2008年04月14日

青森恐山のおもいで


どうもこんにちは。上のニュースについて。地球温暖化のことを正式な教育カリキュラムに組み込もうという話。自分たちが生きていけなくなるという感覚の切実さが日本とは違うように感じました。

さて、「桜のおもいで」という記事を書いた時にちょっと触れた青森の「恐山(おそれざん)」。日本に観光名所多々あれど、これほどエッジの立ったスポットも珍しい。折角なので一発書いてみようかと思います。

まず恐山とはどこにあるのか。青森県を頭に描いていただきますと、上の方に角が二つ突き出ております。その右の角の先の辺りに、お山がありまして、それが恐山です。ちなみに角の先端は、高級マグロで有名な「大間」でござんすよ。まあ、早い話が下北半島にあるってことです。

わしが行った時は、半島に至る手前の野辺地(のへじ)という駅からレンタカーで北上したのだけど、最寄りの駅は下北駅です。と言っても恐山に行くためには歩きではちょっと厳しいので、タクシーなどを利用しないといけません。

下北市街をしばらく走っていると、うっそうと木々が生い茂るゾーンに突入するのですが、それが恐山への入り口。道もくねくねしていて、雰囲気は陰鬱な箱根。対向車線をややはみ出しつつ走っていると、車中に異変が。どこからともなく硫黄の臭いが漂ってくるのだ。今流行の硫化水素自殺ってこんな感じなのかしら、と思ったか思っていないかは別として、極めて危険な状況下でクルマを運転していたのは間違いがない。

そうこうしているうちに、木々のゾーンは終了し、鼻か脳がイってしまったのか硫黄の臭いも感じなくなった。そして目の前には小高い灰色の山と湖。ガイドブックにも書いてある写真撮影スポットがあったので、クルマを停めて記念に一枚。湖がきれいに見える小さな橋なのだが、恐るべきことにこの世とあの世を結ぶ橋なのである。とんでもないところで撮ってしまった。しかもクルマの外は硫黄の臭気が半端ではないのだ。真面目にあちらに逝ってしまいかねない。

橋からちょっと先に行ったところには、もう「ザ・恐山」という迫力に満ちた菩提寺が見えている。駐車場にクルマを置いて、入場料500円を支払い、お堂の門をくぐって中に入る。白っぽくざらついた世界が広がっている。何を祈ったらよいものかよく分からないが、とりあえずお賽銭を入れてお参りを。本堂の脇には絵馬がかけられているところがあり、ずっと雨ざらしにされていたのか、すっかり色のあせた無数の絵馬が微かに風に揺れている。失礼ながら、どんなことが書いてあるのだろうと近づいてみると、嫁がとてつもなく衝撃的な絵馬を見つけてしまった。その内容は、とても軽はずみにここにかけるようなものではない。だいたい絵馬というものは「受験に合格しますように」とか、前向きなお願いが書いてあるものであるが、これは神仏も聞き届けるべきか否か頭を抱えて悩んでしまいそうな、極めて後ろ向きなお願い事であった。嫁とわしと、二人してあまりのショックにしばらく何も言えないでいたが、少なくとも真面目に恐山を訪れる人にとって、ここがどんな場所なのか分かったような気がした。

本堂の裏手というか横の方には、荒涼とした灰色の山。最初に遠くから見た山がこれである。見たことのない背の低い枝ばかりの植物と、腰の高さほどに小高く積み上げられた石の山。そして、いくつかの石山のてっぺんでは、からからとさびしげな音を立てて風車が回っている。そんな光景が、ずっと先まで続いているのである。これが「賽の河原」というものであろうか。死者を供養するための石の山。風車は幼くして亡くなった子供の霊に供えられるものだと聞いたことがある。

湖の傍の砂浜に足を運んでみれば、砂に混じって硫黄の塊がごろごろと転がっていた。浜に寄せる波も、硫黄分を含んで黄色く濁っている。とても普通の動植物が生きられる環境ではない。ふと顔を湖面から上げてみれば、湖の向こう側には、我々がクルマで通ってきた道や山々が見える。見えるのだが、どうにも違和感があるのだ。ついさっき通ってきた場所なのに、だいぶ遠くにあるような。いや、遠くにあるというよりは、別の次元に存在しているような。つまり、決して冗談ではなく、あたかも自分が「あの世」の側にいて、「この世」を見ているような気がしてくるのである…。けれどそれは、一刻も早くこの場から立ち去らねばというような恐怖感を伴うものではなく、どちらかといえば妙な心の落ち着き、もっと言えば安堵感に近い心理状態と共にもたらされた感覚であった。あの絵馬と硫黄の臭いと風車の音に感覚がやられてしまったのであろうか。

実はこれと同じような心理状態をかつてインドで味わったことがある。それはガンジス川の畔の街バラナシに滞在していた時であった。バラナシの街はガンジスの北の川沿いに広がっているが、ボートで川の向こう岸、つまり南に連れて行ってもらえるということで、試しに行ってみたのである。その向こう岸から眺めたバラナシの街は、川を隔てた向こう側というにはあまりにも遠くに感じられ、「もう戻れないかも…」という漠とした不安も感じたのであった。ちなみにボートの船主によれば、やはりガンジスの南岸はヒンズー教でも「あの世」に当たる場所らしく、ごく一部の身分の人しか住んでいない(というか、そこしか住めない身分)という話であった。ちなみに「あの世」は動物のものかはたまた人のものか、無数の乾いた白骨が散乱していたり、首のないワラ人形が落ちていたりと、あまりにも「……」という状況であった。

とにもかくにも、人の死と密接なつながりを持つ場所というのは、この世であってこの世ではない、ただならぬ雰囲気を持っているということがよく分かりました。少なくともあの地に立ったときの感覚は、一度味わったら死ぬまで忘れることはないでしょうねえ…。恐山の名は伊達じゃない。恐るべき山でございました。
posted by サイダー at 08:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 自分自身 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

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Posted by 腰痛アドバイザー at 2008年04月30日 18:05
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