2008年05月16日

観劇評 劇団四季「ライオンキング」


ブランクがあったので立て続けに行きますよ! 上のニュースについて。これは…!!ものすごく乗ってみたいけど、ちょっとでも不具合あったらあの世まで真っ逆さまなんでしょうねえ。いや、面白い。

さて。

連休中にやったことのひとつと言えば劇団四季の「ライオンキング」の観賞。一度見たことがあるのですが、また来てしまいました。以前は一階席からでしたが、今回は二階席から。まあ一階席のほうが、舞台に広さと奥行きが感じられてよかったのかなあという気はするけれど。

劇団四季のライオンキングはかれこれもう10年目になるのだそうで。よくもまあそんなに長くやっているもんです。しかもちゃんと客が入っているからすごいね。そこまで夢中になる理由が分からないけれど、客層が子供同士数人とか、家族連れとか、明らかに演劇における「ディズニー」的な存在になっている。コアなターゲットが明確なので、揺るがないのだと。こういう劇もあるかと思えば、「鹿鳴館」のように中高年向けの渋い芝居もやっちゃうところが、劇団四季の経営センスだね。

有名な劇だし、あらすじを述べるまでもないかもしれんけど、一応。主人公は子ライオンのシンバ。彼の親父が動物たちの暮らすサバンナの王国を治める王である。親父の弟(主人公の叔父さん)は、シンバのせいで自分が王になれないことで不満を持っている。そんな叔父さんの天才的な計略によって、王は死ぬ。しかもシンバには「自分が父を殺した」と思い込ませて、王国から追放することに成功する。

それから数年後。青年となったシンバは追放された先で新しい仲間と悠々自適の暮らしを送っていた。そこにたまたま昔の幼馴染みであった雌ライオンがやってくる。シンバは彼女から、叔父さんが王となっていること、そのせいで王国がぼろぼろになっていることを聞く。最初は自分には関係ないと思っていたシンバだったが、いろいろあって「自分が王になる」という自覚を持つ。彼は速攻で王国に帰り、叔父さんを殺して王位を奪い、雌ライオンを王女に迎え、大団円となる。まあそんな話である。フラットに書くとあんまり面白そうに感じないね(笑)

見るたびに思うのが、役者たちが扮する動物の見事さ。かぶりものだったり、自分が操ったり、いろんなバリエーションのツールを使いながら表現している。彼らが舞台の上で自在に躍動しているのを見ていると、「ああ身体ってこんなふうにも動くのか」という肉体の機能に対する驚きと畏敬の念がこみ上げてきますよ。ライオンにハイエナにゾウにシマウマに…いったいどれほどの種類があるのかは知らないが、道具を作った人たちもすごい。どれだけの時間をかけて、それぞれの道具の形状に落ち着いたのだろうか。

中でも特に感心してしまうのは、悪い叔父さん役のかぶりもの。役者の頭上にはライオンの頭部をかたどった面がついているのだが、この面が身体の動きに合わせて動くのだね。叔父さんがシンバを威嚇しようと前屈みになると、面もぬうっと前に出てきてポーズの威圧感がぐっと増す。身体をまっすぐに戻すと、面も頭の上にすっと収まって涼しげな様子に。これを考えた人はすごいよ。

芝居自体についていうと、少年シンバ役の子役がひどかった。ライオンのラの字も感じさせないなよなよ感を漂わせ、踊りも幼稚園のお遊戯かというレベルであった。その反動なのか知らないが、青年シンバ役の俳優はやたらと声も肉体も良く、キレのある踊りと歌を披露していた。「シンバは王国を追放されてとても立派に育ったんだなあ」ということが伝わってきますね。他の役者はまあ可も無く不可もなく(失礼な…)。

フォローするわけじゃないけど、二回目に見ても十分に楽しめる演劇なんてなかなかないと思いますよ。また見たい、何度見ても飽きないと思わせるような見所や、人気を集めやすいキャラクターを用意するのは、芝居を作る側にとっては至難の業です。わし個人では、他にそういう見方をしているのは「レ・ミゼラブル」くらいじゃなかろうか。そういう意味でもやはり劇団四季はレベルが高いです。ちなみに芝居を見ていて最初に号泣したのが「夢から醒めた夢」でした。高校生のときにテレビ録画で見ただけだったので、久々に見てみたいです。ああ「ウィキッド」も見たいなあ。…と、お金は無いのに欲求だけが積み上がってまいります。いやはや。
posted by サイダー at 01:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

世界各地の災害についての考察



だいぶご無沙汰でございます。今年の連休は比較的過ごしやすかったと思ったら、最近は寒い日が続いておりますね。私も微妙に風邪気味です。みなさんもお気をつけて。

さて、今回は上のニュースがもろにテーマです。

ミャンマーのサイクロンと、中国の大地震で、いったい何人の命が失われたのか。実はミャンマーの方は最近まで知らなかったのですが、なんと30000人超の死者ですか。中国の地震については新聞で「8600人死亡」と出て目を疑いました。今はもう10000人は越えているようで。これって死者の規模で言えば、イラク戦争の全死者を足した数字とほとんど同じですわね。ほんのわずかな時間であっという間に全てを奪ってしまう。いつの時代も災害は恐ろしい。

以前もインド洋沖地震があって、そのときも大変な人数の方が亡くなりました。日本はもちろん東南アジアは地震が大きなリスクですね。そういえばこの間日本でも夜中に大きめな地震がありましたが、あれも何か関係があったのでしょうかね。ちなみに中東は地震がないそうです。ドバイに旅行に行ったときに、とてつもなく高い塔「バージュ・ドバイ」の建設が進められていて、すでに800メートルくらいに達していました。そのときにガイドさんが「ドバイは地震がないので高い建物でも安心」と言っていたのを思い出します。

中国は北京オリンピックとチベット問題に絡めて、国際社会からさまざまな批判を受けていましたが、ここへ来て同情票が集まって潮目が変わるのでしょうか。少なくとも中国包囲網を敷こうとしていたヨーロッパの陣営は、シナリオの大幅な書き換えを迫られそうです。また、中国国内で不買運動をされていたカルフールやケンタッキー、マクドナルドなんかが敢えて中国で復興のための支援をするならば、これはまた複雑な情勢を呼びそうな気もして面白いですね。

そしてミャンマー。なかなか各国の支援を受け入れようとしなかったことで、国連をはじめ多方面からの非難を浴びることになりました。まあ軍事政権の側からすれば、それはある意味当たり前かもしれません。軍事政権にとっては、国内情報は命綱。地理も人口構成も弱った国の様子も全て外部にさらされ、果てはミャンマー軍がどういう活動をしているのか、災害復興の現場で見えちゃうわけですから、当然軍事に関わる情報管理のために外部の目をシャットアウトしておきたいはず。

さらに言えば、外部からの支援が軍政の支援よりも手厚く行われた場合に、国民が軍政に懐かなくなってしまうことも大きな懸念点でしょう。アメリカが既に多額の支援を表明していますが、アメリカにとってはこれが自国の大々々PRチャンスです。人間なんて単純ですからね。今より高い給料をくれる会社があれば、長年世話になった会社を簡単に辞める人がいるくらいです。自分の暮らしが汲々とした状態のときに手を差し伸べてくれる存在があれば、そこになびくのは当然の道理。次々と首都ヤンゴンに運び込まれる救援物資は、ミャンマー国民の心を軍政から離反させる麻薬でもあります。

そういえば戦国時代の名将・毛利元就は、敵対する尼子家が守る難攻不落の名城・月山戸田城を力技ではなく兵糧攻めによって落としました。食糧を補給する道を完全に塞ぐこと数ヶ月。最後の仕上げに城の風上に大釜を何個も並べ、大量のおかゆを作ったのだそうです。風に乗ってやってくるおかゆの匂いに、城の中の兵士たちは役目を忘れ将軍を置き去りにして、城内から雪崩をうって飛び出してきたのだとか。なんとなく、アメリカがミャンマーに対してやろうとしていることに似て見えてくるのですよねえ。

人道支援も所詮は「政治」。毛利元就は戦国時代切っての知将と謳われていますが、日本の外交にも、そのくらいの深慮遠謀があってもいいでしょうね。
posted by サイダー at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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