2009年02月24日

「未来をひらく福澤諭吉展」についての雑感


おつかれさまです。ちょっと間が開きました。最近寒いですねー。今にも雪が降りそうです。

上のニュースについて。街中で何かにつまずいて転ぶ、烏龍茶を「とりりゅうちゃ」と読む、社会の窓が開いている…。この世に恥ずかしい出来事は多々あれど、これほど屈辱的なことはそうそうないのでは。まんまとDVDの万引きに成功したと思ったら、まさか小学5年生程度の少年に尾行されてお縄につくとは…。「武士の情け」という言葉が現代日本でも通用するならば、せめて警察の方は、犯人に捕まったきっかけを教えないであげて欲しいですね。

さて。今回は舞台ではなくて、展覧会を見てまいりましたのでその雑感を…。

タイトルでも書いておりますが、見たのは東京・上野の東京国立博物館で行われている「未来をひらく福澤諭吉展」。福澤展に興味のある大学時代の友人らと連れ立って、春爛漫の遠足気分で行ってまいりました。すでに1月から始まっており、主催にフジサンケイグループが入っていることもあるので、それなりに認知もされているのではないでしょうか。

週末で混んでいるかなと多少不安でしたが、実際は「それなり」で、閑散としているわけでもなく、すし詰め状態でもないほど良い状態でした(余談ですが、かつて「ゴッホのひまわり」展を見に行ったときは本当に圧死するかと思いましたね)。客層も若い人からお年を召した方までさまざまでしたが、やっぱり年配の方が多かったかな。皆さん慶應義塾出身の方なのでしょうかね。

さてうちらはと言えば、特に福澤諭吉に詳しくもない素人集団なわけですが、なんとありがたいことに!何を隠そう福澤研究の第一人者たるお方が大学時代の先輩でいらっしゃいまして、当然の如くこの展覧会にも関わっており(というかどっぷり漬かっている状態)、我々素人様ご一行のアテンドをしてくださることになったのでありました。おお何と言う天佑。

プロのガイドを味方につけた我々は、スターを取って無敵状態のマリオの如く、意気揚々と館内を進むのであった。展示内容はざっくり言うと、福澤諭吉個人の生涯や家族との営み、慶應義塾で彼が目指した理念や実際の義塾の様子、慶應から巣立って地方で福澤イズムを実践すべく頑張った先人、福澤と政府の関係、福澤の海外へのまなざし、福澤や彼の縁者が収蔵していた美術品、などのテーマで括られており、多角的に福澤諭吉を知ることができる。単純に年表を追うような展示もあるけど、テーマ・オリエンテッドな展示の方が、見せたいものもビビッドに伝わるし、良いですね。

それにしても、専門家の解説があるとわしのような行間の読めないボンクラでも理解が深まる。たとえば目の前に「福澤が北里柴三郎の病院に宛てた怒りの書簡」があっても、普段なら「ふーん、じゃあ次」で終わってしまうのだが、今回は書簡が書かれたきっかけや、そもそもの福澤と北里の付き合いの始まりなど、史料の「奥行き」を語ってもらえるおかげで、北里に対する福澤の期待や激励の思いが伝わってくる。得られる情報の濃度がまるで違うのである。

展覧会も演劇も、これまで一人で行くことが多かったのですが、思えばなんともったいない時間の費やし方をしたものだろう。さすがにその世界の第一人者に毎回お願いするわけには行かないけれど、やはり誰か、それなりに知っている人と一緒に見るのが賢明でしたね。いや、もったいないことをした…。

上記の「怒りの書簡」や「福澤と勝海舟の喧嘩」などいろいろと面白い展示が多かったけれど、特に印象に残っているものがふたつ。ひとつは慶應義塾の設立理念として掲げられた「気品の泉源、智徳の模範」という言葉。義塾を「気品の泉源」として、「智徳の模範」となるような人材を社会に輩出していきたいという福澤の思いがこめられています。当時この言葉を掲げて社会に向き合うその姿勢に感ずるところも大きいのですが、なんと言っても声に出して読んだときに凛と響く、この言葉そのものの持つ強さ、美しさにやられてしまいました。恥ずかしながら、「福澤はこんな素晴らしいことを言っていたのか…!」と。「好きな言葉」なんてものは特になかったわたくしですが、今後問われれば即答でこれです(笑)

そしてもうひとつ印象に残っているのは、福澤の死を知った市井の一女性が、遺族に対して宛てた一通の書簡。福澤は男尊女卑が当たり前の時代にあって男女の平等を説いた人であり、それゆえ彼の死を知った世の女性たちが、こぞって葬儀に参列したと言われています。別にそれ自体はどうでも良くて、大事なのはその女性の書いた文章です。中身は女性の地位向上に貢献した福澤の死を悼むものですが、文中に何度も、「ご遺族の方の無念さはいかばかりかお察しする」「葬儀で慌しい折に、このような手紙を送って申し訳ない」「本来直接仏前に参るべきところ、手紙を送るだけで申し訳ない」という記述が出てくる。自分のことをどうだこうだと言うのではなくて、(おそらく面識もない)遺族たちを慮りながら、心をこめて手紙をしたためていることが、文章から滲み出るように伝わってくる。弔事はもちろんですが、そうでなくとも「手紙とは本来、かくあるべし」と思い、深く心に残ったのでした。

ふと我が身を振り返れば、メールでも電話でも、自分の用件だけを一方的に伝えることのなんと多いことか。「〜〜になりましたのでよろしくお願いいたします。」「〜〜していただけますと幸いです。」という具合で、表現は丁寧だけれども、相手への惻隠などというものはゼロに等しい。さらに考えてみれば、仕事をしていて「すごく優秀な人だ」と感じる人たちは皆、相手の立場や置かれている状況に対する深い洞察力を持っていて、実に懐の深いコミュニケーションをしているではないか。

福澤が死去したのは1901年。一世紀以上も前の、名も知らぬ女性の書簡によって、己の未熟さを知らしめられることになろうとは…。本当に「いやはや」という思いである。

先輩に展覧会を案内してもらいながらしみじみと思うのは、「福澤諭吉研究」でも何でも、ひとつの物事を学び究めるということの大切さについてである。どんなことでも、究めれば、教えられる。教えることで、喜んでもらったり、楽しんでもらったり、納得してもらったり、とにかく世の中の役に立つことができる。立派に存在する意義があるのだ。自分など、日頃偉そうなことばかり言ってはいるが、仕事を始めてからこれまでの間に、何か「これなら誰にも負けない」「誰よりも知っている」と胸を張れるものをひとつでも得ることができたであろうか…。道のりは遠い。

以上、なんだか、反省ばかりの感想になってしまいましたが、バラエティーに富んだ展示が楽しめる展覧会ですので、興味があればぜひ足を運んでみてください。3月までやっているようですので。もしかしたら展示を見ながら「己への気づき」が得られるかもしれません(笑)
posted by サイダー at 00:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月09日

タレントブログ炎上・書類送検事件についての雑感


おつかれさまです。「みすず学苑」の電車内の広告が気になって仕方がない今日この頃です。与謝蕪村が合格通知を破って食べている絵が載っているシリーズをご覧になった方はいらっしゃいますかね。あのセンスには素直に脱帽でございます。どこまで広告として効いているのかはともかく…。

上のニュースについて。戦争の主役がロボットにとってかわるという話。自分が子供の頃は、今ぐらいにはそんな世の中になっているという予測もあったような気がします。いずれにせよちゃんと戦闘員と非戦闘員の区別をつけて殺しをやってほしいものです。でないと「ガンダム00」の「オートマトン」みたいなことになりますからね…。

さて。今回気になった、というのか、心を揺さぶられたのはこのニュース。

これまで放置されてきたネットの“暴力”に捜査のメスが入った。お笑いタレントの男性(37)のブログに、このタレントが「足立区女子高生コンクリート詰め殺人事件に関わった」などといった中傷を書き込んだとして、警視庁は5日までに、男女18人を名誉棄損や脅迫の疑いで、書類送検する方針を固めた。警視庁が書類送検する方針を決めたのは、大阪府高槻市の国立大職員の男(45)、千葉県松戸市の男(35)、札幌市の女子高生(17)ら18人。すでに家宅捜索を行い、証拠品を押収したという。(以下略、2月5日付ZAKZAKより引用)

以下、当局の手によって、男性タレントが事件に一切関与していないということが自明であるという前提で話をしますけど、あまりにも悲しい事件が起きたなと思いました。かと言って、こういうことがレアなことなのかというとそんなことは全くなく、「ネット」「書き込み」「逮捕or書類送検」の3点セットで検索するだけで、こんな話が出るわ出るわ。どっかに爆弾を仕掛けたとか、特定の誰かを殺すと言って捕まったりしている事件が本当に多い。

そんな中で、上記の記事でどうして心を揺さぶられたのかというと、二つ要因がありまして。ひとつは、被害者のタレントがよく見ていた「タモリのボキャブラ天国」(名番組です)に出ていた人ということと、もうひとつは、上記引用には載っていませんが、書類送検された人々が言った言葉があまりにもショッキングだったこと。

「まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかった」

まあそりゃあ、検察に送致される経験なんて人生ざらにありませんから、そう思うのもわからなくはないですけどね。「あまりにも…」という気持ちになりました。

書類送検された18人の行動を整理すると、ネットで男性タレントが事件の犯人なのではないかという話がまことしやかに流れているのを見聞きし、それを「事実」と信じこみ、その男性タレントのブログに過剰な表現で名誉を棄損する書き込みをしてしまった、という感じですかね。

ネット上の情報は玉石混交あるし、別に嘘の情報を本当と信じ込んでしまったことについてとやかくいう気はしません(現に自分自身がそうなっていることもある)。けれども、そこからどうして、タレントのブログに「人殺し」とか書き込むことに行きつくのでしょうか。あまりにそのタレントを愛していたがゆえに、その気持ちが一気に憎しみへと変化し、ほとばしる思いが書きこみをさせてしまったのか。日ごろタレントを貶めたいと思っていて、チャンス到来とばかりに渾身の思いで書きこんだのか。

まあ以上のようなことはあるはずもなく…。答えは明らかに、別に何の気もなく、面白半分でただ書き込んだというだけの話ですよね。このタレントやコンクリ詰め事件に特に関心を持っているわけでもなく、実体的にも感情的にも、何のステークホルダーにもなりえない立場からの書き込み。それが「まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかった」という言葉につながっている。

自分の発言が、発言の向こうにいる人に対してどんな影響をもたらすか、キーボードを叩いている間一切考えることもない。ましてや、「自分の発言の向こうにいる人」が誰なのかすら認識できず、ただ自分の発した言葉は広大なインターネット空間に投げ込まれ、漂うだけとしか思えないのかもしれない。インターネットのもたらす有意義な影響のひとつである「想像力の欠如」が面白いくらいに発揮された事例です。

札幌市の女子高生は、その日すごく嫌なことがあって、むしゃくしゃしていたのかもしれない。もしかしたら自分と同じくらいの少女が殺されるというこの事件に対して、悲しみ、憤っていたのかもしれない。けれどその憤りの詰まった文章を、例えば大好きな彼氏や、両親に見せたら、果たしてどんなふうに思われるか、ちょっとでも考える隙があったか。

国立大職員の男性は、人生の後輩に対して、教育の現場に立つ者の思いを込めた厳しい書き込みをしたのかもしれない。しかしその文章は、自分の妻であったり、子供であったり、職場の同僚に「自分の書いた文章だ」と言って、堂々と見せられるものであったか。

キーボードに手を当てて、モニター越しに偉そうにこの世を俯瞰し、自分の言葉を海に放り込んでいるような感覚での言論を可能にするインターネットは、やはり使い方を教え込まなければ究極に危険な道具になりうる。人類を最も不幸にする発明は、「原子爆弾」でも「進化論」でもなく、この「インターネット」であるような気がしてならない。

かくいう自分だって、書類送検した彼らに対して、ネットの中で上からものを言っているようなこんな文章を書いている。それが下手をすれば、「女子高生くらいの歳で書類送検されるなんて、起訴猶予になったとしても人生終わってる。男10人に次々強姦された方がまだまし」とか「ずいぶん知能程度の低い国立大職員もいるね。脳の異常を見てもらった方が良いんじゃないの」というようなトーンにだってなりうるし、この事件が発生してからすでにネットでそういうことを書いている人たちもいるんだと思う。わしも気分次第ではどうなることか…。

新聞や雑誌などで文章を書くことを生業としている人たちは、自分の文章が世の人の目に触れるまで、いろいろな人に何度もチェックを受ける。事実と違いはないか、行き過ぎた表現はないか、読者を誘導する表現はないか…そうやって何重にも客観性のフィルターを通される中で、自然と文章が研ぎ澄まされていく。書き手も厳しいチェックを意識するからこそ、自分の名前で、誰に見せても通用するものを仕上げようと、努力を怠らない。そのプロセスに一貫して流れているのは、「人に見せて恥ずかしくないものを仕上げる」という文章のプロとしての矜持である。

「オールドメディア」と呼ばれ、この不況もあり凋落著しい新聞・出版業界。どんどん倒産も出てくることが予想されるが、それとともに文章ひとつひとつに懸けるプロの矜持までこの世から失われていってしまっては相当まずいと思う。言論が世に出るプロセスを認識させる仕組みだけはなんとか残しておきたいものである。

最後に。以前もちらっと触れているとは思うけど、これからは物心ついた時からネットに触れているのが当たり前という人たちがどんどん世の中に溢れてくる。現実のリアルな人付き合いではきちんとしているのに、ネット上では制御する存在がないために「想像力の欠如」に陥ってしまう人がいるのが現在の世の中。今後は、生まれながらにネット上で「想像力の欠如」したコミュニケーションを行っている人たちがリアルな場に出てくることが予想される。しかも大量に。

果たして、彼らを制御する術はあるのか。あるとして、我々はそれを持ちえるのか。
posted by サイダー at 01:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月04日

家電についての雑感


2月になりました。わしの周りでは病気で次々と人が倒れていっています。皆さんは大丈夫でしょうか?中国ではこの時期、毎年地味に鳥インフルエンザで人が死んでおり、距離的に近い九州地方なんかも「鳥→鳥→人感染」が起こり得るんじゃないかと、ひそかに心配しているわたくしでございます。

上のニュースについて。大手メーカーの第三四半期決算と通期見通し発表が集中する昨今。日立製作所のみならず、東芝やNECも赤字転落、パナソニックも赤字見通しと、大手電機メーカーは非常に厳しい状況に追い込まれている。今回のテーマは、そんな苦境の各社とも関係の深い家電について。

最近テレビを見ていると、やたらと家電がテーマの番組が多い。「家電芸人」などのキャラ付けまでして、こだわりを語ったり、量販店を巡ってみたり。以前、放送作家の鈴木おさむ氏(森三中のうちの一人と結婚して『ブスの瞳に恋してる』を書いた人、といったほうがわかるでしょうか)がAERAの連載コラム中で、「『アメトーーク』でやった家電トークの視聴率がことのほか良く、こぞって他局も『うちも家電モノができないか』と動き始めている。これからどんどん家電を扱う番組が増えていくだろう。絶えず視聴率を気にして、良いネタがあればそれに便乗するのはテレビの特性である」という趣旨のことを書いていたが、まあそのとおりになった。

テレビ局も不況の煽りを受けて広告収入が低下し、赤字に転落する局も出ている。番組制作費がどんどんカットされていく中で、視聴率が取れるか分からない冒険的な試みをするよりは、「成功例」に乗っかるほうが良い。そして番組で家電を扱うということであれば、それを見る視聴者も家電に興味があるということになるので、メーカーや量販店から広告を引っ張りやすくなるという算段もしているのでしょうね。「番組内で御社の商品を強調して取り上げるので、つきましては…」というバーター交渉も行われているかもしれない。

端的に言うと、そこまでやらないと広告費を引っ張り出せないくらい、大手の家電メーカーが疲弊しているということ。ニュース番組では「赤字と消費低迷に苦しむ大手家電メーカー」と報じられつつ、バラエティ番組では「このメーカーのこの家電が熱い!」と打ち出していくという、ちぐはぐな状況が今後しばらく続くことでしょう。

引越しをしてみて思ったことですが、日本は本当にたくさんの優良電機メーカーがひしめいていると思います。新居に合わせていろいろと家電を新調し、改めて室内を見渡してみれば、冷蔵庫はシャープ、エアコンは日立、テレビと炊飯器は東芝、DVDプレーヤーはパイオニア、照明と食洗乾燥機はパナソニック、空気清浄機はダイキン、パソコンは富士通、プリンタはキヤノン、音響機器がソニー、洗濯乾燥機が三洋…という具合に、ほとんどメーカーがかぶってないことに気付く。

別に意図してばらしているわけではなく、量販店に行って「これが良いな」と思う商品をただ買っているだけなのに、こんなことになっている。しかもそれぞれの商品で断トツのナンバーワン企業があるというわけではなくて、毎度複数のメーカーが候補に挙がっては、長所短所いろいろ悩んだ末に「かろうじて」の差でお買い上げになったり、ならなかったりしている。

そのこと自体はまさに技術大国ニッポンのすごさを感じさせるものではあるが、さすがにもう限界がきているような気がする。電機の分野では日本よりも後発の韓国は、世界に通用するメーカーでは三星、現代、LGくらいしかないと思いますが、得意分野に注力し、それぞれが世界シェアトップクラスの事業を持っている。かたや、高い技術を持ちながら必ずしも圧倒的な分野を持つ企業ばかりではないのが日本。それゆえに量販店など流通サイドとの力関係上、どうしても弱い立場に立たされてしまいやすく、こういう不景気になると一気に苦境に立たされる。最近では特に流通側の再編が進んで、さらに価格交渉力が強まっている現状もあります。

パナソニックが三洋電機を買収するという話は大きく取りざたされましたが、これはいわば、いずれ日本のメーカーが通らなければならない道に、ついに差し掛かったのだと思います。工場や人員を整理しなければならないほどの逆境の中にあって、いかに「攻め」のためにカネを張っていけるか、生き残りを賭けて、経営者には非常に厳しい決断が迫られているのではないでしょうか。
posted by サイダー at 00:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。