2008年07月25日

文芸社『血液型別 自分の説明書』についての雑感


上のニュースについて。2005〜2006年の世相を語る上で必ず出てくるこの人。二審でも実刑判決が下されましたが、「なんか悪いことやっちゃったんだけど、なんだったっけ」くらいの感覚の人も多いかもしれませんね。

さて。

最近やたらと、血液型に関する本が売れているようです。文芸社から出ている、『B型 自分の説明書』などの、『血液型別 自分の説明書』シリーズ。つい先日も電車の中でこの本の広告を見ながら、盛り上がっている乗客に遭遇しました。あんまりこの手のものに興味がないわしが知っているくらいだから、結構な情報の投下量でしょうね。

それにしても、血液型って、なんなんでしょうね。

A、B、AB、OというABO式分類での4タイプの血液型で、それぞれ性格に特徴があるという。わしが高校生のときの生物の先生は、「血液の成分には性格を決定するようなものはひとつも入っていないのだから、巷で言うような血液型別の性格診断を信じているようなやつはバカだ」と平気で言っておりました。わしも「それはそうだな」と思っていたので、そんなに信じることもなく今に至っております。

だいたい飲み会とかいろんな場で血液型の話になって、「誰が何型だ」とかやり始めるときに、わしは8割がた「A型」だと言われるんですよね。まじめで几帳面っぽいという理由で。まあすみませんO型ですって感じなんだけど、相手の反応が「えーっ、O型っぽくない。絶対A型だよー」というわけです。人が「O型だ」って言っているのに、無理やり血液型の方に合わせようという(笑)

その時点でなんとなく破綻しているような気はするものの、それでも診断では「O型はおおざっぱで楽天的」みたいなことも書いてあったりするんですよね。それを見るとやっぱり「おお、わしのことじゃ」と思ってしまったり(笑)。まあ人に害を与えるようなもんでもないし、話の一興になるという意味では血液型、いいんではないでしょうかね。

ただ、解せんのは『自分の説明書』のようなものを買い求めてまで血液型にこだわる姿勢ね。そんなに自分の血液型に従属して安心感を求めたいのかしら。そんなものでも無いと自分がわからない、説明できない、安心できない、というのだとしたら、テレビの向こうの通り魔の皆さんと同じレベルの「見失いっぷり」ではないかね。

逆に血液型を参考にして友人や彼氏彼女とうまく付き合いたいという思惑で買う人も、どうなんでしょうねえ。型から入る人付き合いも悪いは言いませんが、自分のコミュニケーション力のなさを自ら認めているようで、悲しい気持ちにならんものかね。

血液型のせいで人生を狂わされた人といえば、「び、B型だとーっ!?」の台詞があまりにも有名な『華麗なる一族』の万俵大介氏ですが、皆さんもどうぞ気をつけてください。

ちなみに文芸社のこの本は、発売順がB型、A型、AB型、O型(8月1日発売予定)となっていて、売れ行きは順に、110万部、60万部、55万部、という具合だそうです。考えてみると、これは売り方にも仕掛けがあるような気がしました。O型向けの本を先に出しても、そもそもO型はあんまりこういうものは気にしませんので、先にもうちょっと気にしちゃいそうな血液型の本から出して、ヒットの事実を作って、O型にも売りやすくするという。マーケティングを血液型で考えてみるとそんなところでしょうかね。

そんな血液型、地味に輸血の際は重要になってきます。わしはO型なので、誰にでも血液を提供できる反面、O型以外の血液を入れられると凝結して下手すりゃ死んでしまうのでね。意外とナイーブですよ…。AB型がうらやましい。ところで『自分の説明書』の著者の方に聞きたいことがひとつあるんですが、AB型の人にO型の血液を大量に輸血すると、一時的にでもその人の性格はO型寄りに変わるんでしょうか。

まあ血液型の謎は尽きませんわ。
posted by サイダー at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月18日

片山善博教授の講演についての雑感


上のニュースについて。そもそも「投資」って行為の意味を分からせる必要がありますな。これは…。

さて。

先日慶應義塾大学法学部で教鞭をとっていらっしゃる片山善博教授の講演を聞く機会がありました。片山教授は以前鳥取県知事を二期務めていた方で、地方行政の現場、それこそ泥臭い部分まで知っていらっしゃる、理論と実務両方の体現者ということになるでしょうか。講演内容も必然、「地方からの再生と日本の将来」という、地方に関する話がメインとなったのですが、やはり現場の話は面白い!身をもって知ったいろいろな話題をユーモアも交えてわかりやすく話してくださいました。

彼が何より強調していたのが、地方の経済主体の根強い官依存体質でした。箱モノ行政なんてことは前々から言われていますが、相変わらず土木業はそれで食っている状態。また農業従事者は完全に国からの農業補助金を目当てに農作物を作っている。知事時代、農家に視察に行ったときに、「知事さん、来年は何を作ればよいでしょうか?(何を作ると補助金が多くもらえますか?)」と当たり前のように質問されたそうで、「農家は消費者やマーケットなどはまったく見ず、完全に政府の方ばかり見ているのだな」とまざまざと感じたと語っていました。東京にいるとあまり官依存の経済活動を実感する機会はないかもしれないが、地方は想像以上だと、そんなことも言っていました。

そしてもうひとつ、片山教授は地方自治体を支配する中央省庁も激しく指弾していました。様々な省庁が縦割りで、地方に対して地方交付税や補助金をぶらさげて、骨抜き・借金漬け・愚民化しようとしていると、強い口調で語っていました。財政破綻した夕張市の市長室には、模範自治体として自治省から昔もらった表彰状が飾ってあったのだそうですが、その結果があれだと。中央省庁を信じて、借金を重ねて補助金目当ての事業を繰り返し、小泉政権時代に補助金がぷっつり切られたとたんに、どうにもこうにも回らなくなった。

そんな話を聞いているうちに、地方自治体というのはベッドに横たわる入院患者のような気がしてきました。何本も何本も注射の針が身体に刺さっていて、チューブでいろんな交付金・補助金が点滴されている。回診で小泉という医者が来て、「お前ら自分の力で元気になれ!」と言って、ハサミでばさばさとチューブを切って、ベッドから追い出しにかかった。そしたら患者が、急に容態が悪化してのた打ち回った。小泉医師はそれを横目に「改革には痛みが伴う」と言って、去っていった。その後患者の一人がのた打ち回った結果、口から血を吐いて死んだ。それが夕張市。そんなイメージでしょうか。

片山教授は「地方自治は自業自得(地業地得かな?)」と何度も強調しています。官に任せず、自分で考え、自分で行動する力、そういうものをいち早くつけていかなければいけない。中央省庁も、もっと地方を自律させ、地方の課題を自ら解決させる方向に向かうべきである。それが講演の結論でした。

わしもまったくその通りだと思います。まったくの抽象論ですが、その実現のために必要なのは選択と集中。経済的に大きな利益をもたらすと予想される核となるものがその地方にあれば、それに資源を集中させ、人や組織を巻き込み、大きなうねりを一気に作り出す。衆目を引き付け、世論を動かし、揺るぎないイメージまずは構築し、それに負けない事実と実績も同時に築き上げるということ。実体と評判の正のスパイラルをうまく作ることができれば、他には負けないその地方ならではのエッジが立てられます。

選択と集中のウラには排除と淘汰。そこは申し訳ないが、人情を捨てて大鉈を振るうしかない。その「悪役」を演じる役者が地方に育つかどうか。それとも小泉医師のような凄腕を、外部から連れてくるのでしょうか。彼が通ったあとには血の雨が降るのでしょうが、その向こうに虹がかかるかもしれませんね。

片山教授の話を聞いて、最も感銘を受けた言葉があります。今は教授という立場で、地方自治の第一線からは退いたけれども、「自治体をちゃんとさせる。これが私のライフワークです」と。地方のために、国のために、自分の人生を捧げて役に立つことをしようという彼の言葉には、人の心を動かす確かな力がありました。わしも微力ではありますが、仕事を通じてこの国の役に立っていきたい。勇気をもらえる言葉でした。

ちなみに。わしが前回書いた大分の教員汚職問題。やはり片山教授も怒っていらっしゃいました。曰く、「小学校中学校の義務教育は、誰であっても等しく教育を受けるためのものであり、その制度趣旨は『機会の平等確保』にある。今回の事件は、その義務教育の担い手ともあろう者が、賄賂という手段で積極的に『機会の不平等』に加担した事件であり、言語道断だ」とのこと。

やはり慧眼。ろくでもない先日のわしの記述と比べて、同じテーマでここまで違うものかと、改めて自身の不明を恥じた次第であります。はい…。
posted by サイダー at 14:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

大分教員汚職事件ついての雑感


上のニュースについて。「死に神」鳩山法相が語っています。わしは死刑に反対ですが、それにしてもひどい言われようですな。実際に死刑を執行する立場の公務員の方々は、どんだけショックを受けたことでしょうね。朝日新聞は朝日新聞で団体の抗議を受けてあっさり謝っているけど、それも情けないね。

さて。

公務員つながり?ってことではないですが、世間を騒がせている大分県の教員の汚職の話。

大分県の小学校教員採用汚職事件で、県教委OBで県内の私立大学教授(65)が、元小学校長、浅利幾美被告(52)=贈賄罪で起訴、懲戒免職=の長男、長女の試験前の昨年7月ごろ、県教委義務教育課参事の江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で再逮捕=に「受験するのでよろしく頼む」と伝えていたことが分かった。教授はその後、自分の病気への見舞名目で浅利被告から現金10万円を受け取っていた。現金は紙袋に入れた魚の干物の下にあったという。
この教授は毎日新聞の取材に「教え子の娘で、頑張っていたので『よろしく』と伝えてしまった。今でもお見舞いと思っているが、口利きの謝礼と言われれば、そう受け取られても仕方がない」と話している。
江藤容疑者が勤務する義務教育課人事班には、県議など複数からの口利きが判明しているが、大学関係者の口利きが明らかになったのは初めて。(以上、7/14毎日新聞より抜粋)

どんどん汚職の輪が広がっております。

この事件に関して、こんなこと書くと絶対怒られそうなんですけど、どうしても言いたいことがあります。たぶん多くの人も思っていることだと思うんですが、あえて言いますと…

自分の子供をたかが小学校教員にするために、なんでそんな必死になっているんだろう。

いや職業に貴賎はないと思うんですが、それにしてもねえ。政治家とか、医者になるとかなら、がつんとカネ積んで「ひとつよろしく」なんてシーンも浮かぶし、それだけのリスクを犯すメリットもありそうな気がしますが、小学校の先生ですよ…。そんなにうまみのある職業なんでしょうかね。小学校の先生の「うまみ」をなんとなく考えて見ますと、

・ロリコン心をくすぐる子供たちと接することができる
・ばれなければ盗撮などもできるかもしれない
・ストーカーまがいのメールを送っても、「指導の一環」で済ませられるかもしれない
・腹が立つことがあって子供を殴っても「指導の一環」で済ませられるかもしれない
・学級崩壊の現場を見ることができる

…と、そのくらいしか思いつきません。小学校の先生の方、いらっしゃったらぜひ教えてください。あと、自分の子供をどうしても小学校の先生にしたい親御さんも、いらっしゃったらぜひ教えてください。

カネを積むのはまあ論外にしても、コネがある人間がうまいこと渡り歩ける世の中なのは間違いないですね。わしの大学にもいろんなご子息・ご令嬢がいらっしゃって、「あいつらはずるいなあ」と思ったりしたのですが、最近ではコネもパーソナリティのひとつだと考えるようになりました。それを使いこなせるかどうかは、その人しだいですからね。周囲から特別視されている状態がいい具合に心にプレッシャーをかけて、立派な人間になるっていうこともありますしね。

しかしこの事件で、「まさか自分が口利きで入ったなんて思ってもみなかった」という先生たちが生み出されてしまったわけで、彼らもある意味被害者かもしれません。周りからの風当たりも相当厳しくなるのでしょうが、きちんと授業をして、生徒を指導していく中で、認めてもらうしかないでしょうね。成長するための適度なプレッシャーとは、とてもいえないと思いますが…。

えーぬるい内容ですみません。それでは。
posted by サイダー at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

秋葉原通り魔事件ついての雑感



上のニュースについて。洞爺湖サミットで先進国の首脳が日本に集結している間にも、世界ではいろいろなことが起こっております。悲惨です。

さて。

先日仕事で秋葉原に立ち寄りました。仕事仲間と二人で昼食をとろうとふらふら歩いていたら、急にあるものが視界に入ってきました。先月の秋葉原通り魔事件。その犠牲になった方を供養する壇が、事件現場となった交差点のすぐ脇の一画に組まれていたのでした。事件のあった交差点を歩いていたなんてまったく意識もしていなかったので、壇を目の前にして私と仕事仲間と二人、「あっ」と声を発してしまいました。さすがに素通りもできず神妙な気持ちで手を合わせました。

壇にはたくさんのお花と、缶ジュースなどの飲み物が供えられていました。お花は新しいものが多くて、毎日不特定の誰かがやってきては、花を供えているんだなあと分かりました。ふと壇の脇を見ると、控えめな格好をした女性が二人、じっとうつむいて立っていました。遺族の方なのかはっきりとは分かりませんでしたが、きっとご関係の方なのでしょう。

突然供養の壇に直面させられると、思考力を奪われるというか、そこで起こった様々な出来事が一気に自分の意識の中に侵入してくるような気がしました。ガンと後頭部を殴られたようで、身動きが取れなくなるのですね。

秋葉原からは歩行者天国が消え、警察官が増えました。けれど人の数は相変わらずで、歩行者天国が無くなって歩道を歩かなくてはいけない分、むしろさらに多く感じます。細い路地には小さなパーツ屋・電器屋が並び、たくさんのお客が品物を物色しています。その合間を縫って、製品を積んだトラックがそろりそろりと走る。トラックはわしらの横を通りすぎて、大通りに出る。

その瞬間、ふと思ったのです。

何のことはない光景。誰も疑わない日常。6月8日のあの日もきっとそうだったのでしょう。まさかあのトラックが――と誰が疑ったでしょうか。あの日の昼間、わしは恵比寿にいました。用事が恵比寿であったという、ただそれだけのことです。もしその用事が秋葉原だったら。いや、もしあの事件が今日この日だったら。今まさに通り過ぎた白いトラックが、あの事件のトラックだったとしたら――。

別に何か意見があるわけではなく、ただそう思ったというだけの話なのです。犠牲者は誰であってもおかしくなかった。そうであるからこそ、余計に許せない事件だと思いました。それにしても、新聞やテレビで事件を見たときと、現場を実際に見たときとで、事件に対する距離感がこうも違うとは思いませんでした。身体に入ってくる空気、緊張感がまるで違うのですね…。

事件から明日でちょうど一ヶ月になります。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
posted by サイダー at 15:50| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

コンビニ深夜営業禁止の動きについての考察


上のニュースについて。バイオエタノールの原料となるサトウキビを作るために希少生物の生息地を開拓するのだそうです。担当大臣の話が実にリアルで「地元民の利益のため」だそうです。そういえば今日、三井物産もブラジルの企業と組んで、サトウキビ畑と大規模なバイオエタノール製造工場をつくるという発表をしました。

三井物産など商社のビジネスは実に見事で、サトウキビなど作ったバイオエタノールを電力会社や石油会社に売って、まず儲ける。電力会社なんかはそのバイオエタノールを使って電気をつくる。その電気は「これはカーボンニュートラルな地球に優しい原料から作られた電気です」というわけで、「グリーン電力」なんて呼ばれます。企業はその電気をちょっと高いカネを出して買う。そうすると「グリーン電力購入証書」という「地球に優しいことをした」という印がもらえるので、それを広告とか「環境活動報告書」という書面で宣伝する。商社はそこでも、証書の購入の仲介をして、サヤを稼ぐ。食べ物を人間の口に入れず、機械に入れて、自分の腹を肥やしている人たちがいるようです。

このスキームにおける彼らの儲けの源泉は「世の中が二酸化炭素を削減しなければならないと思っていること」ですので、さまざまな費用を使って、そういう意識を持たせようと働きかけているんでしょうね。ちなみに商社は石油などの資源が高いこともあって業績は絶好調。今後も成長が期待できる業界です。今就職するならやはり商社です。

さて。

コンビニの24時間営業を禁止しようという動きが各自治体で広がっているようです。お客のろくにいない深夜まで電気を無駄に使っているということで、環境に悪い存在として槍玉に挙げられているようです。これに対しては業界からは当然大きな反発が出ており、お客の利便性や地域の防犯のために役に立っているのにおかしいじゃないかとか、営業しなくても冷蔵庫などの設備は動かし続けているのだからあんまり意味は無いじゃないか(これは居直りかな?)とか、結構な議論となっております。

役所にすれば、コンビニは夜遅い時間帯にまで煌々と明かりをつけて営業をする、電気消費・二酸化炭素排出の象徴のような存在なわけです。それを営業させませんというのは、地球温暖化防止に貢献していることを示す格好のチャンスであると。ある意味「クールビズ」をはやらせるためにネクタイ業界が悪者にされたのと同じように、今度はコンビニがスケープゴートにされようとしているわけですな。その基準はあくまで、「大衆に向けての『絵ズラとしての』分かりやすさ」です。

ちなみに深夜まで営業しているという意味で言えば、日本中に何10万機とある飲み物の自販機も明かりを煌々とつけておりますが、それは良いのでしょうか。深夜営業している飲食店は?深夜残業している我々サラリーマンは?ちなみに二酸化炭素排出減を先導する環境省の役人たちが、とんでもなく遅い時間まで働いているというのは有名な話です。

二酸化炭素排出減のために、いったい何が効いて、何が意味の無いことなのか、よくよく考えないといけませんよね。最近ふと疑問に思うのは、エコバッグ。キャンペーンのプレゼントとか、有名人のデザインとか、いろんなエコバッグが出回っているけれど、誰が買うのか、誰がきちんと使うのか分からないのにそんなにつくっても、逆に資源の無駄になるんじゃないでしょうか…。少なくともレジ袋って売り物じゃないから、お客さんが使う分に合わせてしか生産していないですよね。

あと、レジ袋は日常のゴミ出しをするときにとても重宝します。もしもレジ袋がダメということになったら、別の袋を使ってゴミ出しをしなくちゃいけないと思うんですよね。それって結局意味が無いような気がしております。愚見ですが。
posted by サイダー at 20:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。