2008年03月31日

痴漢冤罪についての考察


上のニュースについて。反イスラムの映画をウェブ上で公開したオランダ極右政党に非難囂々。ヨーロッパでもムスリムたちは経済を支え、しっかりと存在感を持っている。各国のトップが慌てて非難声明を出している様子から、世界に大きな影響力をもつムスリム・ネットワークのすごさが垣間見える。そんなニュースです。

さて、ホーム突き落とし事件についてはこの間触れましたが、もうひとつ、日々鉄道を利用するものとして看過できない事件もありました。大阪の痴漢冤罪事件です。甲南大学の法学部の学生がこういう事件を起こしたということ自体がショッキングだったのですが、もうひとつプロじゃなくてもできる犯罪という意味で、皆が被害に遭う可能性が高いということも明らかにしてくれました。

3月31日の日経新聞では「痴漢冤罪、見えぬ防止策・慎重な裏付け必要に」というこの問題に関する記事が載っています。以下冒頭を引用。

2月、大阪市の地下鉄車内で帰宅途中の男性が示談金目的の男女から痴漢にでっち上げられる事件が起きた。痴漢事件の場合、被害者証言に頼りがちで「やっていない」との立証が難しい。痴漢冤罪(えんざい)の被害者らは慎重な裏付け捜査の必要性を訴えるが、警察は「痴漢検挙が最大の防犯」という立場。決め手を欠く冤罪防止策を巡って模索が続いている。

我々サラリーマンにとっては、痴漢の「容疑で」逮捕されただけで、まず会社人生はその重い扉を閉ざし始めます。上の事件のように劇的な名誉回復がなされれば話は別ですが、そうでもなければお先真っ暗。一族郎党路頭に迷うしかない。記事中では「女性専用車両があるのだから、男性専用車両も作ってほしい」という意見が実際に上がっていると紹介されています。あらぬ疑いをかけられたくない男性側からの切実な本音があるわけです。

今回の事件はもちろんあってはならないことですが、これがきっかけとなって容疑者側の必死の訴えにも、少しは耳を傾けてもらえる社会的な環境が作られたようにも思います。逆に女性が痴漢遭遇の届出がしにくくなってしまうようではいけないのですが。

記事では、問題解決のためには捜査・立証の慎重さを追求するしかないという話になっております。それももちろん大事ですが、先ほどの「男性専用車両」のごとき抜本的な解決策ってないものでしょうかねえ。だって容疑者になっただけでもわしらはつらいですからね。係争なんかしている間にどんどん周囲に「悪魔的痴漢野郎イメージ」が構築されてしまうのですよ。もっと抜本的にいかないと!というわけで。

【案1】決して満員電車にならないように運転本数を増やす。まあそうなんだが、それができれば苦労はないわなあ。だめだ。

【案2】大量のつり革を天井に設置し、全員両手でつかまれるようにする。車内が不気味なことになりそうだ…。しかも重い荷物を持っている人はどうする。これもだめ。

【案3】痴漢リスク回避のために出社・退社時間のフレックス化を企業が促進する。ありかもしれないけど義務化はできないし抜本的ではないね。

【案4】「痴漢されたらマジで訴えます」「痴漢冤罪の対策は心得てます」というステッカーを、顔面など、混雑した車内でも目立つところに貼る。ううむ、悪意のある人に逆手に取られそうだ…。しかも民度が低すぎるのが丸出しになってしまう。

【案5】電車内で麻酔を散布・吸入させ、一時的に触覚を麻痺させる(触っても触られても何も感じない)。終点まで乗っていると死に至る人がいるかもしれない…

【案6】痴漢をする気が消え失せるような絵や音などを車内に散りばめる。瀬戸内寂聴のありがたい法話、「パパ痴漢だけはやめてね」という健気な少女のメッセージなどを大音量で流しつつ、「やめろよ 痴漢なんか 人間だもの やらしいことは 明るく堂々と」などと書かれた相田みつを先生の心洗われる作品などを少々。

人間の煩悩を根本から断つこの案…だめでしょうかねえ。どうか「案6」、検討してください、橋下府知事(笑)
posted by サイダー at 14:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月28日

桜のおもいで


上のニュースについて。昨日に引き続きチベット暴動と北京オリンピック問題です。もはや完全にEU対中国の構図に。環境・貿易・人権と、EUがこの問題の沈静化の対価として中国から引っ張り出したいテーマはいろいろあると思います。それにしても、こういうときのサルコジ大統領の立ち回り方というのは本当にセンスが良いですね。

それに引き換え…というのも酷ですが、福田首相は明らかにもう辞めるつもりですね。「道路特定財源の09年までの一般財源化」という、絶対にできないことをぶち上げたのは、あとで責任を取ってやめるというシナリオをすでに描いているためでしょう。そうでなくとも、「道路」というパンドラの箱を開けてしまった以上、古賀さんら道路族議員と国交省から「始末」されますわね。辞任はいつだろう。

さて。

いつの間にか都心では桜が一斉に咲き始めましたねえ。いつもよく丸ノ内線を利用しているのですが、今日の朝はいいことがありました。四ッ谷駅は丸ノ内線では珍しく地上駅なのですが、トンネルを抜けた瞬間、明るい陽射しと一緒に、鮮やかに咲くたくさんの桜の花が視界に飛び込んできて、思わず心を奪われてしまいました。こういうことがあると、一日が幸せに送れそうな気がしてきますね。いいですなあ、春は。

というわけで、今回は趣向を変えて、桜にまつわる個人的な話を。

自分はそんなに風流を解する人間ではありませんが、ちょうど今頃の季節だったか、ふと思い立って、金沢まで桜を見に一人旅に出たことがありました。兼六園が有名でしょ。

節約のために青春18きっぷで行ったんですが、鈍行列車しか乗れないんですよね。それが若人の旅情を掻き立てるんでしょうが、わしの場合は夜を明かそうと下車した街があまりにも暗くさびしかったので、耐えられなくなり思わず追加料金払って特急に乗りこみました。滋賀の米原という街なんですがね。駅周辺で夜遅くまでやっている店がラーメン屋だけだったんですよ…。

それで何とか金沢にたどり着いたんですが、とにかくもう尋常じゃなく寒い。春丸出しの薄着で来たから、歯なんかもうガチガチ言っちゃってるくらい。しまいに雪まで降ってきて、そのときはもう泣きそうでした。兼六園も桜なんか全然咲いてなくて、松が青々としていたのだけは覚えています。

その後不完全燃焼のまま東京に引き上げてきたら、こっちはやたら温かくて、出発前には枝ばかりだった家の前の桜並木が、もう満開になっていたという。そんな思い出がひとつ。

あとは結婚前に奥さんと行った青森旅行がもうひとつ。こっちはゴールデンウィークに行きました。世界遺産にもなっている白神山地に行くことを計画していましたが、不勉強なまま臨んだため、まだシーズンではないことを現地で知らされ、あえなく計画は没に。そのかわりちょうど弘前の桜が見頃だということで、そちらに行きました。

それはもう本当に見事で。360度どこを見回しても、桜、桜、桜。あれだけたくさんの桜を見たのはたぶん人生初だったんじゃないかな。天気もよくて、ピクニックシートでも広げてお弁当でも食べたいくらいでした。怪我の功名というのか、良い旅になりました。

青森は観光スポットも多いし、美味しいものもあるし、地元の人もやさしいし、国内旅行では意外とおすすめですよ。ちなみにイタコで有名な恐山は、やっぱり「あの世」って感じでしたねえ…。そのときのわしらのショック加減は、また別に一本記事になるくらいの話なんですが…まあたぶん書かないでしょうね。

とまあ、わしの桜の思い出はそんなかんじです。ぬるい文章、ご容赦くだされ。
posted by サイダー at 11:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

ホーム突き落とし事件についての考察


ちょっとご無沙汰ですね。上のニュースについて。チベット問題に起因して、フランス対中国の構図が持ち上がっています。フランスがオリンピック開会式のボイコットに言及しているとのこと。もちろん結局は参加することになると思いますが、対価として中国から何らかの譲歩を引き出すべく、水面下でいろいろやっていると思います。

さて。

岡山県で起きた、18歳少年による駅ホームからの突き落とし殺人事件。加害者少年の父親が極めて異例の記者会見を実施していたり、茨城県土浦市でも同タイミングでショッキングな8人斬り事件が起きたりと、話題となっております。

これは嫌な事件ですよ。実はわし、昔から駅のホームで先頭に並ぶのが生理的に嫌で嫌で、ホームに対して身体をちょっと斜めにしたりして、完全に背中を後ろの人に預けないようにしていたんです(ゴルゴかよ)。それで嫁にまで怖がりすぎだと言われていたんですが、今回の事件があって、もう本当に嫌になりましたね。列の先頭には立ちたくない。誰が何をするか分からないもの。

だいたいこういう事件が起こると、テレビも新聞も雑誌も、どうしても「なぜ加害者はそんな事件を」「加害者の生い立ちに原因が」という話をしがちです。子供と親のあり方や、地域と個人とのかかわりなど、そこから大事な視点が見えてくる場合もあろうかと思います。ただ、ほとんどの場合は、興味本位、バッシングまがいの報道に堕ちていく(たとえばそれが冤罪の場合、本人の名誉に取り返しのつかない傷をつけることになる)。

個人の過去や周辺をどれだけほじくり返しても、「同様の事件を起こさない」という観点からは、あんまり価値がないような気がします。悪事に対する憤りや社会正義の心は、奮い立たされるかも知れませんけどね。まあそれは水戸黄門でも見ていれば良い話で。

犯罪研究のひとつに、犯罪者ではなく、犯罪を引き起こしやすい環境について研究する分野があります。人間誰しも罪を犯してしまう火種を内包しており、それは仕方がない。だからその火種に着火させずにすむような社会環境を作るにはどうしたらよいのかを研究しているわけです。単純に言ってしまえば、スーパーマーケットで監視カメラがじっと見ていたら、万引きの常習犯も万引きをしないだろう、というくらいの話なんですが。でも事件再発防止には、こっちを深く追求すべきだと個人的には思うのですがね。

ホーム突き落としの件で言えば、「ホームドア」をつけるということが一つにはありますよね。電車のドアと一緒に開閉するあれです。東京メトロの丸ノ内線のように胸まである柵タイプのものから、ゆりかもめのように天井まであるものまで、種類はいろいろですが、どれもホームからの落下防止には効果覿面。酔っ払いの人や目の不自由な人が過って転落するのも防いでくれるので、事件にも事故にも効果がある。

設置にはお金はかかると思うのですが、アクシデントの機会を失わせるのですから是非ばんばん作ってほしい。わしも嫌な思いをしながらホームに並ばず済むし、少年も「ホーム突き落とし少年」なんていう不名誉な呼び名をされずに済んだろうし、少年の父親がマスコミの前で頭を下げずに済んだろうし、何より被害者の方が亡くならずに済みましたから。

ガソリンとか揮発油の暫定税率が話題になっていますが、いっそ道路特定財源じゃなくて、ホームドア特定財源にすればよいのに。喜んで払うけどなあ。クルマ持ってないけど…。
posted by サイダー at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

学校裏サイトについての考察


上のニュースについて。現状100円台より行っちゃって、ついに円が1ドル99円台まで上昇。会社の知人が「俺のささやかなドル建て預金が…」と嘆いておりました。ドルが下がり、株価が下がり、原油先物価格はウナギのぼりに上がり続けている。ついにここまできたかという感じです。決壊したダムから水が物凄い勢いで溢れ出すかのように、経済の悪化が全世界に広がっております。ロシアなどの高笑いが聞こえてきそうですね。

さて。

去年くらいから認知されだした通称「学校裏サイト」。学校の公式サイトではない非公式サイトのうち、有害とされるものの呼称。掲示板の中で、実名を出して特定の個人を誹謗中傷するなどいじめの場になっている、猥褻な表現が書き込まれているなど、子供にとってのさまざまな害悪が指摘されています。最近でも読売新聞が特集を組んで取り上げているなど、相変わらず問題となっている状況は続いているようです。

「学校裏サイト」特有の問題として、そもそもそういうサイトがあるのかないのかがはっきりしないこと、サイトを見つけても匿名性ゆえ誰が書いているのかが分からないこと、サイトの停止を求める手続きが煩雑であること、仮にサイトを停止しても別のサイトを簡単に立ち上げられること、などが挙げられています。また、どうやら最近の傾向としてこれらのサイトは携帯向けサイトに形態を移行しているらしく、子供たちのアクセス状況を把握することが非常に困難になるという問題を生んでいるようです。

以下、個人的な見解です。

インターネットが発達し、携帯電話を一人一台持つのが当たり前になった時代において、この手の問題は避けては通れず、今後ずっと存在し続けるものであると思います。また、それは仕方がないと思います。

学校側がこれらのサイトについて責任を持って監視するというのは、一見正しいですが、現場にはとてもそんな労力はないでしょう。監視ビジネスが普及し、外部に委託することが社会的に合意されればありかもしれません(もちろんそのための対価を支払うのは、我々です)。また、たとえば匿名でいじめている生徒を、学校側が「この子だ」と判断して追及したときに、万が一それが間違いだったとしたら、それは非常に大きな問題となります。

親がこれらのサイトについて責任を持って監視することは、やはり難しいかもしれません。むしろ子供に目をかけてあげる時間を長くすることが正論ですが、厳しい経済状況で、共働きでやっとという夫婦も増えている中で、現実的にどこまでそれが出来るものなのか…。

それに携帯電話の使用把握は本当に難しい。サイトのアクセス明細は出ても、いちいちそのサイトの内容をチェックしたりすることは面倒だし、そこで自分の子供が何を書いたなどの情報は分かるはずもない。ならば事前規制と行きたいところですが、猥褻サイトのフィルタリングはともかく、「いじめ」に関するサイトを完全にフィルタするなんてことが、どこまで可能なのかどうか(そういう研究は結構進んでいるようですが)。

そんなことをあれこれ考えて、結局最後は、子供自身が責任を持って、自分を律していくことしかないんじゃないかと思ったのです。

それはもちろん、「処置なし」と言って野放しにするという意味ではありません。むしろその逆です。大人が、社会が、「子供たちが自分を律していきやすい環境」を整えていかなければならない。

なんだ、当たり前の話か。当たり前の話です。

今の世の中。インターネットによって誰もが気軽に手軽に情報を受信発信できるようになった。さまざまな文章、静止画、動画、音楽が世界に溢れかえっています。使い古された言い回しですが、「ネット社会の情報は玉石混交。自分の力で情報を見分ける能力が必要である」と、そんな風に言われてきました。

それはつまり、情報の受け手の責任でネット社会を生きていけということ。けれど、それはおかしいんじゃないか。

あまりにも多くの情報がインターネットを通じて、無責任・無自覚に垂れ流されている。幼稚で何の内容もない文章、品格を疑うような内容の書き込み、自己の小さな虚栄心を満足させるだけの動画。過激だとか、笑えるとか、そんな理由だけでそれらはまかり通っている。そんなものがあまりにもあまりにも多すぎると思います。

「学校裏サイト」、別に小学校中学校の話ではない。俺が大学の時にもありました。俺の知人が掲示板で名指しで「気持ち悪い」「ブス」「死ね」と何ヶ月にも渡って書かれていた。書いている人間は匿名なので分かりませんが、たぶん俺の知人だったと思います。そこそこ名の通った大学ですが、哀しいかな、そんなレベルです。

良い年をした成人ですら斯くの如し。況や子供をや。こんなものに囲まれて育てられてきて、いや、こんなもので囲い込んで育ててきて、「今の子供たちはおかしくなっている」と、自分とは無関係な次元で事態が進行しているかのように語ることができるものでしょうか。

玉石混交と言うだけで、石を玉にする努力を我々大人が怠れば怠るほど、ますます子供たちの心は傷ついていくでしょう。説教臭いことを面と向かって言ってもたいていの子供は真摯に聞いてはくれません。けれど大人が子供に背中を向けているとき、油断しているときの、そのだらしない姿をこそ、子供たちはしっかりと見ている。アルバイトで小学生と接したときの経験です。

「学校裏サイト」を問題視して、解決したいと願うなら、まずは我々が自分の言動にもっともっと責任を持たなければならない。自分の表現を誰が見ているのか、見た人はどう感じるのか、それによって傷つく人がいたときにどう対応できるのか…。そういう感覚を研ぎ澄ませていくと、本当ならば「表現することはとても怖い。自分にはできない」、そういう心境に辿り着くはずです。表現と言うのは本来それほどまでに恐ろしいものであることを、我々はもっともっと認識するべきです。これはシロウトのみならず、表現のプロであるマスコミもそうです。

子供に有害なサイトへの規制・監督ももちろん大事です。けれど「臭いものには蓋を」では、けっして根本的な解決にはならない。我々ひとりひとりの表現に対する強い責任感。子供たちが玉石混交の情報の海を渡るために、進路を照らす灯台の火は、きっとそれ以外にないんだろうなと思います。自分への楔の意味を込めて……
posted by サイダー at 00:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月12日

シー・シェパード問題についての考察


昨年の暮れに、仕事でお世話になっている会社の方からお歳暮で鯨鍋セットをもらいました。結構臭みも強いんですが、これがまたうまい。そんなに食べる機会がないからそう感じるだけなのかな。鯨を食べることが日本古来の文化だとか、そんな大げさなことは考えませんけど、別に鯨食うことをとやかく言わなくてもいいんじゃないかと思う、わたくしでございます。

調査であろうとなかろうと、捕鯨行為を一切許さないアメリカの環境団体「Sea Shepherd Conservation Society」。日本では「シー・シェパード」と呼ばれております。公海上で日本の調査捕鯨船「日新丸」に対して喧嘩を売って一躍有名になりました。彼らの起こした事件により、捕鯨の是非について、またちょっと世間の関心を集めるようになりました。なんかアジアハンドボール連盟の「中東の笛」事件のおかげでハンドボール人気が高まったことを思い出しますね。

そんなシー・シェパード。名前がとにかくカッコイイのと、ちょっと暴力的なワイルドさに惹かれてしまいまして、彼らのホームページを覗いてみました。ぱっと見、結構しっかり作っておりました。写真なんかもあるので見てみますと、彼らの所有している船舶が写っている。真っ黒くて、現代の海賊船っぽくてとにかくカッコイイです。しかも船の旗が骸骨にカギ爪…って、まんま海賊じゃねえか!という冗談なんだか本気なんだかよく分からない、けれどカッコイイという団体であることが伝わってきます。

団体に関するニュースコーナーがあり、日新丸への攻撃についても載っているので見てみました。基本英語なのですが、3月7日18時付けの記事には、素晴らしいことに日本語版リリースが添付されております。さっそく読んでみましょう。

「日本の捕鯨船によるシー・シェパードへの手榴弾による攻撃−三名が負傷」

えっ、手榴弾!?

「15時45分、シー・シェパード スティーブ・アーウィン号と、日本捕鯨船・日新丸との衝突が激化し、日新丸に乗船していた日本の海上保安官がスティーブ・アーウィン号のクルーに向けて手榴弾を投下しました」
「手榴弾の一つがスティーブ・アーウィン号のキャプテン ポール・ワトソンの胸に弾丸は命中しましたが、幸運なことにその弾丸は彼が着ていた防弾チョッキにより食い止められました。弾丸は彼のちょうど左胸、心臓に命中しているところでした」

ううむ…。危うく死んでしまうところだったのですなあ。

「日新丸の日本人クルーはシー・シェパードが捕鯨行為を食い止めるために彼らのデッキに向けて腐ったバターを投げたことに対して、今回反撃してきたのです」

腐ったバター…。意外な事実です。

日本の報道では、海上保安官が撃ったのは「警告用の警告弾」ということになっていますが、彼らの言い分では「(殺傷用の)手榴弾」ということらしいです。また報道で「瓶入りの酪酸」と言われていたものも、彼らが言うには「腐ったバター」であると。

日本側の報道もちょっとバイアスがかかりすぎだけど、シー・シェパードももうちょっとがんばれって感じですかね。手榴弾なのに弾丸が命中とか、防弾チョッキ程度で防がれているとか、ありえんでしょ。あと、腐ったバターはないな(笑)。ちなみに英語の原文を読むと、手榴弾は「flash grenade」となっておりますので「閃光弾」、まあまず警告弾と考えてよいかと思います。どういう誤訳だか…

まあでも良いじゃないですか。カッコイイんだから。自分たちの理想のためにここまでやれるって、たいしたものだと思うのですが、どうでしょう。

ちなみに日本での彼らに対する批判は、@調査捕鯨の是非はともかく彼らの行為が問題というもの、A彼らも問題だし調査捕鯨自体問題ないというもの、B彼らも問題だしそもそも日本の鯨食文化をとやかく言われる筋合いはないというもの、C外国人が日本に対して問題起こしたからなんかムカつくという低レベルのもの、まちまちですね。

個人的には、調査捕鯨とか別にどうでもよくて、鯨も好きに食えばいいじゃないかと思うんですけどね。鯨が絶滅したら、なんか困ることってあるんでしょうか。いなくなって悲しいとか、そういう話でしょうか。生態系が変わってしまうとかいうけど、ずっと変わり続けてきて今があるわけだし。人間が生きていくために守るべき自然環境はあるけど、それに関係ないものであれば、トキでもトラでもなんでも別にあっさり絶滅しちゃっていいと思うんだけど…、こういう考え方は変でしょうかね。

長文になりました。それではまた。
posted by サイダー at 21:29| Comment(4) | TrackBack(1) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月11日

セカンドライフについての考察


本題とぜんぜん関係ありませんが、ビーチバレーの浅尾美和選手。ふと思ったのは「腰のくびれがない!」。着ている水着のせいでしょうか…

さて。

一時期話題となった3D仮想空間「セカンドライフ」について、面白い記事がありましたのでご紹介します。

「セカンドライフ」撤退企業続出(3月4日付名古屋タイムズ 以下抜粋)
 インターネットでショッピングやコミュニケーションを行う仮想空間「セカンドライフ」(リンデン・ラボ社=本社米国)が昨年話題になった。盛んに宣伝され、多くの企業が乗りだすのと対照的に、インターネットユーザーの多くは冷静な見方が目立った。あの盛り上がりは何だったのか?事情に詳しい関係者の話などから実像を追った―。

という書き出しで始まるこの記事。現実の通貨への換金が出来なくなったり、ギャンブルやアダルトコンテンツが廃止になって、利用者がどんどん離れていると。そうするとプロモーションのために参入していた企業も離れてしまい、結果仮想空間内は閑古鳥が鳴いている。そんなことを伝える内容です。

あれが本格的に話題になったのは2006年12月ごろ。企業がプロモーションのためにセカンドライフ向けのサービスを相次いで立ち上げたり、日テレかどこかがセカンドライフから番組をお届け、なんてことをやってみたり、いろいろと盛り上がっていた割にその後あんまり話を聞かないなあと思っていたら、こういうことだったわけですね。

実は半年以上も前に、セカンドライフについてはこういう記事も書かれていました。

セカンドライフに関する調査―セカンドライフの利用者はわずか1%未満(2007年7月26日付CNET Japan 以下抜粋)
Webマーケティングガイドでは、インターネットの利用に関する調査を企画し、株式会社エルゴ・ブレインズが運営するターゲットリサーチのリサーチパネルに対してインターネット調査を行った。今回の調査では、インターネット上の3D仮想空間「セカンドライフ」について、その利用実態を調査した。その結果、セカンドライフを認知しており、かつ現在利用しているユーザーは全体のわずか0.7%であることがわかった。

確かにあれほど「話題」と言われていながら、自分のまわりにセカンドライフをやっている人って誰もいなかったなあ。ゲーム的な要素もあまりないし、金儲けが目的というユーザー以外には、利用する動機を持たせにくかったのは確かでしょうな。

仮想空間内でユーザーの自由になんでもできると言われても、逆に何をやっていいのかがわからずに離れていってしまうと思うんですがね。逆に自由度を減らして強制的なシナリオを盛り込んだりしながら、本当に別の人生を送っているようなシミュレーションができたなら、あるいはもっと人気も出たかも知れませんね。変身願望って誰にでもあるし、人生のやり直しも、結構ニーズはあると思うんですよ。

あとは「セカンドライフ=あっちの人生」ということで、死後の世界にしちゃう。自分以外に死んだ身内や知人を登録すると、コンピューターが物凄くリアルに自動操作してくれて、死者とのコミュニケーションが楽しめる、とか…。これでスピリチュアル詐欺に遭う人もいなくなるかもしれんよ。

次にまたこういうサービスがやってくるのはいつになるのか分かりませんが、企業もユーザーもだいぶ懲りていると思いますので、ハードルはかなり高くなりそうです。いやー死後の世界はおすすめだなー(笑)
posted by サイダー at 19:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月06日

【お知らせ】gooホームPROJECT

今回はちょっと趣向を変えて、知人が行っている活動をご紹介させていただきます。

「gooホーム」というSNSが今行っているキャンペーンなんですが、3月31日まで、「gooホーム」にユーザー登録すると、沖縄の海に自分の名前入りの珊瑚を植えることができるというものです。

先日記者会見をやっているようで、ゲストでやってきたアントニオ猪木が「1、2、3、ゴーッ!(珊瑚)」と叫んでいるという絵を、わしもテレビで見ました(笑)。

実際に珊瑚を植えるのはアクアプラネットという珊瑚礁の保全を行うNPOなんですが、驚いたのは女優の田中律子さんがそのNPOの会長をやっているということ。最近まったく見かけないと思ったら、こんなことを行っていたとは…。

ユーザー獲得に向けたSNS運営サイドの売り出しキャンペーンと言ってはそれまでですが、最近はこういった、社会貢献活動に引っかけたマーケティングが流行っていますよね。ボルヴィックの「1ℓ for 10ℓ」なんかは代表的ですが。活動成果の目に見えやすさ、分かりやすさ、あとは本業のビジネス領域との連関が決め手のような気がしますね。

本当は、3月5日「珊瑚の日」(まじだよ)にお知らせしたかったんですが、力及ばず一日遅れてしまいました。自身がまったくSNSをやっていないのにこんな告知をするのも変な話ではありますが、興味をお持ちの方は、以下のサイトを覗いてみてくだされ。それでは。

「gooホームPROJECT」
http://home.goo.ne.jp/community/1590
posted by サイダー at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

玄侑宗久氏の話を聞いての考察


上のニュース。一度は矛を収めたトルコ軍ですが、なにやら不穏な情報が飛び込んできました。また始まるのでしょうか…。

さて早いものでもう三月ですね。先日、とある会合に出席いたしました。出席したなんていうほどのもんでもなく、まあついていったというレベルなんですが。

ま、ともかくその会合で、作家の玄侑宗久氏の講演を聞く機会がありました。玄侑氏は2001年に「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞した立派な作家でありながら、実は福島県の臨済宗のお寺の住職でもあるという方です。独自の視点からなかなか面白いことをおっしゃっていたので、ちょっと触れてみようかと思います。

「日本人のこころのなりたち」というタイトルでの講演だったかと思うのですが、玄侑氏の言いたかったことは「最近の日本の政策は日本人のこころのあり方や日本のしくみを無視したものが多く、個人的に非常に腹が立っている」ということでした。

比較文化論めいた話になるのですが、日本と欧米の違いとして、日本では全てのものが横並びであるのに対し、欧米では序列があり、正統・異端があるということ。欧米ではキリスト教の宗派の正統性を巡って多くの血が流された。日本に仏教の宗派はたくさんありますが、どれが一番ということを決めたりはしない。のみならず神道やらキリスト教やら、さまざまな宗教が入り混じる中でも、どれが正統な日本の宗教ということを決めない。さらにいいとこ取りで、どんどん他の宗教の概念を取り入れていってしまうのだそうです。

文字にしてもそう。輸入した漢字を元に仮名を作って併用し、さらに英語まで吸収して、どんどん和製化している。そうやって、よその良いところを長い時間をかけて完全に吸収し、横並びにしてしまうのが日本の持ち味なのだそうです。

人にも差を設けないのが日本流。士農工商なんて言われていた時代もあるが、権力は武士が持ち、土地は農民、技術や財力は商工人、さらにそれ以外の階級として蔑まれていた人にも、実はインフラ整備をはじめとする重要な機能を担わせ、身分の均衡を保っていたのだそうです(この辺はちょっと懐疑的だね)。「みんな同じ」という意識が強いから、逆に今「格差」がことさらに問題視されている。

さて、そういう日本において、性急に導入してもうまく機能しない制度として、玄侑氏は「裁判員制度」を挙げていた。「自分の両脇を気にしながら生きている日本人には向かない」のだそうです。まあ場の空気に流されがちになってしまうのは想像できますわね。

あとは賞味期限という仕組み自体にも疑問を呈していました。賞味期限が過ぎても、本当にだめになるまでには時間がある。そのグレーゾーンを設ける賞味期限の仕組みは、「もったいない」という独自の思考を持つ日本人には合わないのだとか。制度の輸入元の欧米でこのような仕組みが機能しているのは、賞味期限が過ぎた食品はラベルを外し、「次の階級」向けに販売するマーケットが存在しているからだそうです。そのへんの事情を無視して導入しても、うまいこと機能しないというのが持論のようです。

これは個人的にとても賛同しやすい意見ですね。そもそも賞味期限って何のためにあるのかと思っていたら、輸入を増やしたいアメリカが政治的に仕込んだものだという話もあり。自分の舌で確かめるのがよろしいね。

他にもいろいろなことに話が及びましたが、印象に残ったことをかいつまんで記しますと「訓読み」に込められた日本風の物事の解釈というのは、非常に面白かったですね。「心」は「ころころと絶えず変化するもの」という意味を込めて「こころ」。「源」は「水のもと」だから「みなもと」。「椿」は「つやのある葉の木」なので「つばき」。そういう具合に、訓読みを形作る音にしっかりと意味があるのだそうです。考えてみれば当たり前のことなのですけれど、改めて言葉を見直す良いきっかけになりました。

玄侑氏は仏教の知識を軸として、日本の歴史について非常に幅広い知識を蓄えていらっしゃいました。歴史知識に根を張って自分を確立することができるから、今世の中で起こっていることについて、自分なりのスタンスで見識を持つことが出来る。

実は俺も学生の時に、歴史を学ぶ意味ってどうしてあるのだろうと疑問に思っていたことがありました。こうやって自分の思考を形作るベースになるのだということを勉強の前提として伝えていただければ、もっとまじめに取り組んでいたのかもしれませんね。

話の中で玄侑氏は、市町村合併や道州制にも反対していました。逆に、歴史的な観点からもっともっと細かく区分けをしても良いんじゃないかという。道や州の単位でざっくりと自分の出自を規定されることで、歴史的に培われてきた多くの細かい根が断ち切られてしまう。果たしてそれが日本人にとって本当に良いことかという疑問を持っているのでしょう。経済効果の側面もあり、もちろん容易に迎合することはしませんが、市町村が合併し、さらに道州制になってから生まれてきた子供たちの「根」はどうなってしまうのか、気にしていかなければならないでしょうね。短期的なカンフル剤である道州制のもたらす中長期的な影響の検証は、必要だと思います。

そんなこんなで、なかなかためになった玄侑氏の講演でした。今度本でも買ってみよう。ちなみに俺の出席した会合というのは、簡単にいうと山形県出身者の集まりなんですがね。ほとんどが年配の人たちで、俺なんか浮きまくっていたけど(笑)。ほとんど端っこでじっと会場を見ているだけでしたけれど、自分に根がある人たちの集まりというのは、とても幸せな場なのだなあと、つくづく感じました。

ちょっと長くなりましたね。それではこの辺で。
posted by サイダー at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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