2009年05月24日

人の思い出と巡るインドの旅A


だいぶ暑い日が続きますね。新型インフルエンザの感染者が国内で300人を超えたそうです。「まあ大丈夫だろう」と思う気持ち半分、小さい娘がいるので、「この子が罹るようなことは避けないと」と思う気持ち半分。そんなわけで、かねて計画していた親子での遠出も諦めることになりました。娘の安全には代えられない、と。

そんな娘なのですが、最近家に招くお客が口々に、「父親(わし)に激しく似ている」と言います。父親に似ている娘は幸せになるらしいです。以前から「この子には黒木メイサさんのような美女に育ってほしい」と強い願望を抱いていたわしですが、自分の顔にひとつも黒木メイサ的要素を見出すことができず、軽い眩暈を覚えてしまいました。まあいいんです、元気に育ってくれれば(笑)。

上のニュースについて。汚職問題で検察の追及を受けていた韓国の盧武鉉大統領が自殺したという話題。韓国では、「元」とか「前」を付けて呼ばれるようになった大統領が、汚職で検察に挙げられることが頻繁に起きているような気がする。盧泰愚元大統領の事件とか、いまだに覚えています。そんなせいか、韓国の政治家というと、カネに汚いというイメージがなんとなくあります。偏見だと思いますが。

崖から飛び降りて死ぬという行為は、当人は死んでしまったわけですから、もはや世論を味方につける「パフォーマンス」の領域を超えています。一身に降りかかった恥辱を雪ぐための最期のメッセージとも取れる。当然、検察のやり方を非難したり、盧氏に同情したりする意見も出てくると思います。けれど、そうであるからと言って、完全に盧氏がシロであるとも言い切れない。気になるのは、盧氏が自殺とはいえ「消された」ことが、誰かにとっての「目的達成」になっているのかどうかということ。検察を動かして絵を描いた勢力がいるのかどうか…。誰か教えてください。

さて。インドの旅の記録の第2回目。人の思い出と巡る今回の旅行記、最初に登場していただくのは、現地で会ったインド人の「A氏」。
彼は、このインド旅行でわしが最も世話になった人であり、いまだに頭の上がらない存在だ。先に「現地で会った」と書いたのは嘘ではないけれど、正しく言うなら、日本にいる時から彼のことは知っていた。

前回書いたとおり、わしは一人でインドに行く羽目になってしまった。日本にいるうちから、それはもう不安で不安で仕方なかった。ただ、往生際の悪い性格もあり、一緒に行く相手が見つからないなら何か別の手を打たねばと考え、思いついたのが、「インドに知り合いがいる友人に頼んで、そのインド人にしばらく現地を案内してもらう」という作戦(?)。

とにかく初めての場所なので、初日からしばらくがどうにも不安だ。インドにいる間じゅうとは言わないが、せめて2、3日くらい、面倒見てくれる心優しく頼りになるインド人はいないものか…。何としてもそういう人を見つけよう…。そう、その時のわしは、「補助輪がないと自転車乗れないよう!」とぐずる子供の如く、軟弱ハートの持ち主だったのである。

かくして、「優しいインド人」を知り合いに持っていそうな人物にアタックすることになったのだが、結論から言うとあまり労することもなく、とある知人があっさりと、「優しいインド人」を紹介してくれた。まさに「窮すれば通ず」。リーチ一発ツモである。その知人は国際関係に学問的興味が旺盛だったこともあり、やたらと外国の友達が多い。わしが頼むと「うってつけの人がいるから、直接連絡してみて。こっちからも話は入れておくから」といかにもやり手な匂いのする返事。こうして、紹介されたのが「A氏」なのであった。

「直接連絡してみて」と言われたあと、英和辞書と首っ引きでA氏宛ての電子メールを書いている自分の姿は、思い出すだに恥ずかしい。「何日のいつのエア・インディアの何便で、インディラ・ガンディー国際空港に着きます。初めてお目にかかるので、それとわかるような目印(服装とか)があれば教えて下さい。よろしくお願いします!」…と、要素としてはそれくらいしか伝えていなかったと思うが、ものすごく時間をかけて文章を作っては書き直し、また作っては書き直し……まるで恋する女子中学生の手書きラブレター。けれどメールにこめた必死さでは、思春期の乙女にも勝るものがあったに違いない。と思う。

遠くインドの地で、画面を見ながら「へたくそな英語だなあ」と思ったかどうかはさておき、A氏からの返信はやってきた。文法とか、そういうのはあんまり関係ない、肩の力の抜けた文章で数行、「会えるのが楽しみサ。僕は君の名前を書いたボードを持って、空港の出口で待っているサ!」と書いてあった。なんでこんな変な口調なのかというと、わしがまだ見ぬA氏に、勝手にそんな風にしゃべるイメージのインド人を重ねていたからである。

例の友人から聞くところによると、A氏はネルー大学というインドでも有数の名門大学(日本の東京大学と言っていいくらい)で工学系の研究をしている大学院生らしい。将来有望な若いインド人男性。知的に光る鋭い目、奇麗に整えられた黒髪、凛々しい口髭。まだ見ぬA氏に対する想像は膨らみ、わしの中では彼は相当なイケメン・インディアンということになっていた。

さて、最初にコンタクトしてからというもの、しばらくインドの旅程やら何やらをメールで連絡しあう日が続いた。その間、ビザも取り、バッグに荷物も詰め、トラベラーズ・チェックも入手し…、インド行きの日がだんだんと近づいてくる。A氏を紹介してもらったことだし、旅の不安も解消したかというと、決してそういうわけでもなく。今度は「彼が空港に来なかったとしたらどうしよう」「もしも飛行機が大幅に遅れてしまったらどうしよう」と、一歩進んだところで不安にさらされる羽目になった。結局、出発のその日まで、わしの不安が消えることはなかったのであった。

ついに訪れた出発の日。荷物を確かめ、A氏からのメールの中身をよーく確かめてから、成田空港へ。初めて乗ったエア・インディアは、ファースト・インプレッションから非常に強烈で、得体のしれない香辛料の匂いとともに、「制服を着た野村沙知代」風CAが出迎えてくれた。「うおぅ!」と声が出そうになった。乗客の多数がインド人。バンコクを経由することもあり、タイ人も多いようだ。悲しいかな、ついつい日本人の姿を探してしまうのだが、どうやらわしと同じくらいの歳の日本人もそれなりにいるようだった。「インド旅行の無事=A氏に会える」と深く信じているわしにとっては、とにかく、飛行機が時間どおりにインドに着くことがすべて。祈るような気持ちで、空へ…。

さて、このフライト中もちょっとした話はあるにはあるのだが、そこは省略しよう。話は約10時間後、わしがインディラ・ガンディー国際空港に到着したところから。

とにもかくにも空港には着いた。日本とインドの時差は3時間半。それに従って時計をインド時間にセットし直すと、どうやら30分ほど予定時刻より遅れて到着したことが判明。焦りながら入国審査を受け、不機嫌そうな係官にぽんぽんと判を押してもらい、早歩きで出口へと向かう。A氏はちゃんと待っていてくれるだろうか…。ただでさえ遅れているので急いで行きたいのはやまやまだが、出口に向かう前にやるべきことが一つ。現地通貨への両替だ。これがなくてはこの国で生きていけない。お客でちょっとした行列になっているにもかかわらず、緩慢に応対するスタッフに対してやや苛立ちつつも、とにかく並んで待つ。

待っている間、おそらく同じ便で来たであろう同年代の日本人男性2人に何気なく声をかけてみた。「これからの予定決まっていますか」と。日本国内であれば思いっきり怪しい文句だが、さすがアウェー、「いやー、実は何も考えていなくて」「着いてから決めようかなって」と、会話が成立するのである。やはり心細いインドの旅、「もし良かったら、一緒に動きませんか。知り合いに紹介してもらったインドの人が、空港まで迎えに来てくれているはずなんです」「ええっ」「いいですね、どうしよう」「やー、もしよかったら一緒について行かせてください」「いいですよ、こっちも一人で心細かったので」「すみません、ありがとうございます」…と、あれよあれよという間に、「3名様」になってしまった。

両替を済ませ、やや足取りも軽く出口へ向かう。鉄柵で作られたルートに沿って、英語の書かれた紙を持ったものすごい数のインド人がひしめき、待ち人の名前と思しき言葉を口々に発している。喧騒で混沌としたこの状況、頼りになるのはわしの名前が書いてある紙のみ。眼鏡をかけ、「A氏よ!いてくれ!」と願を懸け、片っ端から探索を開始。これは合格者発表で自分の受験番号を探す学生の気持ちにかなり近いものがある。とにかく血眼で自分の名前を探しているうちに、

「あれも違う、これも違う…ああ、あった!」と、運命の瞬間が!

やや控えめな字でわしの名前が書かれた真っ白な紙を発見。「くわっ」と見開いた眼でその紙の持ち主を見ると、彼もまたその飢えた視線に気がついたのか、「ハーイ」と陽気に声をかけてくれた。おお、A氏、A氏よ!待っていてくれてありがとう!「もののけ姫」ばりに張りつめまくったわしの心が、じわじわっと溶けていく瞬間である。ああよかった…。A氏は同行している2人のことも察したのか、彼らにも気さくに声をかけている。2人にとっても、A氏の姿が神々しく見えているに違いないのだ。

それにしてもA氏の風貌は、これまで想像していた姿を木端微塵に粉砕するくらいにかけ離れていた。彼のルックスをひとことで表すならば、「イケメン」ではなく「鼻メガネ」であろう。丸みのある眼鏡をかけ、優しい表情を絶やさない彼は、全身から気のいいおっさん風なオーラが漂っている。服装も、なんとなくおっさん風だ。

そんな愛くるしいA氏の姿に触れ、ものの3秒ですっかり安心した我々は、空港を出て、彼の友人が運転しているという車に乗り込んだ。時刻は午後9時くらいだったと記憶しているが、空港を一歩出てしまうと、吸い込まれてしまいそうな暗闇が広がる。その中に、夜行性の動物のように、鋭く光る眼をしたインド人たちの姿がちらほらと。もしも一人だったら、きっとこれだけで心が折れてしまったに違いない…。A氏が来てくれて本当に良かったと思う瞬間だ(実はこの空港を出てすぐ、心が折れてしまった人が本当にいた。その人の話は、また後日書こうと思う)。

さて、A氏友人の車は、快調に夜の闇の中をかっ飛ばす。車中では改めての自己紹介を兼ねて、わしら3人が代わる代わるに名前やら日本で何をやっているかなど、たどたどしい英語で話す。
大して面白みもない話のはずだが、A氏はひとつひとつに表情をつけて反応し、いろいろと質問をしてくれた。いい人である。そして話題は「今日これからどうするか」という、日本人3人とも何も考えていなかったけれど、実は結構重要と思しきテーマに移行した。3人でちょっと話をして、意見の一致をみた上でA氏に、「今日は遅いので、ニューデリーに着いたらそのままホテルを見つけて泊まろうと思う。どこか適当なところを教えてほしい」と伝えた。すでにいくつか候補を調べてあったが、現地の人が教えてくれるところの方が安心だと思ったのだ。

「オーケー」と応えるA氏が、頷いてそのあとに続けた言葉は、我々3人にとって意外なものであった。「それだったら、僕の大学の寮に泊まってしまえばええがね」。

…思えばこれが、A氏のホスピタリティ全開のもてなしの幕開けなのであった。彼を紹介してもらった時点で「リーチ一発ツモ」なのだとすれば、ここにきてさらに「裏ドラ」が乗った状態である。果たしてどこまで点数が伸びるのか……、次回、怒涛の後編へ続く!
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2009年05月06日

人の思い出と巡るインドの旅@


ちょっとペースを上げて更新。今日(もはや昨日か)は「こどもの日」ですが、雨降りでぱっとしない天気になりました。そういえばうちの近くの空き地に見事な鯉のぼりが飾ってあるのですが、あれはいったい誰の仕業だろう。

上のニュースについて。ちょっと前の出来事になりますが、米州サミットでのベネズエラのチャベス大統領とオバマ大統領のやりとりが話題になりました。対話の姿勢を示したオバマ大統領に対し、チャベス大統領が「あなたの友人になりたい」と応え、握手を交わし、『収奪された土地』という中南米の苦難の歴史を描いた書籍を贈ったという一コマ。

ベネズエラの貧困層や農民を支持基盤とするチャベス大統領はアメリカを「収奪者」「悪魔」と呼び、仮想敵として国内をまとめていました。特にブッシュ時代のアメリカが対外的には超がつくほどの強硬路線だったこともあり、敵対心は最高潮に達していたと言えるでしょう。それが、オバマ政権が始まってからの、この変化。国内のテレビ放送向けには、「アメリカに尻尾を振っているわけではない」と強気の姿勢を崩さなかったようですが、明らかに新しい関係を模索し始めていると言っていい。ラウル・カストロが立つキューバもそうですが、中南米では対米路線の変更を模索する動きが急速に進みつつあるように感じます。

それは「対話路線外交」に加えて、オバマ大統領が黒人であるということが大きいのかもしれない。ヨーロッパ諸国が南北アメリカ大陸に進出してきた当時の歴史を考えればなんとなくわかる気がします。ヨーロッパに支配されたアフリカ大陸から送り込まれてくる大量の黒人奴隷は、アメリカ大陸に豊富に蓄えられた銀をひたすらに掘らされた。銀はヨーロッパ本国に送られ、それを元手にヨーロッパ商人たちは商売を拡大し、国王たちは税を得て、さらに軍備を増強する。まさにヨーロッパの白人たちによる「収奪」の歴史を、インディオと黒人は一部共有している。チャベス大統領もムラートとメスティーソの両親を持つということで、よりオバマ大統領に近しいものを抱いたのではないでしょうか。

ベネズエラ国内に渦巻く貧困の問題の根は深く、アメリカとの関係改善が即国内の問題解決につながるとは到底思えません。けれどもそれは間違いなく、問題解決を後押しするはずの一歩ではあるのです。オバマ大統領が進める新基軸外交と、それに応える諸国のリーダー・ニューリーダーたちが、近い将来、新しい歴史の扉を開いてくれるのかもしれません。

さて。

今回からしばらく趣向を変えまして、かつてインドで一人旅をしたときの話を書こうと思います。「なんで突然インド?」なのかというと、自分でもよくわかりません(笑)。強いて言えば、昔から旅行に出るたびにちょっとした旅の記録をつけていたのに、インド旅行に関してはまったく記録しておらず、ふと最近、それを文字化したい衝動に駆られたというべきでしょうか(断片的には「大麻」絡みの話で触れていますが)。

もちろんこのブログで「日記」のような内容のことを書くのは好まないので、それよりはもうちょっと、意味のある何かが抽出されたようなものにしたいと思います。そのための手段となりうるかは別としてですが、単純に出来事や自分が感じたことを時系列で綴っていく書き方はせず、表題にもあるように、「人」を軸としてインドの旅の思い出を振り返ってみようと思います。

一人旅とは言いながら、インドに滞在していた期間中、わしはだいたい誰かと行動をともにしていました。名前はとうに忘れてしまっても、一緒にいた彼らの言動は、いまだに強く印象に残っていたりもする。風光明媚な土地でもない限り、旅なんてものはだいたい「人」とか「食」に収斂されていくものです(よね!?)。そのうちの「人」の記憶の糸を紡いでいきながら、自分にとってのインド旅行を見つめなおし、「個人の記憶」よりもう少し昇華させたかたちで伝えることができるといいなと思います。


実際に本格的に旅の話を書くのは次回からとしまして、今回はその前提となる状況説明をしておこうと思います。「なぜインドか」「なぜ一人か」「当時のインドの状況と認識」の三点です。

まず、一点目。わしがインドに旅立ったのは2005年3月。すみません、すでに「何日」という情報が抜け落ちております。大学の卒業式に間に合うように帰ってくるべくプランを立てていたので、たぶん、3月9日とかそのくらいではなかったかな…。期間は12日間だったと思います。これは、間違いないです(…たぶん)。

できることなら大学在学中に一度はインドに行ってみたいという思いはずっと持っていました。それは友人に借りた遠藤周作『深い河』を読んだことがきっかけだったと思います。『深い河』はインドを舞台とする小説で、彼の地の死生観や宗教観が散りばめられた作品でした。生きていることの前提、死ぬことの前提、何もかもがまるで日本とは違う彼の地の有り様。小さな文字の羅列から想像するのではもの足りず、「ぜひこの目で」と思った読者が数多いるであろうなか、そのうちの一人がわしであった、と。そういうわけです。

とりわけ興味を引いたのが「ガンジス」。『深い河』もその名の通り、この河がストーリー上重要な意味を持っており、そのせいもあって「インドといえばガンジス川」、という図式がわしの頭の中にきれいに成立していたのです。とんでもなく汚い河であるにもかかわらず、それは畔に暮らす人々の生活の重要なインフラであり、インド人の多くを占めるヒンディー教徒にとっての心の拠り所であり続けている。どんな河なのだろう。見てみたいし、できることなら自分自身で沐浴もやってみたい。

『深い河』を読んで以来「ガンジス・ラヴ」な状態を引きずったままのわしでしたので、いよいよインドに行くことになり旅程を組み立てるにあたっても、当然メイン・ディッシュは「ガンジス」。思えば無駄に長く居過ぎた気もするくらい、貴重な12日間のうち多くの時間を、ガンジスの流れる町・バラナシでの滞在に当てたのでございました。

二点目。一人の理由について。当時「インドに一人で旅行に行く」なんていうと、それを聞いた人は皆「かなり勇気があるね」「すごいね」という感想を漏らしたものですが、わしもできることなら誰かと一緒に行きたかった(涙)。当初は一人で行く気などさらさらなく、気の合う友人2、3人で行こうと思っていたのでした。

ところが…、自分のスケジュールが決まったのが遅かったせいもあり、誘えど誘えど断られました。やっと引っかかった友人からも、突然「やっぱり無理」となんとも切ない連絡が。「地球の歩き方」などのガイドブックには、「インドはとても魅力的な国だが危険も伴う。特に外国人旅行者を狙った犯罪が多発しており、スリや詐欺はもちろん、強盗も起こる。インドを旅慣れた旅行者や、やむを得ない事情がある人を除いては、一人での行動はできるだけ避けよう」というような脅し文句が書いてあります。旅行計画初期は「ふーん」と軽く流していたこの記述も、日が経つにつれ「……俺のことじゃねえか」となんとも嫌な気分にさせてくる。そして、心の闇を晴らすべく旅のパートナー探しを続けていた徒労が癒えぬ間もなく、人数追加が不可能な時期が到来し、成田へと向かう日が到来したのでありました。

これも今思えば、一人で行った分、いろいろな人と接する機会を得たのだろうけれど、それも五体満足で帰ってこられたから言える後付けの話。おいおい記しますが、かなり肝を冷やすような話もあったのです。…というわけで、「一人」ということには特に狙いはございませんでした。

最後の点。2005年当時のインドは、詳しい数字はわからないけれど、すでに急速な経済発展を遂げている時期だったように記憶しています。BRICsという言葉もとうの昔にあった。もっとも、オランダの世界的な鉄鋼メーカー・アルセロールへの大買収劇を繰り広げたミタル・スチールや今や激安自動車「ナノ」でおなじみとなったタタ自動車などが脚光を浴び、固有名詞としてインドの大企業が広く知られるようになるのはもう少し後のこと。やはりそのころ急成長株として注目されていたのは、なんと言っても中国でした。

旅行先としてインドを選ぶマインドも、経済的に発展した都市にではなく、悠々と流れる大河・ガンジスや、何世紀にも渡る歴史を刻みつけなおそこにあり続ける数々の遺跡に向けられているように思います。少なくとも、当時旅行代理店が発行していたパンフレットの類はそのようでした。わしも当時、インドという国の位置づけとして、「東南アジア圏の一国」であり、ほとんどかつて自分が旅行したタイやカンボジアと同等程度としか捉えていませんでした。こっちはもっと治安が悪そうだぞ、くらいの感覚しかなかったかもしれません。

社会人となってから、一度だけインドに出張に行くという機会に恵まれました。学生時代に触れたインドとの差異を確かめながら、よりその国を深く知ることができるありがたい機会となりました。出張で訪れたインドはさらに経済発展しており、首都ニューデリーでは自動車の交通量も増し、よくわからないけれど建設業者が至る所で工事を行っていました。消費を煽る派手な広告看板がよく目に付きました。

その時に比べれば、学生時代に訪れたインドは、もう少し穏やかで、自然な時間の流れの中に人々の暮らしがあったように思います(もちろん、すべての都市を回っているわけではないし、それが良いとか悪いとかいう価値判断とも別の話です)。「今のインドより、ちょっとスローテンポな空気が流れている時期に旅行に行ったのだなあ」くらいにご理解いただければ。

…そんなこんなで、『深い河』に影響され、今よりゆるい雰囲気のインドに、やむを得ず一人で、旅に出ることになったワタクシ。彼の地でどんな人に出会い、どんなものを得たのか。悠久のガンジスの流れの如く、ゆっくり、まったり、書き起こしてみようと思います。宜しくお付き合いください。
posted by サイダー at 00:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月03日

久々に最近の出来事についての雑感


お疲れ様です。結局四月は一度しか更新できずもう五月となってしまいました。今月はもうちょっと頑張ろうと思います…。

上のニュースについて。メキシコを中心に猛威をふるっている新型インフルエンザ。WHOが警戒レベルを「フェーズ5」としたのは史上初とのことで、今後どれほどの被害を世界にもたらしうるのか、注目が集まっています。

このインフルエンザは「感染力は強いが、毒性は強くない」ということで、報道でも「大騒ぎせず、通常のかぜの予防を心がけていれば大丈夫」と呼び掛けているのだが、そんなことを言っている割に「一番大騒ぎしているのは報道自身ではないか」と思わずにはいられない。「感染者が●●人に達した」とか「●●でも感染者確認」などの報道が連日のようにトップニュースに挙げられれば、ただ事ではないと感じるのは当たり前だと思う。横浜の高校生が新型インフルエンザに感染しているかどうかという問題も、さながらバイオハザードの「G-virus」ばりに重大な病原体を持っているかのごとく、周囲が勝手に騒ぎすぎている印象が強い。どこで何をしていたかなどプライバシーにかかわる部分も明かされてしまい、当人にとってはひどい迷惑だったであろう。

罹患者の致死率が100%ならともかく、結局は「ただのH1N1型インフルエンザ」なのであるから、それ相応の報じ方というものがある気がするのだが。もっとも、今回の報道はかつての疫病関連報道に比べればまだまともだと思える。特に、かつて狂牛病報道で公然と「牛肉が危ない」風評を助長し続けたころに比べれば天と地の差があるとも言える。当初「豚インフル」とされていた呼称が「インフルA」または「新型インフル」に変更されたことも幸いしたか。

まずは新型がヒト・ヒト感染を経て強毒性を持つようになるかどうか見守っていきましょう。

さて。五月に突入しましたので、「五月雨式」 につらつらと…(要はそんなにネタがない…)


▼二世議員の立候補制限

例のインフルエンザが話題になる前に、ちょっと論点になったのがこの話題でした。いわゆる「二世議員」など、世襲議員の立候補を制限するというルールを設けようという提案が永田町に波紋を広げている。新聞で渡辺喜美議員が「二世議員故の大変さ」をつらつらと語り、制限の理不尽さを暗に訴えていましたが、議員の仕事で食っている現二世・三世の議員たちにとってはまさに死活問題。

日本の政治が停滞しているのは、地元地盤の利益を代表する議員が何代にもわたって議会に居座っているからで、それを無理やり制限すれば、さわやかな風が議場に吹くであろうという議論はだいぶ前からあったように思います。これはもっともな意見のような気がしますが、果たしてどうかと思えるような部分もある。

小選挙区選挙を例にとると、親の力を持たない候補者がどのような活動で票を獲得しようとするかといえば、王道は地盤を作るために地元の各ステークホルダーと関係を作ること。各候補者がそれを一からやるのは難しいため、結局は所属する政党の力に余計にすがることになるでしょう。つまりは政党の築いたこれまでの「地盤」がしっかりしているほど選挙に勝てるという構図は変わらない。二世議員云々の話ではないと思います。

また各ステークホルダーとの関係を強固に作るのは、時間もコストもかかり埒が明かないと考える候補者もいるかもしれない。それよりはマスコミに働きかけ、一般的な知名度を上げることで票を得ようとするやり方もあるでしょうし、現にそういうことは今もやられています。そちらにもっとドライブがかかり、テレビの前でうまいフレーズを言う能力ばかり優れた議員が跋扈するようになったら、いったいどんな政治になるのでしょうか。それこそ官僚が操縦し易い国会になってしまうのではないでしょうか。

ちなみに憲法14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定されていますが、この制度は「国民を門地によって政治的に差別をする」ものにほかなりません。「政治に関わりたいのに、生まれが理由で関われない人を作る」というのは、江戸時代の士農工商レベルまで逆行する話です。そんな制度を是認してまで二世議員を憎む暇があれば、もう少しまじめに投票に行った方がよほど良いと思います。

そもそもこの議論をするにあたり、「二世だろうがそうじゃなかろうが、当選落選を決めるのは、有権者自身である」という認識が欠如していることが非常に気になります。二世だとあたかも即当選し、それが世の中に悪い影響をもたらす、そしてそれが、「自分の与り知らぬ世界で繰り広げられている」、そういう認識でこの問題を捉えている人があまりにも多いように感じます。そんなに二世議員が厭ならば、こういう制度を議論する以前にもっと簡単なことがある。自分たちが票を投じなければよいという、ただそれだけのことです。

なんでも国任せ、遠い出来事というスタンスを改めない限り、世襲だろうがそうでなかろうが、政治が改まることはないと思うのでありました。


▼エコカー減税と高速料金1000円

標題の話の前に、エコカー絡みで最近聞いた恐るべき話。「プリウスは、すごくカネがかかる」。環境性能を売りにしているトヨタのハイブリッドカー・プリウスは、燃費の良さが自慢。燃費が良いということは必然的にお財布にも優しいということになるはずですが、その部分についてはまったく謳われていない。なぜか。

どうも搭載しているバッテリーを定期的に交換しなければならず、それに10万円以上の費用がかかるのだそうです。結局日々の運転で安く上がった燃費分も、それで相殺される、もしくはもっと高くつくことになりかねないので、「環境にもお財布にも優しい」とは言えないという話。

ディーラーでクルマを買う時には少なくともこのへんの話はされているはずなので、それでもプリウスが売れているということは、「そういう費用負担をしても良いから環境のことを考えたい」と考えている人が多いということなのでしょうかね。あんまりクルマのことはわからないのですが、同じく売れに売れているホンダのインサイトも、もしかしたらそういうコストがかかるにも関わらず買われているのでしょうか。日本人は環境意識の高い国民だったのですねえ。

さて標題の件。燃費の良さや二酸化炭素排出量が一定の基準をクリアしているクルマについては、自動車取得税と重量税を軽減するという「エコカー減税」が導入されてしばらく経ちます。高速料金休日1000円ぽっきりというサービスもスタートし、日本国を挙げて「自動車産業頑張れ!」というムードになっております。

「安くするから環境にやさしい自動車を買ってね!」
「どこまで行っても1000円だからたくさん走ってね!」

うう、すごい矛盾を感じてしまうのはわしだけでしょうか…。まあ公に「景気対策が主目的」と打ち出しているので、そこまで突っ込む気もありませんけど。

本当に本当に環境のことを考えるのなら、使えるクルマを最後まで使うとか、中古車を検討するとか、「資源」という側面をもうちょっと考えた方が良いと思うのですが、国を挙げてのキャンペーンなので、マスコミも加担しており、そのへんのことは触れられない。この連休で早速高速道路も混雑しているようで(場所によっては50キロの渋滞とか)、その間のアイドリングを考えれば二酸化炭素の排出に明らかに悪影響を及ぼしているとは思うのですがね(そういう細かいことを言っても仕方ないとは思いますが…)。

今年はいよいよ三菱自動車の「i-MiEV」も発売になり、エコカー戦争とも呼べるような販売合戦が繰り広げられそうです。「i-MiEV」が400万円ほどとまだまだ高い電気自動車ですが、これもやっぱりバッテリー交換でさらにお金がかかるのでしょうかね。もしこれが飛ぶように売れたら、日本人の環境意識は筋金入りと言えると思います。どれほどそれに食いつくものかどうか、エコカー減税の効き具合と合わせて注目したいと思います。

五月雨式と言いつつ、結局ふたつしか書くこともなく…。もうちょっと頑張ろう。ではまた。
posted by サイダー at 18:59| Comment(0) | TrackBack(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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