2009年05月06日

人の思い出と巡るインドの旅@


ちょっとペースを上げて更新。今日(もはや昨日か)は「こどもの日」ですが、雨降りでぱっとしない天気になりました。そういえばうちの近くの空き地に見事な鯉のぼりが飾ってあるのですが、あれはいったい誰の仕業だろう。

上のニュースについて。ちょっと前の出来事になりますが、米州サミットでのベネズエラのチャベス大統領とオバマ大統領のやりとりが話題になりました。対話の姿勢を示したオバマ大統領に対し、チャベス大統領が「あなたの友人になりたい」と応え、握手を交わし、『収奪された土地』という中南米の苦難の歴史を描いた書籍を贈ったという一コマ。

ベネズエラの貧困層や農民を支持基盤とするチャベス大統領はアメリカを「収奪者」「悪魔」と呼び、仮想敵として国内をまとめていました。特にブッシュ時代のアメリカが対外的には超がつくほどの強硬路線だったこともあり、敵対心は最高潮に達していたと言えるでしょう。それが、オバマ政権が始まってからの、この変化。国内のテレビ放送向けには、「アメリカに尻尾を振っているわけではない」と強気の姿勢を崩さなかったようですが、明らかに新しい関係を模索し始めていると言っていい。ラウル・カストロが立つキューバもそうですが、中南米では対米路線の変更を模索する動きが急速に進みつつあるように感じます。

それは「対話路線外交」に加えて、オバマ大統領が黒人であるということが大きいのかもしれない。ヨーロッパ諸国が南北アメリカ大陸に進出してきた当時の歴史を考えればなんとなくわかる気がします。ヨーロッパに支配されたアフリカ大陸から送り込まれてくる大量の黒人奴隷は、アメリカ大陸に豊富に蓄えられた銀をひたすらに掘らされた。銀はヨーロッパ本国に送られ、それを元手にヨーロッパ商人たちは商売を拡大し、国王たちは税を得て、さらに軍備を増強する。まさにヨーロッパの白人たちによる「収奪」の歴史を、インディオと黒人は一部共有している。チャベス大統領もムラートとメスティーソの両親を持つということで、よりオバマ大統領に近しいものを抱いたのではないでしょうか。

ベネズエラ国内に渦巻く貧困の問題の根は深く、アメリカとの関係改善が即国内の問題解決につながるとは到底思えません。けれどもそれは間違いなく、問題解決を後押しするはずの一歩ではあるのです。オバマ大統領が進める新基軸外交と、それに応える諸国のリーダー・ニューリーダーたちが、近い将来、新しい歴史の扉を開いてくれるのかもしれません。

さて。

今回からしばらく趣向を変えまして、かつてインドで一人旅をしたときの話を書こうと思います。「なんで突然インド?」なのかというと、自分でもよくわかりません(笑)。強いて言えば、昔から旅行に出るたびにちょっとした旅の記録をつけていたのに、インド旅行に関してはまったく記録しておらず、ふと最近、それを文字化したい衝動に駆られたというべきでしょうか(断片的には「大麻」絡みの話で触れていますが)。

もちろんこのブログで「日記」のような内容のことを書くのは好まないので、それよりはもうちょっと、意味のある何かが抽出されたようなものにしたいと思います。そのための手段となりうるかは別としてですが、単純に出来事や自分が感じたことを時系列で綴っていく書き方はせず、表題にもあるように、「人」を軸としてインドの旅の思い出を振り返ってみようと思います。

一人旅とは言いながら、インドに滞在していた期間中、わしはだいたい誰かと行動をともにしていました。名前はとうに忘れてしまっても、一緒にいた彼らの言動は、いまだに強く印象に残っていたりもする。風光明媚な土地でもない限り、旅なんてものはだいたい「人」とか「食」に収斂されていくものです(よね!?)。そのうちの「人」の記憶の糸を紡いでいきながら、自分にとってのインド旅行を見つめなおし、「個人の記憶」よりもう少し昇華させたかたちで伝えることができるといいなと思います。


実際に本格的に旅の話を書くのは次回からとしまして、今回はその前提となる状況説明をしておこうと思います。「なぜインドか」「なぜ一人か」「当時のインドの状況と認識」の三点です。

まず、一点目。わしがインドに旅立ったのは2005年3月。すみません、すでに「何日」という情報が抜け落ちております。大学の卒業式に間に合うように帰ってくるべくプランを立てていたので、たぶん、3月9日とかそのくらいではなかったかな…。期間は12日間だったと思います。これは、間違いないです(…たぶん)。

できることなら大学在学中に一度はインドに行ってみたいという思いはずっと持っていました。それは友人に借りた遠藤周作『深い河』を読んだことがきっかけだったと思います。『深い河』はインドを舞台とする小説で、彼の地の死生観や宗教観が散りばめられた作品でした。生きていることの前提、死ぬことの前提、何もかもがまるで日本とは違う彼の地の有り様。小さな文字の羅列から想像するのではもの足りず、「ぜひこの目で」と思った読者が数多いるであろうなか、そのうちの一人がわしであった、と。そういうわけです。

とりわけ興味を引いたのが「ガンジス」。『深い河』もその名の通り、この河がストーリー上重要な意味を持っており、そのせいもあって「インドといえばガンジス川」、という図式がわしの頭の中にきれいに成立していたのです。とんでもなく汚い河であるにもかかわらず、それは畔に暮らす人々の生活の重要なインフラであり、インド人の多くを占めるヒンディー教徒にとっての心の拠り所であり続けている。どんな河なのだろう。見てみたいし、できることなら自分自身で沐浴もやってみたい。

『深い河』を読んで以来「ガンジス・ラヴ」な状態を引きずったままのわしでしたので、いよいよインドに行くことになり旅程を組み立てるにあたっても、当然メイン・ディッシュは「ガンジス」。思えば無駄に長く居過ぎた気もするくらい、貴重な12日間のうち多くの時間を、ガンジスの流れる町・バラナシでの滞在に当てたのでございました。

二点目。一人の理由について。当時「インドに一人で旅行に行く」なんていうと、それを聞いた人は皆「かなり勇気があるね」「すごいね」という感想を漏らしたものですが、わしもできることなら誰かと一緒に行きたかった(涙)。当初は一人で行く気などさらさらなく、気の合う友人2、3人で行こうと思っていたのでした。

ところが…、自分のスケジュールが決まったのが遅かったせいもあり、誘えど誘えど断られました。やっと引っかかった友人からも、突然「やっぱり無理」となんとも切ない連絡が。「地球の歩き方」などのガイドブックには、「インドはとても魅力的な国だが危険も伴う。特に外国人旅行者を狙った犯罪が多発しており、スリや詐欺はもちろん、強盗も起こる。インドを旅慣れた旅行者や、やむを得ない事情がある人を除いては、一人での行動はできるだけ避けよう」というような脅し文句が書いてあります。旅行計画初期は「ふーん」と軽く流していたこの記述も、日が経つにつれ「……俺のことじゃねえか」となんとも嫌な気分にさせてくる。そして、心の闇を晴らすべく旅のパートナー探しを続けていた徒労が癒えぬ間もなく、人数追加が不可能な時期が到来し、成田へと向かう日が到来したのでありました。

これも今思えば、一人で行った分、いろいろな人と接する機会を得たのだろうけれど、それも五体満足で帰ってこられたから言える後付けの話。おいおい記しますが、かなり肝を冷やすような話もあったのです。…というわけで、「一人」ということには特に狙いはございませんでした。

最後の点。2005年当時のインドは、詳しい数字はわからないけれど、すでに急速な経済発展を遂げている時期だったように記憶しています。BRICsという言葉もとうの昔にあった。もっとも、オランダの世界的な鉄鋼メーカー・アルセロールへの大買収劇を繰り広げたミタル・スチールや今や激安自動車「ナノ」でおなじみとなったタタ自動車などが脚光を浴び、固有名詞としてインドの大企業が広く知られるようになるのはもう少し後のこと。やはりそのころ急成長株として注目されていたのは、なんと言っても中国でした。

旅行先としてインドを選ぶマインドも、経済的に発展した都市にではなく、悠々と流れる大河・ガンジスや、何世紀にも渡る歴史を刻みつけなおそこにあり続ける数々の遺跡に向けられているように思います。少なくとも、当時旅行代理店が発行していたパンフレットの類はそのようでした。わしも当時、インドという国の位置づけとして、「東南アジア圏の一国」であり、ほとんどかつて自分が旅行したタイやカンボジアと同等程度としか捉えていませんでした。こっちはもっと治安が悪そうだぞ、くらいの感覚しかなかったかもしれません。

社会人となってから、一度だけインドに出張に行くという機会に恵まれました。学生時代に触れたインドとの差異を確かめながら、よりその国を深く知ることができるありがたい機会となりました。出張で訪れたインドはさらに経済発展しており、首都ニューデリーでは自動車の交通量も増し、よくわからないけれど建設業者が至る所で工事を行っていました。消費を煽る派手な広告看板がよく目に付きました。

その時に比べれば、学生時代に訪れたインドは、もう少し穏やかで、自然な時間の流れの中に人々の暮らしがあったように思います(もちろん、すべての都市を回っているわけではないし、それが良いとか悪いとかいう価値判断とも別の話です)。「今のインドより、ちょっとスローテンポな空気が流れている時期に旅行に行ったのだなあ」くらいにご理解いただければ。

…そんなこんなで、『深い河』に影響され、今よりゆるい雰囲気のインドに、やむを得ず一人で、旅に出ることになったワタクシ。彼の地でどんな人に出会い、どんなものを得たのか。悠久のガンジスの流れの如く、ゆっくり、まったり、書き起こしてみようと思います。宜しくお付き合いください。
posted by サイダー at 00:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
参考までに、インド行きの出発は、2005.3.9(水)
12:00p.m.成田発 エア インヂア デリー行き
帰着は、3.20(日)8:00a.m.成田着(3.19 9:30p.m. デリー発)でした。
聞いていたのでメモってありました。
Posted by やややのとらちゃん at 2009年05月10日 22:35
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