2009年02月09日

タレントブログ炎上・書類送検事件についての雑感


おつかれさまです。「みすず学苑」の電車内の広告が気になって仕方がない今日この頃です。与謝蕪村が合格通知を破って食べている絵が載っているシリーズをご覧になった方はいらっしゃいますかね。あのセンスには素直に脱帽でございます。どこまで広告として効いているのかはともかく…。

上のニュースについて。戦争の主役がロボットにとってかわるという話。自分が子供の頃は、今ぐらいにはそんな世の中になっているという予測もあったような気がします。いずれにせよちゃんと戦闘員と非戦闘員の区別をつけて殺しをやってほしいものです。でないと「ガンダム00」の「オートマトン」みたいなことになりますからね…。

さて。今回気になった、というのか、心を揺さぶられたのはこのニュース。

これまで放置されてきたネットの“暴力”に捜査のメスが入った。お笑いタレントの男性(37)のブログに、このタレントが「足立区女子高生コンクリート詰め殺人事件に関わった」などといった中傷を書き込んだとして、警視庁は5日までに、男女18人を名誉棄損や脅迫の疑いで、書類送検する方針を固めた。警視庁が書類送検する方針を決めたのは、大阪府高槻市の国立大職員の男(45)、千葉県松戸市の男(35)、札幌市の女子高生(17)ら18人。すでに家宅捜索を行い、証拠品を押収したという。(以下略、2月5日付ZAKZAKより引用)

以下、当局の手によって、男性タレントが事件に一切関与していないということが自明であるという前提で話をしますけど、あまりにも悲しい事件が起きたなと思いました。かと言って、こういうことがレアなことなのかというとそんなことは全くなく、「ネット」「書き込み」「逮捕or書類送検」の3点セットで検索するだけで、こんな話が出るわ出るわ。どっかに爆弾を仕掛けたとか、特定の誰かを殺すと言って捕まったりしている事件が本当に多い。

そんな中で、上記の記事でどうして心を揺さぶられたのかというと、二つ要因がありまして。ひとつは、被害者のタレントがよく見ていた「タモリのボキャブラ天国」(名番組です)に出ていた人ということと、もうひとつは、上記引用には載っていませんが、書類送検された人々が言った言葉があまりにもショッキングだったこと。

「まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかった」

まあそりゃあ、検察に送致される経験なんて人生ざらにありませんから、そう思うのもわからなくはないですけどね。「あまりにも…」という気持ちになりました。

書類送検された18人の行動を整理すると、ネットで男性タレントが事件の犯人なのではないかという話がまことしやかに流れているのを見聞きし、それを「事実」と信じこみ、その男性タレントのブログに過剰な表現で名誉を棄損する書き込みをしてしまった、という感じですかね。

ネット上の情報は玉石混交あるし、別に嘘の情報を本当と信じ込んでしまったことについてとやかくいう気はしません(現に自分自身がそうなっていることもある)。けれども、そこからどうして、タレントのブログに「人殺し」とか書き込むことに行きつくのでしょうか。あまりにそのタレントを愛していたがゆえに、その気持ちが一気に憎しみへと変化し、ほとばしる思いが書きこみをさせてしまったのか。日ごろタレントを貶めたいと思っていて、チャンス到来とばかりに渾身の思いで書きこんだのか。

まあ以上のようなことはあるはずもなく…。答えは明らかに、別に何の気もなく、面白半分でただ書き込んだというだけの話ですよね。このタレントやコンクリ詰め事件に特に関心を持っているわけでもなく、実体的にも感情的にも、何のステークホルダーにもなりえない立場からの書き込み。それが「まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかった」という言葉につながっている。

自分の発言が、発言の向こうにいる人に対してどんな影響をもたらすか、キーボードを叩いている間一切考えることもない。ましてや、「自分の発言の向こうにいる人」が誰なのかすら認識できず、ただ自分の発した言葉は広大なインターネット空間に投げ込まれ、漂うだけとしか思えないのかもしれない。インターネットのもたらす有意義な影響のひとつである「想像力の欠如」が面白いくらいに発揮された事例です。

札幌市の女子高生は、その日すごく嫌なことがあって、むしゃくしゃしていたのかもしれない。もしかしたら自分と同じくらいの少女が殺されるというこの事件に対して、悲しみ、憤っていたのかもしれない。けれどその憤りの詰まった文章を、例えば大好きな彼氏や、両親に見せたら、果たしてどんなふうに思われるか、ちょっとでも考える隙があったか。

国立大職員の男性は、人生の後輩に対して、教育の現場に立つ者の思いを込めた厳しい書き込みをしたのかもしれない。しかしその文章は、自分の妻であったり、子供であったり、職場の同僚に「自分の書いた文章だ」と言って、堂々と見せられるものであったか。

キーボードに手を当てて、モニター越しに偉そうにこの世を俯瞰し、自分の言葉を海に放り込んでいるような感覚での言論を可能にするインターネットは、やはり使い方を教え込まなければ究極に危険な道具になりうる。人類を最も不幸にする発明は、「原子爆弾」でも「進化論」でもなく、この「インターネット」であるような気がしてならない。

かくいう自分だって、書類送検した彼らに対して、ネットの中で上からものを言っているようなこんな文章を書いている。それが下手をすれば、「女子高生くらいの歳で書類送検されるなんて、起訴猶予になったとしても人生終わってる。男10人に次々強姦された方がまだまし」とか「ずいぶん知能程度の低い国立大職員もいるね。脳の異常を見てもらった方が良いんじゃないの」というようなトーンにだってなりうるし、この事件が発生してからすでにネットでそういうことを書いている人たちもいるんだと思う。わしも気分次第ではどうなることか…。

新聞や雑誌などで文章を書くことを生業としている人たちは、自分の文章が世の人の目に触れるまで、いろいろな人に何度もチェックを受ける。事実と違いはないか、行き過ぎた表現はないか、読者を誘導する表現はないか…そうやって何重にも客観性のフィルターを通される中で、自然と文章が研ぎ澄まされていく。書き手も厳しいチェックを意識するからこそ、自分の名前で、誰に見せても通用するものを仕上げようと、努力を怠らない。そのプロセスに一貫して流れているのは、「人に見せて恥ずかしくないものを仕上げる」という文章のプロとしての矜持である。

「オールドメディア」と呼ばれ、この不況もあり凋落著しい新聞・出版業界。どんどん倒産も出てくることが予想されるが、それとともに文章ひとつひとつに懸けるプロの矜持までこの世から失われていってしまっては相当まずいと思う。言論が世に出るプロセスを認識させる仕組みだけはなんとか残しておきたいものである。

最後に。以前もちらっと触れているとは思うけど、これからは物心ついた時からネットに触れているのが当たり前という人たちがどんどん世の中に溢れてくる。現実のリアルな人付き合いではきちんとしているのに、ネット上では制御する存在がないために「想像力の欠如」に陥ってしまう人がいるのが現在の世の中。今後は、生まれながらにネット上で「想像力の欠如」したコミュニケーションを行っている人たちがリアルな場に出てくることが予想される。しかも大量に。

果たして、彼らを制御する術はあるのか。あるとして、我々はそれを持ちえるのか。
posted by サイダー at 01:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。

今日は休みにして、
おてんば娘と、一緒にブログ覗いてます。
集中して見れません(T_T)
また、後でゆっくり見させていただきますね!
失礼します。
Posted by RYO at 2009年02月09日 22:46
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