2009年06月18日

観劇評 ネルケプランニング「女信長」


6月も後半に突入。湿気の多い嫌な季節ですね。ああ嫌だ嫌だ。

上のニュースについて。こういうニュースが本当に好きなんですよねえ。銃撃の技術や身代わりの技術も競ったりして、ボディーガード十種複合競技とかやれば面白いんでしょうね。お客は少なそうだが…。

さて本題。

先日舞台を見てまいりましたよ。黒木メイサさん主演の「女信長」を!
黒木メイサが舞台狭しと動き回り、踊る!叫ぶ!殴る!斬る!
いやー大変美しゅうございました。
娘にはぜひ将来あんなふうに育ってもらいたいものです(しつこい)。

えーあらすじ。誰もが知っている戦国武将・織田信長(黒木メイサ)。その信長が「御長(おちょう)」という名の女だったという設定からすべてが始まる。隣国のライバルである斎藤道三(石田純一(笑))に女であることを見破られた信長は、男にはできない発想でこの国を統一するという持論を語り、道三に気に入られる。道三の後ろ盾を得た信長は、織田家の家督争いに勝ち尾張の地盤を固める。道三を討って美濃を押さえた斎藤義龍、駿河の今川義元を相次いで破った信長は、幼馴染でもある徳川家康(山崎銀之丞)と組んでさらに勢力を拡大。その原動力は、これまでの方法論やしきたりにとらわれず、良いものは取り入れる、使える人材は重用するという徹底した合理主義にあった。百姓の生まれで、これまでの武士中心の階級社会では軽く見られていた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)を大抜擢したのも、格式より能力を重んじた信長ならではの人材戦略だった。

京への上洛を視野に入れる信長は、「女」を武器に近江の浅井長政(河合龍之介)と同盟を結ぶが、かえって若い長政の虜となってしまう。長政と過ごし、女としての幸せを実感し満ち足りる信長であったが、戦乱の世は平穏を与えない。将軍・足利義昭のもとからは幕府再興を訴える使者として明智光秀(中川晃教)が来訪。信長が女であることに驚きつつも、戦乱を終わらせ、太平の世を築くという信長の「理想」に惚れ込み、南蛮の技術や戦法を伝授し、全力で信長をバックアップする。将軍を擁立し、いまや破竹の勢いの信長。しかし、世の中に戦国大名「織田信長」の名声が恐れと共に広まっていくにつれ、彼女は自分の中の「御長」が押し潰されていくような違和感を抱いていく。そして愛していた浅井長政の突然の裏切りと、諸大名により敷かれた織田家包囲網が、彼女を精神的にさらに追い込み、一向宗の比叡山焼き討ちへと駆り立てる。

神仏に対するあまりの暴挙に、世の反感は高まり、家臣も離反していく。そんな中で一人光秀だけが信長への理解を示す。あくまで彼女の理想を愛してきた光秀だったが、あまりに孤独で、今にも折れてしまいそうな彼女の姿に触れた彼は、ついに一組の男と女として、信長と愛しあったのだった。勢いを取り戻した信長は、上洛する武田軍を阻止、浅井・朝倉連合軍を撃破し、織田家包囲網の瓦解に成功。一気に天下に覇を唱える存在となる。最後の戦に敗れ、再び信長に相対した浅井長政は、「お前を愛したことなど一度もない。俺の天下のために利用しただけ」と傲然と言い放つ。男とは。女とは。愛とは。幸せとは。自分とは。全てを見失い、思考のタガが外れたかのようになった信長は、本能寺に兵を集め、家臣の制止も聞かぬままに、天皇に対して「すべてを終わらせる」ための狂気の戦いを挑む。

取り憑かれたように自らを破滅の道へと駆りたてる信長に対し、明智光秀もまた「すべてを終わらせる」ために本能寺へと向かう…。

いやはや、ばーっと書いてしまいましたが、とても見ごたえのある良い舞台でした。実は最初は、どうなるものかと不安でした。「信長ってこういう人格です」、「こんな出来事がありました」と知らせるだけのあまりに説明的なブツ切りのシーンが続き、俺の嫌いな「殺されるためだけに出てくる人物」も相次いで登場。さながら「リチャード3世」を見た時のような嫌な思い出がよみがえってきました。それが、光秀との出会いのシーンあたりから、だんだんと落ち着いてきて、しっかりと見ることができるようになった。ストーリーの落ち着きとテンポの良さがうまいこと調和し出すと、あとは最後まで楽しんで見ることができ、気づけば終幕では汗ばみ、カーテンコールでは立ち上がって拍手をしていました。

こういう大仕掛けの歴史モノの舞台では、登場人物の役作りや心情面の表現が難しく、芝居のそういう部分を楽しみたい人はちょっと不満かもしれません。ただ、歌と踊りを交えたスピード感たっぷりの鮮やかなステージを楽しみたい人であれば、確実に気に入ってもらえると思います。黒豹のようにしなやかで力強い黒木メイサさんの演技と、若手ミュージカル俳優のトップである中川晃教さんの歌唱力の組み合わせは、十分な説得力で観客を楽しませてくれました。二人を脇から支える家康やルイス・フロイス、柴田勝家などの役者も、良い塩梅にネタを絡ませ、笑いもしっかり引き出していました。石田純一さんはもっと笑いを取りに来るかと思いきや、意外にもシリアスな演技に徹していましたねー。

この舞台を見てすごくよかったなと思ったのは、「信長が女だった」という、歴史的な事実のある一点を入れ替えただけで、戦国武将たちが人間味のある存在としてぐっと近づいて見えるようになったということです。信長が比叡山を焼き討ちにしたそのとき、何を考えていたのか。浅井長政の頭蓋骨を盃にしろと命じたそのとき、どんな思いだったのか。光秀が「信長を討て!」と叫んだそのとき、心には何が浮かんでいたのか。この舞台がとても丁寧に描き出してくれたおかげで、教科書的な歴史の向き合い方ではわからない、歴史の「味」に触れたような気がしました。

「信長が女」というのはもちろんフィクションなのでしょうが、個人的には光秀が本能寺で挙兵するシーンには、大変説得力を感じてしまいました。「信長」という呪縛から御長を救うために「信長を討て!」と叫んだ光秀。本能寺を埋め尽くす桔梗の家紋の軍旗。その桔梗の花言葉は「変わらぬ愛」。炎の中に信長を見つけ出し、女性の着物を肩から着せては、「女子供に手を出すな!」と厳命する。光秀、かっこよすぎです。

ただ、ここで冷静になって考えますと、信長も光秀も本能寺の変の時点では相当なおっさん・おばさんです(笑)。この愛の世界はやはり黒木メイサ・中川晃教だからこそ、成立するものと言うべきでしょうね…(いや、歳取るのが悪いというんじゃないんですよ)。ただし、個人的には、光秀は最後には男とか女とか、そういう次元ではなくて、御長というひとりの人間を、ありのままの自由な人間として解放してあげたかった。人として御長を愛していた。そんなふうに感じました。

そんな光秀の信長に対する気持ちや、さまざまな出来事が起こるたびに揺れる信長の心情は、見る人によってはいろいろな解釈の余地があると思います。終幕後の余韻を味わいつつ、あれこれと思いを巡らせながら家路につくのも、舞台の楽しみ方のひとつですよね。

さてこの「女信長」、東京ではあと数日ステージがあり、そのあとは大阪で公演があるようです。チケットはちょっと高いですが、一見の価値はあると思いますので、興味のある方はぜひどうぞ。ちなみに「女信長」の原作者は、「王妃の離婚」「カエサルを撃て」で有名な直木賞作家・佐藤賢一氏。佐藤氏はなんとわしと同郷で、しかも同じ高校の大先輩。こういうつながりも嬉しいものですねー。


ネルケプランニング「女信長」
2009年6月5日〜6月21日  東京 青山劇場 
2009年6月26日〜6月28日 大阪 シアターBRAVA!

キャスト

黒木メイサ
中川晃教
河合龍之介
TETSU (Bugs Under Groove)
市瀬秀和
黒川恭佑
細貝圭
真島公平
篠田光亮
山崎銀之丞
松山メアリ
篠山輝信
鯨井康介
松本有樹純
久保田創
平田裕一郎
塚田知紀
中川浩行
木村智早
香子
清家利一
有森也実
  ・
石田純一


スタッフ

原作 佐藤賢一「女信長」(毎日新聞社刊)
構成・演出 岡村俊一
脚本 渡辺和徳
音楽 からさきしょういち
美術 川口夏江
照明 松林克明
音響 山本能久
殺陣 清家利一
衣裳 山下和美
ヘアメイク 川端富生
舞台監督 原田讓二
宣伝写真 谷 敦志
宣伝美術 東 學
制作 島袋 佳
アシスタントプロデューサー 島袋 潤・鈴木奈緒子
プロデューサー 松田 誠
制作 アール・ユー・ピー
posted by サイダー at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

三沢光晴選手の訃報に接し

更新だいぶご無沙汰でございます。

今回は訃報ということで、イレギュラーな内容です。

プロレス団体「プロレスリング・ノア」の社長であり、現役レスラーでもある三沢光晴選手が13日、試合中に相手選手にかけられた技を受け切れず、大きなダメージを負い、そのまま還らぬ人となってしまいました。

ノアにとっても、プロレス界全体にとっても、大きな柱を失ってしまったように思え、ショックでなりません。柱が抜けて空いた穴は、塞ぐにはあまりにも大きすぎる。

最初訃報に接した時、受け身の名手といわれている彼ですので、まさか試合中の事故でとは思いませんでした。むしろ社長業のもたらす心労が、致命的な病状を引き起こした末のことなのかと思ったのでした。

今年の3月末をもって、日テレ地上波でやっていたノアのプロレス番組が終了。それにより収入が減り団体への注目も薄れることは、経営者としての彼にとって、何とも悩ましい問題だったに違いありません。

スポーツ紙など読んでいると、今年に入ってから身体の不調を訴える姿が目立ったという関係者のコメントも見られます。直接的には試合の事故と言えども、社長としての責務とそれによる心への重圧が、遠因になっているようにも思えてきます。

試合する姿を直接見たことはありませんでしたが、テレビを通じてそのファイトは記憶に残っています。特にノア立ち上げ後の対小橋戦で繰り広げたとんでもない技の応酬(花道から床めがけてタイガー・スープレックスなど)は、あまりにも衝撃的すぎて見ていて笑えてくる(凄い試合は、何故か自然と笑えるのです)ほどでした。

本当に惜しいレスラーを亡くしてしまったと、大変無念であります。

三沢選手のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。合掌。
ラベル:三沢 NOAH プロレス
posted by サイダー at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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