2009年03月31日

仮称「勉強会」について


お疲れ様です。おそらくは今年度最後の更新です。

小話。わしが大学時代に就職活動をやっていた頃から履いていたビジネス用革靴がありまして。踵の辺りがぼろぼろになっており、捨てようかとも思いましたが、ひとまず駅ナカでやっている靴修理の店に出してみようじゃないかと思って家から持ち出しました。店頭には「もう20年くらいいろんな人の靴を見ているよ」風の熟練したおじさんがおり、靴を見せて相談してみると、「こりゃあダメだな」と(そんなぞんざいな言い方ではないけど)。要所の革がだいぶ痛んでおり、張り替えようとすると余計変なことになっちゃうようでした。

もともと捨てようと思っていた革靴でも、こうやって改めて「捨てるしかない」と認識させられると、寂しく感じるものですねえ…。と、そんなこぼれ話でございます。

上のニュースについて。ドバイ……おそらくは昨年の前半と後半とで、180度様相が変わった都市のひとつではないでしょうか。たまたま先日NHKスペシャル「沸騰都市」で、「沸騰都市のその後」という題目で番組をやっており、その中でドバイが登場。08年初にはこの世の建設機械の3分の1が集中しているなどと言われていたあの都市も、リーマンショック以降、不動産価格が4割、上場会社の株式価格に至っては7割も下落するという、地獄の様相を呈しているそうです。不要になった建設機械が捨て値同然でオークションに出され、それを求めてやってくる建設業関係者で街が賑わっているという、なんとも皮肉なエピソードもありました。

わしもドバイには昨年新婚旅行で訪れているのですが、その時は今とは別の意味で「ドバイの最後の輝きを見よう」と思って旅行先に選んでいました。景気が上向く一方でしたから、「今後別の場所に第二・第三のドバイができるだろう」と思っていたんです。どうやら、当初の目論見とは真逆の「最後の輝き」を見てきたようですね…。カルティエも、引くに引けない崖っぷちの決断での出店でしょう。旗艦店のPR効果はさておき、実利ベースでは非常に厳しいラインではないでしょうか。

さて。今回も「雑感」ではなくてですね、なかば、やっていることの告知に近いです。

タイトルのまんまなのですが、知人らと共同で仮称「勉強会」という集まりを始めました。参加者が持ち回りで講師となり、仕事のことでも趣味でも何でも良いので、とにかくテーマを決めて一時間話をする。受講者はその話を聞きながら、意見やら疑問やらを自由にぶつけてみる、という非常に単純な集いです。

初回を今月開催しまして、発起人であるところのわしの友人とわしが講義をしました。彼は弁護士なのでその知見を生かしつつ「人を裁くことの意義とその変遷」というタイトルで裁判員制度についての話をしました。制度創設に向け当初掲げられていた目的が、どうも現状追求されている制度の機能とかけ離れているのではないかという話や、実際に裁判員になったときに当事者が行うであろう「事実認定」の行い方の話など、興味深い話やためになる話が聞けました。わしは迷った挙句、自分のいる業界に絡めての話を少々しました。

参加者は発起人が少しずつ引っ張ってきた知り合いと合わせ8名ほどのこじんまりとした規模ですが、学生時代のゼミのような乗りで、かえって良かったように思いました。講義の後は、もちろん近くの居酒屋で懇親会。そこは昔からわしの大好きな店でございまして、当然のごとく勉強会計画初期段階から、そこで懇親会をやるということを重要事項として織り込んでおいたのでした(笑)。わしは行けなかったのですが、初対面同士の人もそこそこいる中で、自然と二次会に行こうという声が上がったのはうれしいことでした。

などと、思い出を日記のようにつらつらと書いていても仕方がない。まあ要は、参加したい人がいらっしゃれば、ぜひお越し下さいということが言いたいのであります(わしの連絡先知っている人に限定されちゃいますが…)。

そもそもこの集まりを始めた理由は、知識の共有とでも申しましょうか、仕事でも研究でも趣味でも、人にはそれなりに経験に基づいて語れる分野があるはずで、それらの知見を皆で教え合えたらよいなと考えたからです。素人が専門の本を読むよりは話を聞くほうが吸収しやすいし、時間もかからない。浅くはあるものの広い視野の獲得にも寄与できる。悲しいかな日々自分のやるべきことに追われてしまうとなかなかインプットの時間がないし、自分の「本業」と関係なさそうな物事についてはどんどん遠ざかっていってしまいます。だから無理やりでも、なんの役に立つのか分からない話を聞く場を設けよう、と。堅い経済の話でも良いし、おいしいコーヒーの淹れ方でも良いし、旅で訪れたウズベキスタンの生活でも何でも良い。もしかしたらその中で偶然、自分の仕事や研究に影響を与えるようなスマッシュヒット講義に巡り合えるかもしれませんしね。可能性は低いですが、何もやらないよりは高いでしょう。

個人的には、西周が「エンサイクロペディア」を日本語に訳したところの「百学連環」という言葉の持つイメージを大切にしつつ、名番組「タモリ倶楽部」で大の大人たちが電車に乗ったり、音響機材見てわあわあ興奮しているようなマインド・好奇心もまた大切にしつつ、大学の教養学部をもう一度やりなおす「大人の教養学部」というか…、まあそういう場にしていきたいなあと思っています。

やがてはアメリカ軍基地や裁判所法廷など一人ではなかなか行かないようなスポットに皆で行ってみる「大人の社会化見学」をやったり、多少参加費を徴収して、誰か著名人に講演に来てもらう催しなどもやったりしてみたいですね。

よほどのことがない限り毎月一度のペースでやっていこうかと考えています。次回開催は4月18日(土)。場所は都内某大学校舎内(正式な手続経て借りております)。日本の昔の文字の解読方法や、旧約聖書、IT業界についての講義が開かれる予定です。さっそくむちゃくちゃなテーマになってきています。そういうのが、いいんですよねえ(笑)。

上記趣旨に賛同の上参加ご希望の方はどうぞご連絡下さいませ。こういうオープンな場で告知しておきつつ非常に非常に恐縮ですが、あくまでリアルなわしを知っている方を念頭に置いております。それ以外で参加したいという方が万が一いらっしゃれば…連絡方法などやり方検討いたします、はい(いないと思うのですが…)。

それでは、新年度もがんばりましょう&よろしくお願いします〜〜。
posted by サイダー at 09:16| Comment(5) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月27日

心に響いた一言


おつかれさまです。ここのところ割と調子よくブログを更新しております。もしかして自分、暇なのかしら……?

上のニュースについて。ついに、モルガン・スタンレー証券が三菱に両膝をつく形になりました。昨年MUFGによって9000億の資本注入が行われて以来の新たな動きです。社名などは今後詰めるということですが、まあ必ず名称の先頭には「三菱」が冠せられることでしょうね。

非常に気になるのは統合後の社員の待遇を、どうやって調和を取っていくかということです。金融業界のことはよくわからないのですが、モルガンと三菱UFJとでは、社員に支払われる給与・報酬に非常に大きな格差がありそうな気がしております。あくまでイメージですが、端的に言うと、モルガンの方ががっつりもらっているように感じております。そんなモルガンにいた人たちが、新しい会社での待遇に満足できるものかどうか。モチベーション維持・人材流出阻止という観点から、非常に気になります。

それにしても、わしが学生だった頃は「外資系金融万歳」という感じで、帰国子女はじめ英語ができる人はこぞってモルガンなどの外資系に就職したがったものです。それが今や、リーマンは破綻し、AIGは国に命を救ってもらい、モルガンも三菱がカネを出さなければ死んでいたというところにまで至っているのですから、隔世の感がありますね…。それでもなお外資系人気が衰えていなかったとしたら大したものですが。

さて。今回は「〜〜についての雑感」といういつものタイトルと趣を変えてお届けいたします。これまで生きてきていろいろな人に出会い、さまざまな経験をして、なんとか今までやってこれているわけですが、そんな中、今でも心に残っているさまざまな一言がございます。直接聞いたり、本で読んだり、テレビで見たり、伝わり方こそ違えども、どれもわしの人格形成に非常に大きなインパクトを与えた言葉。備忘録も兼ねつつ、そんな言葉たちをいくつか紹介していこうと思います。


▼「世話になっといて、労いの言葉一つかけられない人には、誰もついていかない」

ふと思い出すたびに胸が痛むのがこの言葉です。話は大学時代に遡ります。

わしは芝居のサークルに入っていたのですが、そこで裏方のあるセクションのリーダーをやることになりました。「制作」と言って、芝居のチラシを印刷に出したり、チケットの販売をしたり、予算を管理したりと、まあこまごまとした業務の多いセクションでした。

ある日、とある事情から追加で紙の作りものをして、手作業で折り込んで封筒に入れるという、割とめんどうな作業をやることになりました。それも大量に行わなければならなかったので、他のセクションのスタッフにも手伝ってもらって、朝から晩までかけてなんとか終わらせました。その時に、同じ制作セクションでわしの下についてやっていた同期の女性から言われたのが、上述の一言であります…。

まあ、本当にその通りというか…。酷いもんですね。「やってもらって当たり前」とか、そこまで駄目な考えではなかったものの、当時は「ありがとう」と言葉で示すことがものすごく苦手だったし、代わりに、お返しに、お礼に、何かやってあげようとか、そういうマインドが一切なかったように思います。自分の損得や都合ばかり考えていて、相手のことなど思い遣る隙さえなかった。上の言葉を浴びせられたにもかかわらず、結局行動が改まってくるまでにかなりの時間を要したように思います。

ちなみにこの言葉を発した主である女性は、当時から非常に大人というか、自分の挙動によって相手の気持ちがどんなふうに動くかを手に取るようにわかっている人でした。当然の如く大変モテましたが、同じ年代の学生などは相手せず、年上の社会人と付き合っていたんじゃないかな。そんな彼女からすれば、上の言葉はどうしようもなさすぎるダメ男に対して、憐憫の情をこめて発した一言だったに違いありません…。


▼「見えないからできない、じゃなくて、何でも挑戦してみようと思います。わたしには、できないことは、何もない」

テレビのドキュメンタリー番組から。パラリンピック出場を目指し、毎日水泳の練習に打ち込む全盲の少女が、ドキュメンタリー最後のシーンで言った一言。

水泳を始めたばかりのころは、あまりの恐怖で飛び込み台から一歩も動くことができず、震えながら泣いていた彼女。厳しい練習に耐え、時には挫折を味わいながらも、よき理解者である母親と一緒に頑張ってきた3年間。その集大成として迎えたパラリンピックの国内選考会で、彼女は基準タイムを大幅に上回る素晴らしい記録を残しました。次はいよいよ世界へ。新しいステージに挑戦する彼女が、カメラに向かって力強く言ったのが、上の言葉でした。

手元のティッシュが尽きるくらいの号泣っぷりで視聴いたしましたが、これは本当に心を打たれました。胸を張り自信をもって、「できないことは、何もない」と話すその姿勢に感じ、同時に、自分ができないこと、やりたくないこと、それら一つ一つをいちいち周囲の人や状況のせいにして正当化しようとする言動、つまり自分に言い訳をしている自分自身の態度がとても恥ずかしくなったことを覚えております。

もちろん今でもそういう部分は多々ありますが、そんなときには彼女の言ったこの言葉を大切に思い出し、少しでも彼女の境地に近づくべく、自省しているのでございます。


▼「いいよ〜〜〜〜っ!」

これは、わしに向けてではないのですが、小学校のときに友人が言った言葉です。

教職の資格を取るために大学からやってきた教育実習生が、しばらくの間授業を行うというのは皆さん経験があるかと思います。比較的歳も近くさわやかな先生のたまごたちに接して、淡い恋が芽生えたりするのですよね(笑)。わしが何年生の時だったかもはや忘れてしまいましたが、その年もまた実習生が数名やってきて授業を行いました。実習最後の日には体育館で全校集会が開かれ、実習生がひとりずつお別れの挨拶をします。その時に、ある男性の実習生が挨拶の中で一言、「僕が無事に先生になれたら、またこの学校に戻って来てもいいかな?」と言ったんです。そしたら、わしの隣にいた友達がすかさず、体育館中に響き渡るくらいの大きな声で、叫んだんですよね(笑)。

叫んでからほんの一瞬、しーん…となって。その後、先生も子供たちも一斉に「おおおおおおおっ!」と。当の実習生は挨拶の後、ステージを駆け下りて彼を抱きしめておりました(笑)。真心から発せられた言葉というのは、たとえ拙いものであったとしても、虚飾に満ちたどんな言葉にも増して人を動かす力がある。当時のわしはもちろんそんなことを考えていたはずもなく、単純に「こいつ、すげえな(普段はろくでもないけど)」と思っていたくらいでしたが、大人になってだんだん心が汚れてきたあたりから、「やっぱりそうだよな…」と、ボディーブローのようにじわじわと染みてきている。そんな名言でございます。


こうやって文字に落としていきながら、上に挙げた言葉たちを反芻すると、自然にその言葉と出会った当時のことが思い出され、甘酸っぱかったり、苦々しかったり、いろいろな感情も一緒になってよみがえってきますね…。回春効果がある記事です(笑)

ずいぶん自己満足な内容になってしまったかもしれませんが、今回は以上です。それではまた来世〜〜。
posted by サイダー at 02:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

子育てについての雑感


おつかれさまです。2年ぶりくらいに、ブログのデザインをいじってみました。前のペンギンがいる赤と黄色のデザインのもよかったのですが、さすがに飽きてきたので、さわやかな緑と白を基調としたこちらのデザインに。いかがでしょうか。

上のニュースについて。燻り続けるアフガニスタンの争いの火種。アメリカは軍の増派を表明していますが、この国が真に平静を取り戻し、多国籍軍が役目を終えて撤退するまでのゴールイメージはそこにあるのでしょうか。憎しみの連鎖が始まり、アメリカの行いが第二第三のタリバンを生むスパイラルを深めているだけなのに、一度介入すると容易に後には引けない。そういうことではないのでしょうか。

さて。今回も自分の近況が主な内容になってしまい、恐縮ですがお付き合い下さい。

昨年末に長女が誕生したことは、このブログでもちょこっと触れさせていただきました。おかげさまで元気に成長し、抱きかかえるたびに「この前よりも重くなっている気がする」と感じます。近頃やっと首が据わってきたようですが、油断するといきなり頭が変な方向にガクッといってしまうので、気をつけねばなりません…。

自分に子供ができてみると、当然のことながら、子供ができる前と考え方が変わったことや、新しく考えるようになったことがいくつか出てきます。そういう頭の中の変化について、自身で反芻しつつ少し書いてみようと思います。

@ 子育ては大変である

子供ができて生まれた思考の変化、その中でも一番大きなものと言えば、これに尽きます。子育ては大変です。「そんなこと言われなくたってわかっているよ」と言われてしまいそうですが、大変であるということが身をもって理解できました。最近はあまりなくなったのですが、生まれてきて最初の頃はとにかくよく泣いて、どんなに夜遅く、こちらが疲れていてもおかまいなしでした。機嫌を取ろうと抱きかかえてあやしても、泣きいらだつ。ようやく寝静まったかと思って、布団に寝かせると1分も経たないうちにまた泣き始める…。毎晩毎晩そんなこと繰り返しで、正直な話、大声で泣いているわが子を見て、ついカッとなって苛立ったこともありました。

日中も、寝ているときはもちろん、起きているときも、ひとりにはできないので絶えず傍にいる必要があります。落ち着いているときは本を読んだり、パソコンを触ったりしていられるのですが、機嫌は箱根の山の天候のようにころころと変わるので、いきなり泣き出すこともしばしば。そうすると、寝かせたままでは泣きやんでくれないので、こちらの用事は後回しにして抱いてやらないといけない。楽をして抱いて座ろうとすると、手抜きがばれるのかまた泣き始めるので(笑)、立って歩きまわりながら落ち着くのを待つ。そんなことをしているうちに30分とか1時間があっという間に過ぎていきます。

外に散歩に連れていこうにも、暑さ寒さを考えてそれなりの身支度をしてあげなければならず、外に出るまでが意外と面倒くさい。いざ外に出ても、人ごみの中でベビーカーを押して歩くのはなかなかに気を張る必要がある作業で、家に帰ってくるとかなりの疲れを感じることがあります。風呂に入れるときでも、自分のことは後回しで子供の面倒をみることになります。風呂から出てしっかりと身体を拭いて、服を着せて、かぶれ止めのクリームを塗って…とやっていて気がついたら、自分は風呂に入ったんだか入っていないんだかわからないくらいに身体が冷え切っていたこともありました。

なんてことを大変そうに書いていますが、子供の世話をやっているのはほとんどが妻で、わしは平日の朝や土日ぐらいです。それに加えて食事を作ったり洗濯をしたり、買い物にも行っています。とても大変なことです。子供を抱きかかえるときに負担がかかったのか、彼女は腰を痛めてしまいました。それでも、泣いている娘をあやすために、抱きかかえるのをやめるわけにはいきません。娘はこれからどんどん大きくなって体重も増えていくでしょうが、だからと言って放棄できないのです。

ふと、毎日の子育てを、自分ひとりでやらなければならないとしたら、いったいどういうことになるか考えてみます。子供の世話を第一に行うとして、自分のこともしなければならない。生きていく上でお金を稼ぐために働く必要もある。細々とした雑用もあるでしょう。夜、布団に子供を寝かせつけながら、自分も疲れ果ててそのまま寝てしまうような暮らし。いつ、どこで、何をしようにも、絶えず子供のことが頭の片隅にちらついているような暮らし。友人知人とゆっくり酒を酌み交わしたり、のんびり舞台を見に行ったりするゆとりなど、物理的にも心理的にも持ちえないのではないでしょうか。

そんなわけで、改めて、子育ては大変である。だから自分が頑張っているということを言いたいのでは毛頭ない。世のすべての母親、特に、何らかの理由によって独りで子供を育てている「シングルマザー」と呼ばれる人たち、その毎日の奮闘に頭が下がる。また育児を理由とする時間短縮勤務という働き方を選んだ女性に対して一時期、「中途半端に働いて…」という思いを抱いていた自身の不明を恥じる。もしかしたら職場よりもきつい仕事をしに、これから出かけるのかもしれないからである。そして、ワイドショーで躍る「幼児虐待」という言葉と共に面白おかしく報じられる事件に対して、「人格の伴っていない愚かな親がこういう事件を起こす」と断罪していた自身の不明を恥じる。個人差はあれ、子育ては心身に疲労を蓄積させるものであり、その蓄積と回復との微妙なバランスのずれにより、悲しい事件を起こしてしまう可能性を誰しも持っているからである。正直自分だって、どうなるか分からない。

とにかく今は、嫁の足を引っ張ることのないよう、尽力してまいる所存です…。

A 待機児童と子育て支援

もう一つ最近考えるようになったのが上記について。うちは共働き世帯で、今は嫁が育児休業中で、子育てに専念できることになっている。ありがたいことに、給料も通常支給の何割かがもらえている。ただしそれも今年いっぱいまでの話。そのタイミングを向えるに当たり彼女は、会社に戻って働くか、辞めるのかの選択を迫られることになる。

働く場合には、このままでは日中子供の世話をする人間がいなくなってしまうので、何らかの措置を講じる必要がある。一つには、わしが育児休業を取得する、もしくは会社を辞めて主夫となるという選択肢がある。あるのだが、育児休業ではその場しのぎに過ぎないし、辞めるというのは現在の生活の維持と今後の生活のための貯蓄を考えた時に、明らかにナンセンスである。

わしか嫁の両親に、日中世話をしてもらうという選択肢もある。ただし、双方地方に住んでおり、特に嫁の実家には家業などもあるので難しい。わしの両親はまだ可能性があると言えるが、向こうの土地や家をどうするのか、こっちでの住まいをどうするのか、何より彼らがそんな生活に納得するのか、まったく未整理である。

順当に考えれば、子育てに関するその道のプロ、保育園に預けるという選択が最も可能性があり、妥当であるようにも思われる。しかしながらそこで、よく言われる「待機児童」の問題が出てくる。保育園に入所する資格があるのに、入りたくても入れず、空きを待っている状態のことである。数年前から国が主導して、待機児童数を減らすために保育園の許認可の緩和などの施策を行っているものの、その進捗度合いは都道府県によってばらつきがある。そして何を隠そう、今わしらが暮らしている場所は、待機児童数に関しては全国でトップクラスなのであった…。

今年中になんとか入ることができればよいのだが、そもそも入ることさえ難しいのであるから、生活にうまく適合する立地やサービス内容、料金など、さまざまな条件にぴったり折り合うということは全くと言っていいほど期待できないのではないか。どこかで妥協する必要が出てくるのだろう。

そして万が一入ることが出来なかった場合。このときはもしかしたらわしが育児休業をとることになるかもしれない。確か最大半年間取得できたはず。その間になんとか保育園に入れることが必要になる。それでも保育園に入れなかったら…、考えたくはないが嫁に仕事を辞めてもらうこともいよいよ視野に入れる必要が出てくる。彼女のもたらす収入が丸ごと無くなってしまうというのも、我が家にとってはかなりの痛手であるのだが。

最初から彼女が「辞める」という選択を望むのならば、それを尊重するまでのことだが、おそらくそんなはずはない。家では子育ての合間を縫うように英語の勉強などを続けているし、何を隠そうビジネス・スキルという点で見れば、むしろ彼女の方がわしよりも余程高い能力を持っているのであった…(謙遜ではなく)。そんな彼女が「仕事を続けたい」と言った時に、それを駄目だという権限は、少なくともわしにはないし、できれば今後も仕事を通じて、お互いを高め合っていく、良い意味での緊張関係を保ちたいとも思っている。

ではどうしたらよいのか…と、そこまで考えつつ、結局いつも結論をみることはない。「まあこれまでの人生も運が味方してくれた部分が大半だから、今回も意外とあっさり保育園に入れるのではないか」という、現実逃避と紙一重の妙なポジティブ思考が湧き上がってくることもある。

日々の子育てという、やや刹那的・即時的な作業に加えて、これからの子育てをどうしていくかという、長期的な計画も行わなければいけない。娘の寝顔や泣き顔を見ているうちにあっという間に過ぎていく24時間の積み重ねに、気がついた時に押し潰されていたということのないように、今のうちから突っ込んだところまで考えなければいけない。いけないのだが、なかなかできない。できないうちに時間が経つ…。断ち切るタイミングを決めるのは、自分次第である。


以上、明らかに子供ができる前には考えなかったことをいろいろと考えるようになった昨今でございます。同様の状況に置かれている歳の近い友人知人もちらほらいますが、彼らもやはり同じように考えたり、悩んだりしているのでしょう。嫁は毎日インターネットの子育て掲示板のチェックを欠かしません。日々の投稿は膨大な数に及び、子育ての後輩に向けた役に立つアドバイスもあれば、愚痴とも何とも似つかぬ独白もあるよう。

子育て。とかく、大きなテーマです。
posted by サイダー at 03:29| Comment(3) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

久々に、五月雨式に雑感


暖かくなってまいりました。ありがたいことです。花粉や黄砂は飛びまくっているようですが。

上のニュースについて。また負けてしまいました、サムライ・ジャパン。日本では相当盛り上がっているこのWBCですが、今一つ流れに乗れていない私であります。日本は韓国に勝ったと思ったら負け、それでいて強豪キューバには快勝し、でもまた韓国に負け、それでまたキューバと対決…と、ファンは一喜一憂。どうも「敗者復活」的要素が多すぎるのが釈然としない。仮にこれで優勝して「世界一強い」ということになったとしても、あんまり腑に落ちない感じがするんですよね…。

さて。タイトル通り五月雨式に参ります。中身も相当ばらつきがあります(笑)

▼日テレ「バンキシャ!」問題

ついに久保社長が引責辞任となりました。社長が辞めておきながら番組は存続ということも考えられないので、おそらくこの番組も打ち切りになるのではないでしょうか。それにしてもこの問題、今回ものすごくセンセーショナルに報じられましたが、テレビ番組制作に携わる多くの人たちにとっては、とても他人事とは思えない恐ろしい事件だったと思います。

「裏をきっちり取っていけば、嘘だと見抜ける証言だった」との批判は、自分が制作の当事者だったら決してやすやすと口にすることはできないはず。テレビ(に限らずマスコミ全体)の広告収入が:激減する中、どんどん番組の制作に費やせるお金がなくなっていっています。番組制作の発注を受けているプロダクションも、当然低コストでの制作を余儀なくされる。それは、取材に人的・時間的・物理的なコストを充分注いで番組を作ることができなくなるという問題に直結します。そんな中で、ひとつひとつの事象に対して、じっくりと真偽やウラを検証することが可能かどうか。またそれがきちんと行われているとチェックすることが可能かどうか。

おそらくは「バンキシャ!」の制作チームも、相当費用の面でシビアな状況に追い込まれていたのではないか。今回の事件は、ギリギリで回っているテレビ制作の現場に光を当てると同時に、これが氷山の一角でしかない、下手をすれば今後立て続けにこの手の問題が起こることを予感させるもののように感じます。


▼押切もえ「モデル失格」を読んで

わたくし、気がついたら押切もえさんのファンっぽいです(笑)。その証拠に、買ってしまいましたよ。彼女の自伝?「モデル失格」を!!アマゾンで。しかも中古で(余談ですが、本当のファンというものは、本やらCDやらは2つ買うらしいですね。保管用と、使う用に。そういう意味では中古で買っているわしなどは、「ファン」と呼ぶには程遠い存在なのかもしれない)。

彼女は女性ファッション誌「AneCan」の専属モデルですが、別に「AneCan」を毎号買って穴が開くほど観賞しているわけではありません。雑誌「AERA」やテレビの「アメカフェ」を読んだり見たりしているうちに、がんばっていい仕事をしよう、成長しようとしている様子に心を打たれ、ファンっぽくなったという次第です。要は努力家に弱いのです。

この「モデル失格」も、「AERA」の中で宣伝していたので、これは絶対読まねばと思って、かぶりつくように読んでみたのですが、まあ並の内容でしたねー(笑)。内容が結構重複しており、言いたいことをまとめると3ページくらいに収まってしまいそうな気がしました。ただ、これは良いなと思える部分もありました。ホノルルマラソンに出場することになった彼女が、気が進まないトレーニングをこなすために自分に言い聞かせた言葉。「つらいマラソンを走り終えた自分は、きっとそれまでの自分とは違う存在になっているはず。ゴールの向こうで待っている新しい自分に会おう。そのためにがんばって走ろう」。

意訳していますが、こういう心の持ち方ってすごく良いですよね。肩肘張らない、すごく自然でポジティブなモチベーションの作り方というか。ちなみにわしなども、朝起きて「今日は厄介な仕事がいろいろあって嫌だなあ」と身体と気持ちが重くなることがあるのですが、家を出て歩いているうちに自然と、「これも自分が成長するための良い機会に違いない」と、勝手にマインドが変わっていきます。毎回不思議でしょうがないんですがね。3歩歩くと忘れるというニワトリに性質が近いのでしょうか…。

まあ、そんなわけで、読んでみて下さい「モデル失格」。


▼「機動戦士ガンダム00」がつまらない

TBSで日曜の夕方にやっているアニメ「機動戦士ガンダム00」。あと2回くらいで終了ですが、ここに来て、圧倒的につまらないです。うちの奥さんはこのアニメが大嫌いで、わしは録画してわざわざ深夜に見ていました。「なんでこんなに面白いものが嫌いなのか」と考えていたわしですが、今では何も言えません…。

深く批評する知識と知見を有しておりませんので簡単に書きますが、まず強さのインフレ化が著しい。切り札的な技(機能?)「トランザム」が乱発されすぎて有難みがない。あとはキャラクターの人格がおかしい。みんなどういう思いでこの戦争を行っているのか知らないが、戦争ってそんなもんじゃないだろう、と。特に人間の進化系とされる「イノベーター」と呼ばれる人たちは、どこが進化系なのか良く分からないくらい浅はかな感情に動かされて行動し、むざむざと死んでいっている。そして何より、噛ませ犬的な死に方があまりにも多すぎ(笑)。命を大切にね!

キャラクターが売り物のアニメなので、話が個人対個人に収斂されていくのは仕方ないにしても、せめて「戦争の凝縮された図」が無いと、なんとも浮ついた内容になってしまう。戦争という派手な舞台でやっている喧嘩なので、見ていて白々しい思いがする。

先日、従軍記者も経験している93歳のジャーナリスト・むのたけじ氏の著書「戦争絶滅へ、人間復活へ」を読みました。戦時下の強姦や慰安所の様子が生々しく書かれていました。また、ETV特集の「イラク戦争検証シリーズ」を見ました。米軍によるイラク軍捕虜への数々の虐待事件の検証がテーマでした。まあ暗澹たる気持ちになるわけですが…こういうドンパチの外延にある、けれど本当に戦争の闇が詰まった部分に光を当てるようなエンタテインメント作品って、成立しないものなのかしら。テーマは臓器売買なのでちょっと違うけど、「闇の子供たち」もあんまり流行らなかったし。商業ベースでは「おくりびと」のようなヒューマン路線がぎりぎりのラインなんでしょうかね。

あ、ちなみに「おくりびと」は、わしの地元が舞台となっています。アカデミー賞受賞のときは一気に沸きましたが、これが観光誘致などの実利にまでつながるかどうか。つながってくれればうれしいのですが、どうなるでしょうね。
posted by サイダー at 09:41| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

観劇評 ポツドール「愛の渦」


早いものでもう三月。この間は「もう年末」なんて言っていたような気がするのですが、今度は「もう年度末」。こうやって歳をとっていくのですねえ…。

上のニュースについて。「チベット動乱」から50年。中国の言葉でいえば「チベット民主化」から50年。恥ずかしながら、チベット問題についてはあまり知識がなく…。チベットと聞いて浮かんでくるのは、「ポタラ宮殿に行ってみたい」とか「吐蕃という王朝があったな(世界史の名残)」とか、そういったことばかり。

1959年というと、太平洋を隔てた中米でも当時大きな事件がありました。「キューバ革命」です。こちらもやはり知識に乏しいわしですが、先月だったか、NHKのETV特集で「キューバ革命50年の現実」というドキュメンタリーを見ました。これはキューバを追い続けたアメリカ人ジャーナリストの記録を元に作られた番組です。革命以降現代までの長きにわたり、キューバに生きる三組の人々を通して、「革命が人々にもたらしたもの」を冷静に探っていく内容で、さすがNHKと言える素晴らしいドキュメンタリーでした。なので、ちょっとご紹介。

徹底的な平等を志向し、フィデル・カストロ議長によって推し進められたキューバ革命は、内需拡大・自前の経済発展を目指すも、アメリカの経済封鎖を受けて頓挫。路線変更を余儀なくされ、ドル兌換制度を導入して外貨を受け入れた。「富める者から先に富む」という社会主義の否定にもつながる道を進むことになったキューバ。確かに経済水準は向上したものの、ドルを持つ者と持たざる者の間で、はっきりと格差が生じてしまい、その状況は今日まで続いている。

ある若者は、キューバという国自体に何らの愛情・帰属意識も見いだせず、「自由」とさらなる「豊かさ」を求めてアメリカに脱出できる日を夢見ている。
ある青年は、ドルを手に入れ豊かになった者たちに比べ、一向に恵まれない自分の生活を嘆きつつも、キューバを愛し、信じ続けている。
ある老人は、革命前も、経済危機の時も、外資流入の後も、同じ畑を耕し、同じ農作物を作っていた。世の中がどうあれ、何も変わらない日々。仕事の後に家族と飲むテキーラが何よりの幸せ。経済発展でやっと村に水道が通るという、その数年前に生涯を終えた。

革命修正前は、皆横並びだが、物質的には貧しい社会。
革命修正後は、物質的には豊かになったが、人々の心はばらばらになった。

ドキュメンタリーでは、しかし、革命は成功だったか失敗だったか、革命の修正が良かったのか悪かったのか、何らの結論も出していない。その中で際立つのは、社会がどんなに変わろうとも、自分の価値観からぶれることなく、幸せに暮らし続けた前述の老人の精神的豊かさである。

「あの革命はなんだったのか」というテーマは同時に、「こちら」にいる我々に対しても、本来的な幸せの意義を問うている。その問いかけは、音声でもテロップでも決して現れることはない。丹念な取材の映像を見ているうちに、自然に視聴者自身が気づかされるのだ。

主張を「押し付ける」のではなく取材を通じて「浮き彫りにする」。この番組が、素晴らしいドキュメンタリーだと思える理由である。まさに、ジャーナリズムの神髄だ。

さて。だいぶ前振りが長くなりましたが、先日行ってまいりました。こよなく愛するポツドールの「愛の渦」。期待に応え、キャストを一新しての再演だとか。

見るのはたしか昨年の「顔よ」以来だろうか。「激情」の大ヒット以降、代表の三浦大輔氏も活動の幅を広げ、様々なメディアにも登場するなど、押すに押されぬ人気劇団となったポツドール。わしが行った日もだいぶ早い時間から当日券を求める人の長蛇の列。なんとかチケットをゲットして場内へ。公演に合わせて新聞に三浦氏のインタビュー記事が載ったせいか、会場を見渡すと中高年男性の姿が多いことに気がつく。これは数年前に「夢の城」を見た時とずいぶんな違いで、それだけメジャーになってきたことの証明である。が、今日の芝居の内容に、彼らはどれだけ耐えられるのだろうか…。

「ポツドールの公演は、開演前も楽しい。」そう言ったときに賛同してくれる人は結構多いのではないでしょうか。そう、なぜなら岡村靖幸「セックス」「マシュマロハネムーン」がアレンジを変えつつ延々と流れているのだから。これは毎度毎度ハマるというか、一種のトランス状態に近い感覚になるのですな。しかもこの曲がまたいかにもポツドールらしくて◎。

ですが、ですが…今回の「愛の渦」。正直微妙でございました…。

まずはあらすじ。設定は現代。どこぞの街の一角にある、「乱交パーティー屋」の店内。この日も常連客から初めての客まで、次々と客が集まってくる。24時、男女4組が集ったところで、店長からルールの説明があり、その後パーティーの開始が告げられる。とは言うものの、その場には緊張した気まずい空気が張りつめ、男は男、女は女で固まって寒々しい会話を続けるばかり…。その後どうにか状況を打開し、「本題」に入ることができた彼ら。一戦、二戦と回を重ねていくうちに、だんだんと場を支配する空気や人間関係にも変化が生じ始める…。

ポツドールの芝居は、登場人物の言動のディテールに着目して、彼らの習性や、彼らの織りなす関係性を楽しむ「人間観察劇」であるということができる。今回は乱交パーティーが前面に出ているが、結局見せたいのは行為そのものではなく、「性欲」という人間の切っても切れないテーマに直面した際の人間の心の動きである。前作「顔よ」では人間の「美醜」を「踏み絵」として、それに直面する人々の心の内面を描きだしていたが、今回はそれが「性欲」であるということ。細部までしっかりとこだわって、芝居を構成していた点は前回と変わっていない。

ただし、今回つらかったのは「踏み絵」の品数。劇中では「性欲」に絡めて、人間同士の序列が決まったり、醜い部分や弱い部分が垣間見えたりするシーンを何パターンも作っているが、どれもこれも想像の域を出ない展開でしかない。「むりやり」「盛り合わせ」という印象が強く、どうしても途中から飽きが来てしまった。

役者はとても立派である。ベッドの上ではまさに体を張って、我を忘れんばかりのフルパワーの演技をしつつも、相当緻密に場の空気を組み立てる演技も行うという、いわば「左を見ながら右を見ろ」くらいのことを要求されているにも関わらず、きちんと役を作ることができている。初めてポツドールの芝居を見る人であれば、「これはとんでもないことをとんでもないレベルで行う劇団だ」ということにもなろう。しかし悲しいかな、「夢の城」からはじまり「激情」「人間失格」「女の果て」「顔よ」と見てきてしまうと、もはやそういうものが眼前で繰り広げられても、どうしても慣れが生じてしまう部分もある。

意識しているにせよ、していないにせよ、いつも期待以上のものを求めてしまうのであるから、観客というのは残酷な存在だなあと、つくづく思う。

とは言え、ポツドールを見たことがない方には「是非」とおすすめできる舞台です。そもそも「こんな劇団がある」ということを体感できるだけで人生ちょっと豊かになります(笑)。15日までやっていて、当日券もあるようなので、足を運んでみてはいかがでしょうか。ただし、相当早く劇場に行って、並ぶ覚悟が必要ですが…。

それでは、今回はこの辺で。しかしなんだかメインがキューバ革命だかポツドールだかわからない記事ですな…。


ポツドール「愛の渦」
2009年2月19日〜3月15日 
新宿 THEATER/TOPS

脚本・演出 三浦大輔

キャスト

米村亮太朗

古澤裕介
井上幸太郎
富田恭史
脇坂圭一郎
岩瀬亮
美館智範

江本純子
内田慈
遠藤留奈
佐々木幸子
山本裕子


スタッフ

照明 伊藤孝
音響 中村嘉宏
舞台監督 矢島健
舞台美術 田中敏恵
映像・宣伝美術 冨田中理
小道具 大橋路代
衣装 中西瑞美 
写真撮影 曵野若菜

演出助手 石井友章
制作 木下京子
広報 石井裕太
運営 山田恵理子

企画・製作 ポツドール
posted by サイダー at 04:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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