上のニュース。一度は矛を収めたトルコ軍ですが、なにやら不穏な情報が飛び込んできました。また始まるのでしょうか…。
さて早いものでもう三月ですね。先日、とある会合に出席いたしました。出席したなんていうほどのもんでもなく、まあついていったというレベルなんですが。
ま、ともかくその会合で、作家の玄侑宗久氏の講演を聞く機会がありました。玄侑氏は2001年に「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞した立派な作家でありながら、実は福島県の臨済宗のお寺の住職でもあるという方です。独自の視点からなかなか面白いことをおっしゃっていたので、ちょっと触れてみようかと思います。
「日本人のこころのなりたち」というタイトルでの講演だったかと思うのですが、玄侑氏の言いたかったことは「最近の日本の政策は日本人のこころのあり方や日本のしくみを無視したものが多く、個人的に非常に腹が立っている」ということでした。
比較文化論めいた話になるのですが、日本と欧米の違いとして、日本では全てのものが横並びであるのに対し、欧米では序列があり、正統・異端があるということ。欧米ではキリスト教の宗派の正統性を巡って多くの血が流された。日本に仏教の宗派はたくさんありますが、どれが一番ということを決めたりはしない。のみならず神道やらキリスト教やら、さまざまな宗教が入り混じる中でも、どれが正統な日本の宗教ということを決めない。さらにいいとこ取りで、どんどん他の宗教の概念を取り入れていってしまうのだそうです。
文字にしてもそう。輸入した漢字を元に仮名を作って併用し、さらに英語まで吸収して、どんどん和製化している。そうやって、よその良いところを長い時間をかけて完全に吸収し、横並びにしてしまうのが日本の持ち味なのだそうです。
人にも差を設けないのが日本流。士農工商なんて言われていた時代もあるが、権力は武士が持ち、土地は農民、技術や財力は商工人、さらにそれ以外の階級として蔑まれていた人にも、実はインフラ整備をはじめとする重要な機能を担わせ、身分の均衡を保っていたのだそうです(この辺はちょっと懐疑的だね)。「みんな同じ」という意識が強いから、逆に今「格差」がことさらに問題視されている。
さて、そういう日本において、性急に導入してもうまく機能しない制度として、玄侑氏は「裁判員制度」を挙げていた。「自分の両脇を気にしながら生きている日本人には向かない」のだそうです。まあ場の空気に流されがちになってしまうのは想像できますわね。
あとは賞味期限という仕組み自体にも疑問を呈していました。賞味期限が過ぎても、本当にだめになるまでには時間がある。そのグレーゾーンを設ける賞味期限の仕組みは、「もったいない」という独自の思考を持つ日本人には合わないのだとか。制度の輸入元の欧米でこのような仕組みが機能しているのは、賞味期限が過ぎた食品はラベルを外し、「次の階級」向けに販売するマーケットが存在しているからだそうです。そのへんの事情を無視して導入しても、うまいこと機能しないというのが持論のようです。
これは個人的にとても賛同しやすい意見ですね。そもそも賞味期限って何のためにあるのかと思っていたら、輸入を増やしたいアメリカが政治的に仕込んだものだという話もあり。自分の舌で確かめるのがよろしいね。
他にもいろいろなことに話が及びましたが、印象に残ったことをかいつまんで記しますと「訓読み」に込められた日本風の物事の解釈というのは、非常に面白かったですね。「心」は「ころころと絶えず変化するもの」という意味を込めて「こころ」。「源」は「水のもと」だから「みなもと」。「椿」は「つやのある葉の木」なので「つばき」。そういう具合に、訓読みを形作る音にしっかりと意味があるのだそうです。考えてみれば当たり前のことなのですけれど、改めて言葉を見直す良いきっかけになりました。
玄侑氏は仏教の知識を軸として、日本の歴史について非常に幅広い知識を蓄えていらっしゃいました。歴史知識に根を張って自分を確立することができるから、今世の中で起こっていることについて、自分なりのスタンスで見識を持つことが出来る。
実は俺も学生の時に、歴史を学ぶ意味ってどうしてあるのだろうと疑問に思っていたことがありました。こうやって自分の思考を形作るベースになるのだということを勉強の前提として伝えていただければ、もっとまじめに取り組んでいたのかもしれませんね。
話の中で玄侑氏は、市町村合併や道州制にも反対していました。逆に、歴史的な観点からもっともっと細かく区分けをしても良いんじゃないかという。道や州の単位でざっくりと自分の出自を規定されることで、歴史的に培われてきた多くの細かい根が断ち切られてしまう。果たしてそれが日本人にとって本当に良いことかという疑問を持っているのでしょう。経済効果の側面もあり、もちろん容易に迎合することはしませんが、市町村が合併し、さらに道州制になってから生まれてきた子供たちの「根」はどうなってしまうのか、気にしていかなければならないでしょうね。短期的なカンフル剤である道州制のもたらす中長期的な影響の検証は、必要だと思います。
そんなこんなで、なかなかためになった玄侑氏の講演でした。今度本でも買ってみよう。ちなみに俺の出席した会合というのは、簡単にいうと山形県出身者の集まりなんですがね。ほとんどが年配の人たちで、俺なんか浮きまくっていたけど(笑)。ほとんど端っこでじっと会場を見ているだけでしたけれど、自分に根がある人たちの集まりというのは、とても幸せな場なのだなあと、つくづく感じました。
ちょっと長くなりましたね。それではこの辺で。

