人が、哀れで哀れで仕方がない。だからと言って別に独立するなというわけではない。苦難の歴史を歩んできた彼らの目には、それほど民族の独立は尊く映るのであろう。日本人が想像しているより1億倍くらいは。彼らにはきっと覚悟と希望がある。それが客観的に距離を置いてみれば、とても悲しく見えてしまうという、それだけの話だ。

個人的には、彼らにがんばってほしい。できれば、欧米を脅かすくらいの大国になって「恩返し」してほしいと思っている。

ちなみに民族独立の保護者である欧米が絶対に認めようとしないのが中東に住んでいるクルド人である。アルバニア人が200万人程度なのに対し、こちらは2000万人とも3000万人とも言われている。何しろ民族として一つも国家を持たずにイラクやトルコなどさまざまな国に散り散りになっており、しかも多くの人が辺鄙な山間部に住むことを余儀なくされているため、その実数が良く分かっていないのである。

彼らが住んでいる地域を国家として認めてしまうと、地下に眠る莫大な石油資源が丸々彼らのものになってしまい、中東における欧米の影響力行使の妨げになるため、独立は許されないのである。アメリカがイラクに侵攻した際も、イラク国内のクルド人の独立は議論になったが、結局は彼らに政治的な力を与えない方向でことは進められた。

せっかくコソボが話題になっているのだから、これを機会に他のさまざまな民族独立の問題についても、もっと関心が持たれれば良いなと思って書いております。これがマスコミとは違う、個人のブログの役割なのだろうと思っているので。
posted by サイダー at 02:38| Comment(1) | TrackBack(1) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月14日

救いようのない事件

沖縄での米兵による少女への暴行や足立区での一家心中事件など、インパクトの大きい事件にまぎれて大きくは話題になりませんが、つい先日、こんなニュースがありました。というご紹介です。

自宅で寝たきりの妻を殺害したとして、大阪府警平野署は13日、大阪市平野区平野本町4丁目、無職吉崎敬逸(けいいつ)容疑者(90)を殺人容疑で緊急逮捕した。吉崎容疑者は「妻をずっと介護していたのに、夜中に水を持ってこいと命令口調で言われ、かっとなった」などと容疑を認めているという。調べでは、吉崎容疑者は13日午前0時ごろ、自宅1階の寝室で妻の貞子さん(87)の首をガウンの帯で絞め、殺害した疑い。(13日付朝日新聞)

90歳にもなる夫が、87歳の寝たきりの妻を介護している状況。「老老介護」の典型です。ホームヘルパーの助けを借り、また嫁いだ娘たちもたびたび家に様子を見に来ていたということのようだが、実質はほとんどこの夫が面倒を見ていたということだろう。自分の身の回りの世話をするだけでもつらそうな年齢なのに、寝たきりの老人の介護までするというのは、どれほど大変なことだろう。

介護のポイントとして挙げられることとして、「無理をしない」ということがある。気を張りすぎていると逆に自分が折れてしまうから、ということらしい。がんばって介護しているのに命令口調で言われ、ついかっとなったという自供は、まさに無理して介護を続けた結果、ぽきりと心が折れてしまったために引き起こされた事件ではないかという気がしてくる。

けれども、これは単純に「無理をしすぎなければよかったのに」と言える問題であろうか。これほど高齢な夫婦の収入は、いったいいかほどであろうか。よほどの土地持ち、資産家でなければ年金収入以外にもらえるものはないはず。介護保険料の高さがネックになって、自分でがんばらざるを得なかったという側面はないか。

もうひとつ、子供たちの問題。何人か娘たちがいて、たまに様子を見にやってきていたという彼女ら。それはもちろん父親にとっては幾ばくかの支えにはなっていたはずである。けれど基本は彼一人だ。「無理をしない」がどこまで可能だったのか。もしも娘のうちの誰かがずっと一緒にいて、助けてあげられればいくらか救われた、いや、もしかしたらこのような悲惨な結末は生まずに済んだのかもしれない。

俺自身も両親と離れて暮らしているし、その状態はこれからも続くことになるだろうから、この事件にはとても考えさせられるものがある。遠く離れているかわりに、無理せず介護できるだけのお金を与えて済ませれば良いのだろうか。合理的だが、それも違うような気もする。

介護の矢面に立たされている人は、きっといつも心は孤独なのだと思う。どんなケアをすればそれを癒すことが出来るのか。手伝って一番助かることはなんだろうか。言葉をかけられて一番うれしいことはなんだろうか。そういうことを考えることが、介護者を支えることの第一歩だ。行政が一緒になって考えてくれれば、もっと良い。

これからますます、老老介護は増えてくる。そしてもっともっと、こういう痛ましい事件も増えてくる。これは間違いがない。

三面記事の片隅に、今考えるべき切実な問題が潜んでいたりする。
posted by サイダー at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月12日

新婚生活というやつ

せっかく結婚したので、たまにはそんな話題を(笑)

一般的には我々夫婦は「新婚」「結婚したて」の部類です。で、職場の人や友人から非常によく「新婚生活はどう?」と聞かれるのですが、特段、どうもこうもないです。

ずっと一緒に住んでいたこともあり、これといって新婚生活らしい特別なこともない。普通にこれまで通りの生活を送っているというだけの話。二人とも割と遅い時間まで働いていますので、家事は二人で分業してやっています。掃除機は俺がかけて洗濯機は向こうが回す、向こうが料理を作って俺が後片付けをする、というような。これが結構うまいこと機能しており、自分が苦手なことをやらなくても済むので気が楽でよいです。

そんな我々夫婦の、「共通の趣味」のようになっているものが二つありまして。

一つは乗馬。文字通り馬に乗るんですが、やってみるとこれが結構面白い。週末に郊外の乗馬クラブに通っております。ちなみに最高齢でオリンピック出場を目指す法華津さん(すごい苗字だ)はいません。当たり前か。

まだまだ初歩の初歩なので、暴れん坊将軍ばりに疾走なんてことができるわけでもないのですが、ちょっと早めに歩くだけでも結構なスピードを感じる。乗り方のこつが分かってくるとどんどん乗っていて爽快感も増してくるので、やりこめるスポーツです。

馬を小屋から出して鞍などの装備をつけるところから、乗り終えた馬の身体を洗って小屋に戻すというところまでやるので、かわいらしい馬ともかなりべったりと触れ合える。馬との触れ合いを利用した「ホースセラピー」という心の治療法もあると聞きますが、確かに接していると気持ちが安らぐという効果もあるような気がします。

夫婦で「乗馬ライセンス5級」という、まあ変な話「超初級」の資格はゲットしたのですが、次の4級までの道のりはぐんと険しくなるようです。ということで、二人で目標を持って楽しく通っております。ちなみに自分では「俺のほうがうまく乗れているだろう」と思っているようですが、向こうはそうは思っていないようです。

もう一つの趣味は任天堂の「wii fit」。古田とかゴリのCMがばんばん流れておりましたので、説明は不要かと思います。そう、あの板です。白いやつ。あれが意外といいんですわ。

体重計と、バランス測定器と、運動型ゲーム機の三つを兼ね備えたようなもので、あれを使って「○ヶ月で○キロ減らす/増やす」と目標を立てては、それを目指して数日おきにやっております。人生で初めてヨガっぽいことをやってみたり、座禅を組んでみたり。やりこめばやりこむほど、ヨガのポーズやゲームの種類が増えていく仕組みになっていて、出来るだけ継続しやすくしてあります。ゲームの中身なんかは本当に子供だましみたいなものなんですが、簡単な分だけとっつきやすく、ものによってはかなりハードな運動も含まれており、非常に実用的です。

その実用的すぎる機能にあまりにも感動したため、思わず実家の両親にもプレゼントしてしまいました。「wii fit」以外の「wii」ソフトを買えば、いろんなゲームを楽しめるのですが、彼らはおそらくそんなことはしないでしょうね…。けどいいんです、別に。

ちなみに「wii」と「wii fit」は昨年末、妻が職場のジャンケン大会で最後まで勝利してもぎ取ってきたらしく、俺が帰宅してみるといきなり家に置かれていました。実はほぼ同時期に俺も、100人以上が参加する会合のジャンケン大会で最後まで勝ち残ったのですが、そのときの商品は小さな小さなボトルワインでした。物凄い脱力感を感じましたが、これが理由で妻に頭が上がらないとか、そういうことはないです。たぶんね(笑)
posted by サイダー at 20:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月11日

再生紙偽装について考察

雪が降ったり、すぐ溶けてしまったり、変な天候が続いておりますね。東京で暮らしてもう何年も経ちますが、あれだけ雪が降ったのも珍しいような気がしますな。

さて。毒入り餃子の事件や相撲部屋の殺人事件、アメリカ大統領選など、日々様々な話題がある中で、記憶からも薄れてしまいがちだが、先月から微妙に引っ張っているのが、「再生紙偽装問題」とも言われている、製紙会社によるコピー用紙などの再生紙使用率の詐称問題。コクヨなど、紙を利用して商品を作っているメーカーへの影響や、政府のグリーン購入法の問題点、再生プラスチックでの同様の問題の発覚など、余波がいろいろなところに広がっていますな。

こういう事件があって初めて分かったのが、「再生紙100%」とか書いてあるあのマークは、別にどっかの機関がお墨付きを与えているわけではなく、企業の自主基準だったということ。しかももともとは努力目標的に定められたものだったということも分かった。別に、絶対に守らなくてもいけない基準ではないということである。

にもかかわらず嘘をついてまであのマークにこだわった理由はやはり販売でのアドバンテージがあったからだろうか。それも一社独占的なずば抜けた技術によるものではないため、マークを持つことの利益より、持たないことの不利益への対策としての性格が強いように感じる。だからこそ、業界横並びで隠し続けることになったのだろう。これに、製品としての最低限の質を追求するメーカーとしてのプライドと、グリーン購入法という無理やりな法律、そして嘘をつくことで直接的に傷つく人はいない事象の性質が重なって、今回の事件は起きた。ある意味では、極めて「日本的」な事件であると感じる。

上述のコクヨのように商品に紙を使用し、それが再生紙使用であることも商品の売り物としている企業は、今回の事件によりしばらくラインを止めなければならない事態となった。日本経済を混乱させ、足止めさせたことに対しては強く非難されるべきだが、かといって「だましてもかまわない」「業界ぐるみ」「組織ぐるみ」と強い調子で批判した報道には、やりすぎだという気もしてくる。

われわれ自身のことについて言えば、こういう問題が起きたとき「けしからん」と憤っている暇があるなら、もう少し自分の紙の使い方や水の使い方、電気の使い方などを見直してみるべきであろう。耳障りの良い「再生紙」という言葉。その再生紙を生み出すために、多くの資源・エネルギーが投入されているという事実。いくら再生紙利用の紙を購入したところで、最終需要者であるわれわれがそれを無駄に消費している限りは何の意味もなさないどころか、かえって環境への負荷は甚大であることを肝に銘じておくべきであろう。これは、自戒の意味もこめて。

(追)
バイオ燃料しかり再生紙しかりオール電化しかり、それにしてもどうしてこの世は、さも環境によさそうなまやかしと気休めの言葉が横行しているのだろうね。
posted by サイダー at 11:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月01日

中国餃子でロシアンルーレット

ついに来たというか。なんというか。

CO・OPがJTフーズに製造委託している餃子で食中毒。「メタミドホス」という殺虫剤の成分が当の餃子からは検出された。その餃子を製造していたのはJTフーズではなく、中国の「天洋食品」からの輸入販売であったことが明らかになり、中国製の餃子のみならず、中国製食品全体への不信感が蔓延する結果となっている。

食中毒に遭われた方々には本当にお気の毒と言うほかない。

この事件、最初JTフーズの餃子で食中毒と報じられたときには、「JTに買収される加ト吉の社員で、買収を快く思わない人の嫌がらせだろうか…」と一瞬考えたのであるが、さすがに全国で数十人の被害ということになって、個人レベルの話ではないなと思い直した。もっとも、原料の問題なのか、製造工程の問題なのか、そしてそれは人為的なものなのか、過失・偶発的なものなのかなど、原因の究明は依然として進んでいない。

去年はこのくらいの時期に不二家の事件があった。その後白い恋人やらミートホープやら船場吉兆やらと、食品の安全性に関するさまざまな問題が相次いだ一年だったが、今年ものっけからこれである。しかもこの事件はこれまでのどの事件よりも社会に対する影響度が大きいのではないかと、個人的には考えている。

消費者行動と食品の安全性を考えるとき、「安全性よりも、美味しさや安さを重視する」という「安全性二の次タイプ」がまずいるとして、そうではない「安全重視タイプ」が別にいるとする。では後者が何を拠り所にして買い物をしているかというと、商品パッケージなどの説明もそうだが、まずはやはり企業ブランドを見ている。ちょっと高くてもそれが「安心料」だと思って、買い物をしているはずだ。その「企業ブランド=安心」の構図を木っ端微塵にしたのが、去年の一連の食品不祥事である。

今回の事件は、JTフーズが関連しているという点では、去年のものと同様の性格も有するが、さらにCO・OPが関係してくるだけ深刻である。CO・OPは「日本生活協同組合連合会」、すなわち売り手側である企業へのアンチテーゼとして、買い手の立場に立った事業活動を行う、「消費者の味方」を自任する存在である。スーパーでの買い物を嫌い、食料品は全て生協で調達する家庭は少なくないし、一連の不祥事で企業ブランドへの不信感が強まる中で、「生協ならば大丈夫」とさらに強く思った人もいるに違いない。

そこに来てこのような事件が起こってしまった。企業もだめ。消費者の味方であるはずの生協もだめ。「安全・安心」の掛け声は虚しく響くだけ。あらゆる信頼への保証が裏切られた今、いったい我々は何を信頼すればよいのか。そんな気持ちに、日本中の消費者が陥っている。

こんな世の中においては、「信頼すること自体が愚かな行為なのかな」と思っても無理はない。それは非常に悲しいことだが、仕方がない。自分が今食べている食事は大丈夫なのだろうかと疑いながら食事をするか、ほとんどの食品は何らかの問題を抱えているに違いないと開き直って食事をするか、そんな選択肢くらいしかないのかも知れない。

この事件で最も可哀想なのは被害に遭われた方であるのは間違いないが、餃子メーカーや飲食店も気の毒だ。ネガティブイメージによる敬遠で、どうしても客足は遠のく。

そして数多くの中国食品メーカーのことも忘れてはならない。天洋食品(まだこの企業が悪いとは断定できないことを念頭において!)のせいで、日本国民は「中国製食品」全体に大きな不信感を持ってしまった。このイメージは容易には拭い去れない上に、日中政府により政治的な制約を課される可能性もある(中国にとって食が貧弱な日本は、食品輸出の上顧客。これを失うのは国家的にも大きな損失だろう)。

中国の経済発展・富の増加は著しい。この間出張で北京に行ったときには「中国の消費者は高くても良いものを求めるようになっている、都市部では食品への安全性の意識も高まってきている」という話を聞いたばかりだ。そんな消費者の声に応えるべく、一生懸命質が高くて安全な食品作りに精を出すメーカーは、中国国内にたくさんあるはずだ。

今回天洋食品がこの問題を引き起こしたのだとしたら、そういう企業の真剣な取り組みに対する大変な冒涜である。万死に値するものであろう。

こういう問題が起きると諸手を挙げて喜ぶ産経新聞じゃなくとも、「中国食品の安全性懸念」を示さざるを得ない今回の事件。時が解決してくれるのを待つ以外に、打つ手は正直ないように思う。
posted by サイダー at 17:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。