2009年06月16日

三沢光晴選手の訃報に接し

更新だいぶご無沙汰でございます。

今回は訃報ということで、イレギュラーな内容です。

プロレス団体「プロレスリング・ノア」の社長であり、現役レスラーでもある三沢光晴選手が13日、試合中に相手選手にかけられた技を受け切れず、大きなダメージを負い、そのまま還らぬ人となってしまいました。

ノアにとっても、プロレス界全体にとっても、大きな柱を失ってしまったように思え、ショックでなりません。柱が抜けて空いた穴は、塞ぐにはあまりにも大きすぎる。

最初訃報に接した時、受け身の名手といわれている彼ですので、まさか試合中の事故でとは思いませんでした。むしろ社長業のもたらす心労が、致命的な病状を引き起こした末のことなのかと思ったのでした。

今年の3月末をもって、日テレ地上波でやっていたノアのプロレス番組が終了。それにより収入が減り団体への注目も薄れることは、経営者としての彼にとって、何とも悩ましい問題だったに違いありません。

スポーツ紙など読んでいると、今年に入ってから身体の不調を訴える姿が目立ったという関係者のコメントも見られます。直接的には試合の事故と言えども、社長としての責務とそれによる心への重圧が、遠因になっているようにも思えてきます。

試合する姿を直接見たことはありませんでしたが、テレビを通じてそのファイトは記憶に残っています。特にノア立ち上げ後の対小橋戦で繰り広げたとんでもない技の応酬(花道から床めがけてタイガー・スープレックスなど)は、あまりにも衝撃的すぎて見ていて笑えてくる(凄い試合は、何故か自然と笑えるのです)ほどでした。

本当に惜しいレスラーを亡くしてしまったと、大変無念であります。

三沢選手のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。合掌。
ラベル:三沢 NOAH プロレス
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2009年04月25日

三国志についての雑感


お疲れ様です。いろいろあってだいぶ間が開いてしまいましたね。

上のニュースについて。北朝鮮のミサイル発射の300倍くらいインパクトのある話です。最初聞いた時は冗談かと思いました。まあこれほどの著名人なので、マスコミ各社もしばらくはこのネタで飯を食えそうですね。韓国では検索ワードで「草g剛」がダントツトップだとか。それにしても事件発生から一瞬で隣国にまで情報が伝わっているというのは、恐ろしい世の中でございます。

個人的に意外だったのが、「同情論」というか、警察の逮捕と家宅捜索はやりすぎではないか、という意見が多いこと。逮捕した赤坂警察署に対しては抗議の電話が鳴りやまなかったというし、有識者・コメンテーター筋でもそういう意見の人が結構いる。さらには身の回りでこの話をしていても、「かわいそう」「やりすぎ」の声が多かった。

いろいろ意見があるとは思うけれど、個人的には今回の逮捕と家宅捜索は十分妥当性があったのではないかと思います。夜中に公園で素っ裸の人がわあわあと喚きながらでんぐり返しを「独りで」やっていたら、まあ尋常ではない(笑)。警察ならば「酔っている」のさらに先、「極まっている」のではないかと疑うでしょう。違法薬物使用・所持の疑いがあるとすれば、保全すべき最も重要な証拠は「身柄」であり、次に「家屋」です。ですから今回の一連の警察の行動は、証拠の保全という重要な職務上の見地からは、ごく自然なことだったのではないか、と思うのであります。

まあ、かつて事件を起こした吾郎ちゃんも今では元気に活躍しているし、薬物もやっていなかったのですから、剛くんも遠からず帰ってくるでしょう。

さて。

最近映画「レッドクリフ」「レッドクリフPart2」の影響もあり、盛り上がりを見せている「三国志」。週刊誌でも「日本人に人気の三国志の登場人物ランキング」のような記事が出ているなど、三国志好きのわしとしてはちょっとうれしかったりもします。

三国志は中国の歴史モノのなかでは「項羽と劉邦」と同じか、もしくはそれ以上に日本人に知られている話ではないでしょうか。かつてテレビでやっていた「人形劇・三国志」はものすごい人気だったと聞きますし、横山光輝氏の名作漫画「三国志」は、全国のあらゆる図書館に所蔵されていそうな勢いです。ゲーム会社・コーエーが出し続けている「三国志」シリーズは、「ドラクエ」シリーズにも並ぶロングリリース作品になっています。さらに遡れば「水魚の交わり」とか「苦肉の策」などという日本語の慣用表現も、おおもとは三国志の出来事がベースになって生まれた言葉です。これほど日本で社会的地位を築いた三国志ですから、「レッドクリフ」の興行が当たっているのもなんとなく頷けますね。

映画のタイトルにもなっている「レッドクリフ=赤壁」で起こった戦いは、三国志の物語の中でもハイライトと言えるシーン。大船団で押し寄せた数十万人規模の軍勢が一晩にして炎の渦に飲み込まれ壊滅してしまったという物凄い戦いで、歴史の流れを変えるくらいに大きな意味のあるものでした。戦場がビジュアル的にとんでもないことになっていることは想像に難くないのですが、ゲームでも小説でも漫画でも、なかなかそのインパクトを伝え切れているものはなかったように思います(当たり前ですが)。なので、映画ではどれほどの迫力で描かれているものなのか、ちょっと見てみたい気がしますね。

そして「レッドクリフ」で三国志にはまった!という人はぜひ小説を読んでいただきたいです。わしは吉川英治氏の三国志を読んでいましたが、これがまた良い。当時は愚かなことに小ガネ欲しさに古本屋に売ってしまいましたが、また近年「なんという愚かなことをしたのだろう」と猛省し、全巻買い戻しました。

何がそんなに良いかといえば、まず三国志に登場するたくさんの英雄たちの世界に浸れる(笑)。筆致は割と淡々としているのですが、随所で英雄たちに言わせる台詞が見事すぎて、「くぅ、やられた!」となってしまう。個人的に大好きなのが「賈詡(かく)」という武将(策士かな)で、彼が随所で主君に告げる一言がまたいい。敵将・曹操(三国の一つ「魏」の礎を築いた大英雄)が大軍で攻めてくると不安がる主君・張繍に対し、彼は平然と「彼は自分の策略に自信があるので、その裏をかくのはたやすいことです」と言い、実際に散々に曹操を打ち負かす。退却する曹操軍を見た張繍は「これはチャンス」とばかりに追撃するのですが、死に物狂いの曹操軍の反撃に遭って戻ってくる。そんな彼に向かって賈詡は「何をやっているのです。追っ手を撃退したと思って向こうが安心している今が一番の追撃の機会なのだから、さっきの倍の兵で再度攻めなさい」。で、実際に再追撃をして多大な戦果を挙げた。張繍は不思議な顔で「どうしてやることなすこと、全部お前の言ったとおりになるのか」と問う。賈詡は涼しげな顔で「相手が引けば押し、押せば引く。万事ものの道理に従っているだけで、何ら変わったことはしていませんよ」とさらりと言ってのける。いやはや、かっこいいじゃないですか〜〜。

なんて、一人で盛り上がっていますが…まあたくさんの英雄たちが登場する話ですので、わしにとっての賈詡と同じように、誰でも一人はお気に入りの登場人物が現れると思います。まあ中には登場&即死という物悲しいキャラクターもいるにはいるのですが、うまいこと曹操、劉備クラスの主役級登場人物を気に入ったとすると、かなりロングスパンの感情移入で作品を楽しめると思います(笑)

そして小説を、特に吉川氏の作品を、おすすめするもっと大きな理由は、古語に強くなれることです。普段お目にかからないような漢字がごろごろ出てくるし、送り仮名などで「況や〜〜をや。」というような昔の言い回しなども随所に登場。多少意味が分からなくても、前後の文脈から推測しながら読むことができるので、国語力アップにはもってこいです。おかげで高校の漢文の授業はだいぶ楽に受けさせてもらった気がします。読みたくもない教科書読むより、好きなものを読んでいるほうがよっぽど頭にも入りますのでね。

そんなこんなで小説を読んで、さらにはまってしまった人には、前述のコーエーのゲーム「三国志」シリーズをおすすめします。数ある英雄たちの一人に成り代わり、中国全土の統一に向けて、内政や戦争に明け暮れる歴史シミュレーションゲームです。小説で出てきたキャラにビジュアルがつき、しかも主役級のキャラはだいたいかっこよく描かれ、能力も高いので、そんなキャラを仲間にしていくだけでも楽しめます。ゲームが進行していくとだいたい史実のとおりにはならず、あっさり曹操が滅ぼされ、公孫讃(歴史では割と早めに滅ぼされた将軍)が強大な軍勢を誇っていたりするのも、また一風変わった三国志が味わえるポイントでしょうか。

極めつけが「仮想シナリオ」というやつで、史実とは異なる初期設定でゲームを始めることができます。曹操に滅ぼされたはずの勢力が、逆に曹操を打倒した状態でゲームがスタートしたり、とんでもない強さを誇っているはずの武将が、ただの非力な無能武将になって登場したり。三国志の英雄たちすべてを愛してやまないというクレイジーなファンには、年代を超え、寿命も超えて、物語に登場するキャラクターが一堂に会する「オールスター大戦争」のようなシナリオもあります。あまりに無茶苦茶なのでわしはやったことないのですが、それはそれで物凄く楽しめそうな内容であります。

三国志のゲームはやりこみ度が高く、非常に熱中できる名作だと思われますが、あまりにはまりすぎて気がつけば朝……ということもざらでございます(笑)。くれぐれもご注意下さい。

そんなわけで、「映画」→「小説」→「ゲーム」の順で、三国志ワールドにはまる人が増えていくのを願いつつ、失礼いたします。今回は結構な駄文ですね…すみません。
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2009年03月19日

久々に、五月雨式に雑感


暖かくなってまいりました。ありがたいことです。花粉や黄砂は飛びまくっているようですが。

上のニュースについて。また負けてしまいました、サムライ・ジャパン。日本では相当盛り上がっているこのWBCですが、今一つ流れに乗れていない私であります。日本は韓国に勝ったと思ったら負け、それでいて強豪キューバには快勝し、でもまた韓国に負け、それでまたキューバと対決…と、ファンは一喜一憂。どうも「敗者復活」的要素が多すぎるのが釈然としない。仮にこれで優勝して「世界一強い」ということになったとしても、あんまり腑に落ちない感じがするんですよね…。

さて。タイトル通り五月雨式に参ります。中身も相当ばらつきがあります(笑)

▼日テレ「バンキシャ!」問題

ついに久保社長が引責辞任となりました。社長が辞めておきながら番組は存続ということも考えられないので、おそらくこの番組も打ち切りになるのではないでしょうか。それにしてもこの問題、今回ものすごくセンセーショナルに報じられましたが、テレビ番組制作に携わる多くの人たちにとっては、とても他人事とは思えない恐ろしい事件だったと思います。

「裏をきっちり取っていけば、嘘だと見抜ける証言だった」との批判は、自分が制作の当事者だったら決してやすやすと口にすることはできないはず。テレビ(に限らずマスコミ全体)の広告収入が:激減する中、どんどん番組の制作に費やせるお金がなくなっていっています。番組制作の発注を受けているプロダクションも、当然低コストでの制作を余儀なくされる。それは、取材に人的・時間的・物理的なコストを充分注いで番組を作ることができなくなるという問題に直結します。そんな中で、ひとつひとつの事象に対して、じっくりと真偽やウラを検証することが可能かどうか。またそれがきちんと行われているとチェックすることが可能かどうか。

おそらくは「バンキシャ!」の制作チームも、相当費用の面でシビアな状況に追い込まれていたのではないか。今回の事件は、ギリギリで回っているテレビ制作の現場に光を当てると同時に、これが氷山の一角でしかない、下手をすれば今後立て続けにこの手の問題が起こることを予感させるもののように感じます。


▼押切もえ「モデル失格」を読んで

わたくし、気がついたら押切もえさんのファンっぽいです(笑)。その証拠に、買ってしまいましたよ。彼女の自伝?「モデル失格」を!!アマゾンで。しかも中古で(余談ですが、本当のファンというものは、本やらCDやらは2つ買うらしいですね。保管用と、使う用に。そういう意味では中古で買っているわしなどは、「ファン」と呼ぶには程遠い存在なのかもしれない)。

彼女は女性ファッション誌「AneCan」の専属モデルですが、別に「AneCan」を毎号買って穴が開くほど観賞しているわけではありません。雑誌「AERA」やテレビの「アメカフェ」を読んだり見たりしているうちに、がんばっていい仕事をしよう、成長しようとしている様子に心を打たれ、ファンっぽくなったという次第です。要は努力家に弱いのです。

この「モデル失格」も、「AERA」の中で宣伝していたので、これは絶対読まねばと思って、かぶりつくように読んでみたのですが、まあ並の内容でしたねー(笑)。内容が結構重複しており、言いたいことをまとめると3ページくらいに収まってしまいそうな気がしました。ただ、これは良いなと思える部分もありました。ホノルルマラソンに出場することになった彼女が、気が進まないトレーニングをこなすために自分に言い聞かせた言葉。「つらいマラソンを走り終えた自分は、きっとそれまでの自分とは違う存在になっているはず。ゴールの向こうで待っている新しい自分に会おう。そのためにがんばって走ろう」。

意訳していますが、こういう心の持ち方ってすごく良いですよね。肩肘張らない、すごく自然でポジティブなモチベーションの作り方というか。ちなみにわしなども、朝起きて「今日は厄介な仕事がいろいろあって嫌だなあ」と身体と気持ちが重くなることがあるのですが、家を出て歩いているうちに自然と、「これも自分が成長するための良い機会に違いない」と、勝手にマインドが変わっていきます。毎回不思議でしょうがないんですがね。3歩歩くと忘れるというニワトリに性質が近いのでしょうか…。

まあ、そんなわけで、読んでみて下さい「モデル失格」。


▼「機動戦士ガンダム00」がつまらない

TBSで日曜の夕方にやっているアニメ「機動戦士ガンダム00」。あと2回くらいで終了ですが、ここに来て、圧倒的につまらないです。うちの奥さんはこのアニメが大嫌いで、わしは録画してわざわざ深夜に見ていました。「なんでこんなに面白いものが嫌いなのか」と考えていたわしですが、今では何も言えません…。

深く批評する知識と知見を有しておりませんので簡単に書きますが、まず強さのインフレ化が著しい。切り札的な技(機能?)「トランザム」が乱発されすぎて有難みがない。あとはキャラクターの人格がおかしい。みんなどういう思いでこの戦争を行っているのか知らないが、戦争ってそんなもんじゃないだろう、と。特に人間の進化系とされる「イノベーター」と呼ばれる人たちは、どこが進化系なのか良く分からないくらい浅はかな感情に動かされて行動し、むざむざと死んでいっている。そして何より、噛ませ犬的な死に方があまりにも多すぎ(笑)。命を大切にね!

キャラクターが売り物のアニメなので、話が個人対個人に収斂されていくのは仕方ないにしても、せめて「戦争の凝縮された図」が無いと、なんとも浮ついた内容になってしまう。戦争という派手な舞台でやっている喧嘩なので、見ていて白々しい思いがする。

先日、従軍記者も経験している93歳のジャーナリスト・むのたけじ氏の著書「戦争絶滅へ、人間復活へ」を読みました。戦時下の強姦や慰安所の様子が生々しく書かれていました。また、ETV特集の「イラク戦争検証シリーズ」を見ました。米軍によるイラク軍捕虜への数々の虐待事件の検証がテーマでした。まあ暗澹たる気持ちになるわけですが…こういうドンパチの外延にある、けれど本当に戦争の闇が詰まった部分に光を当てるようなエンタテインメント作品って、成立しないものなのかしら。テーマは臓器売買なのでちょっと違うけど、「闇の子供たち」もあんまり流行らなかったし。商業ベースでは「おくりびと」のようなヒューマン路線がぎりぎりのラインなんでしょうかね。

あ、ちなみに「おくりびと」は、わしの地元が舞台となっています。アカデミー賞受賞のときは一気に沸きましたが、これが観光誘致などの実利にまでつながるかどうか。つながってくれればうれしいのですが、どうなるでしょうね。
posted by サイダー at 09:41| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月09日

タレントブログ炎上・書類送検事件についての雑感


おつかれさまです。「みすず学苑」の電車内の広告が気になって仕方がない今日この頃です。与謝蕪村が合格通知を破って食べている絵が載っているシリーズをご覧になった方はいらっしゃいますかね。あのセンスには素直に脱帽でございます。どこまで広告として効いているのかはともかく…。

上のニュースについて。戦争の主役がロボットにとってかわるという話。自分が子供の頃は、今ぐらいにはそんな世の中になっているという予測もあったような気がします。いずれにせよちゃんと戦闘員と非戦闘員の区別をつけて殺しをやってほしいものです。でないと「ガンダム00」の「オートマトン」みたいなことになりますからね…。

さて。今回気になった、というのか、心を揺さぶられたのはこのニュース。

これまで放置されてきたネットの“暴力”に捜査のメスが入った。お笑いタレントの男性(37)のブログに、このタレントが「足立区女子高生コンクリート詰め殺人事件に関わった」などといった中傷を書き込んだとして、警視庁は5日までに、男女18人を名誉棄損や脅迫の疑いで、書類送検する方針を固めた。警視庁が書類送検する方針を決めたのは、大阪府高槻市の国立大職員の男(45)、千葉県松戸市の男(35)、札幌市の女子高生(17)ら18人。すでに家宅捜索を行い、証拠品を押収したという。(以下略、2月5日付ZAKZAKより引用)

以下、当局の手によって、男性タレントが事件に一切関与していないということが自明であるという前提で話をしますけど、あまりにも悲しい事件が起きたなと思いました。かと言って、こういうことがレアなことなのかというとそんなことは全くなく、「ネット」「書き込み」「逮捕or書類送検」の3点セットで検索するだけで、こんな話が出るわ出るわ。どっかに爆弾を仕掛けたとか、特定の誰かを殺すと言って捕まったりしている事件が本当に多い。

そんな中で、上記の記事でどうして心を揺さぶられたのかというと、二つ要因がありまして。ひとつは、被害者のタレントがよく見ていた「タモリのボキャブラ天国」(名番組です)に出ていた人ということと、もうひとつは、上記引用には載っていませんが、書類送検された人々が言った言葉があまりにもショッキングだったこと。

「まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかった」

まあそりゃあ、検察に送致される経験なんて人生ざらにありませんから、そう思うのもわからなくはないですけどね。「あまりにも…」という気持ちになりました。

書類送検された18人の行動を整理すると、ネットで男性タレントが事件の犯人なのではないかという話がまことしやかに流れているのを見聞きし、それを「事実」と信じこみ、その男性タレントのブログに過剰な表現で名誉を棄損する書き込みをしてしまった、という感じですかね。

ネット上の情報は玉石混交あるし、別に嘘の情報を本当と信じ込んでしまったことについてとやかくいう気はしません(現に自分自身がそうなっていることもある)。けれども、そこからどうして、タレントのブログに「人殺し」とか書き込むことに行きつくのでしょうか。あまりにそのタレントを愛していたがゆえに、その気持ちが一気に憎しみへと変化し、ほとばしる思いが書きこみをさせてしまったのか。日ごろタレントを貶めたいと思っていて、チャンス到来とばかりに渾身の思いで書きこんだのか。

まあ以上のようなことはあるはずもなく…。答えは明らかに、別に何の気もなく、面白半分でただ書き込んだというだけの話ですよね。このタレントやコンクリ詰め事件に特に関心を持っているわけでもなく、実体的にも感情的にも、何のステークホルダーにもなりえない立場からの書き込み。それが「まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかった」という言葉につながっている。

自分の発言が、発言の向こうにいる人に対してどんな影響をもたらすか、キーボードを叩いている間一切考えることもない。ましてや、「自分の発言の向こうにいる人」が誰なのかすら認識できず、ただ自分の発した言葉は広大なインターネット空間に投げ込まれ、漂うだけとしか思えないのかもしれない。インターネットのもたらす有意義な影響のひとつである「想像力の欠如」が面白いくらいに発揮された事例です。

札幌市の女子高生は、その日すごく嫌なことがあって、むしゃくしゃしていたのかもしれない。もしかしたら自分と同じくらいの少女が殺されるというこの事件に対して、悲しみ、憤っていたのかもしれない。けれどその憤りの詰まった文章を、例えば大好きな彼氏や、両親に見せたら、果たしてどんなふうに思われるか、ちょっとでも考える隙があったか。

国立大職員の男性は、人生の後輩に対して、教育の現場に立つ者の思いを込めた厳しい書き込みをしたのかもしれない。しかしその文章は、自分の妻であったり、子供であったり、職場の同僚に「自分の書いた文章だ」と言って、堂々と見せられるものであったか。

キーボードに手を当てて、モニター越しに偉そうにこの世を俯瞰し、自分の言葉を海に放り込んでいるような感覚での言論を可能にするインターネットは、やはり使い方を教え込まなければ究極に危険な道具になりうる。人類を最も不幸にする発明は、「原子爆弾」でも「進化論」でもなく、この「インターネット」であるような気がしてならない。

かくいう自分だって、書類送検した彼らに対して、ネットの中で上からものを言っているようなこんな文章を書いている。それが下手をすれば、「女子高生くらいの歳で書類送検されるなんて、起訴猶予になったとしても人生終わってる。男10人に次々強姦された方がまだまし」とか「ずいぶん知能程度の低い国立大職員もいるね。脳の異常を見てもらった方が良いんじゃないの」というようなトーンにだってなりうるし、この事件が発生してからすでにネットでそういうことを書いている人たちもいるんだと思う。わしも気分次第ではどうなることか…。

新聞や雑誌などで文章を書くことを生業としている人たちは、自分の文章が世の人の目に触れるまで、いろいろな人に何度もチェックを受ける。事実と違いはないか、行き過ぎた表現はないか、読者を誘導する表現はないか…そうやって何重にも客観性のフィルターを通される中で、自然と文章が研ぎ澄まされていく。書き手も厳しいチェックを意識するからこそ、自分の名前で、誰に見せても通用するものを仕上げようと、努力を怠らない。そのプロセスに一貫して流れているのは、「人に見せて恥ずかしくないものを仕上げる」という文章のプロとしての矜持である。

「オールドメディア」と呼ばれ、この不況もあり凋落著しい新聞・出版業界。どんどん倒産も出てくることが予想されるが、それとともに文章ひとつひとつに懸けるプロの矜持までこの世から失われていってしまっては相当まずいと思う。言論が世に出るプロセスを認識させる仕組みだけはなんとか残しておきたいものである。

最後に。以前もちらっと触れているとは思うけど、これからは物心ついた時からネットに触れているのが当たり前という人たちがどんどん世の中に溢れてくる。現実のリアルな人付き合いではきちんとしているのに、ネット上では制御する存在がないために「想像力の欠如」に陥ってしまう人がいるのが現在の世の中。今後は、生まれながらにネット上で「想像力の欠如」したコミュニケーションを行っている人たちがリアルな場に出てくることが予想される。しかも大量に。

果たして、彼らを制御する術はあるのか。あるとして、我々はそれを持ちえるのか。
posted by サイダー at 01:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

最近の若者に対する言説についての雑感



09年第2回目の記事でございます。今年もこのくらいのペースで更新していきたいと思います(自分への楔)。

上のニュースについて。日本より一足先に、台湾ではやっちゃっております。この政策が良いか悪いかは別として、まだあちらのほうが機動的とは言えるのでしょうね。

さて。

ちょっと前の東洋経済の特集のテーマが「若者」でした。酒を飲まない、安定志向など、最近の若者の特徴や行動の傾向を解説し、マーケティング向けに若者の攻略法のようなことも載っていました。読んでいてなかなか面白かったです。

アジアの大学で教鞭を執る大前研一氏は、今の日本の若者は外国と比較して「やってやろう」「挑戦しよう」という気概がなくなってきている、国家にとって大きな問題だと憂う。確実に一定数は優秀な学生がいるものの、日本からの海外留学生の数は年々減少しているようです。

かたや『希望格差社会』『婚活時代』などの著者である山田昌弘氏は、かつて製造業を行う大企業が生産拠点を次々に海外に移したことや、ITが進化したこと、周辺業務のアウトソース化が進んだことによって、国内で専門的職能を要求される雇用が創出されにくくなったと指摘。仕事のパイが減ったにもかかわらず、いい歳をした大人たちがある程度のポストに居続けたことにより、若者には(ルーチンワークなど)それほど職能の必要とされない仕事ばかりが供給されてしまっているとして、彼らをかばう。

ふたりのコメントからは、社会構造の変化によって不利な状態が形成され、常態化し、さらに経済情勢の悪化によって、精神的にも、物理的(金銭的)にも、身動きが取れず縮こまった状態に追いやられてしまった若者像が浮かび上がってくる。実際にフリーターや派遣労働に従事する若者の数は2000年に入ってから激増しているようだ。それに伴い、若者の可処分所得は年々減少し、当然のことながら消費も減少。支出の内訳のかなり大きな部分を「預貯金・投資」が占めているという実態がある。

個人レベルの実感値としても、理解できる部分は多分にある。まず、自分自身がおそらく「若者」に該当するであろう年齢だが、あんまり消費の意欲がない。特に自動車。最近こそ、子供もできたので、移動の手段として購入しようかと考えたりするものの、あくまで「必要性に迫られて」検討するのであって、そうでもなければ欲しいとも思わない。しかも毎度タクシーを使って移動するほうが、トータルで見ればよほど金がかからないなどという話を聞くと、「じゃあ、いいか」となる。こんなもんです。

あとは、いまだに大学の後輩などからOB訪問を受けたりもするけど、やはり彼らも「守り」に入っているなと感じることが多い。特に最近はこういう経済情勢だからなのかもしれないけど。自分たちがどうなってしまうのか、戦々恐々としているようでした。皆素直で、とても優秀そうなかんじがするのですがね。

では、こういう若者の現状は、果たして問題なのかどうか。面白いことに、古代エジプト文明のころの古文書を解読していったところ、「最近の若いもんはなっとらん」という文章が書かれていたそうです。上の世代から見た若い世代というのは、いつの世の中でも「困ったもの」らしい。そういう「大人たちの基準でのエゴ」などでなく、本当の意味での問題が横たわっているのかどうか――若者たち自身が今の状況に悲鳴を上げていたり、このままでは国家が立ち行かなくなってしまったり――を考えた場合の話ですが、やはり、今の状態はまずいのかなと思います。

ここで東洋経済の特集に戻りますが、「機動戦士ガンダム」などのアニメ監督である富野由悠季氏はインタビューで、「変わるべきは若者たち自身ではなく、若者を取り巻く環境であり、上の世代である」と強く訴えています。これはまったく同感です。

上述の山田氏のコメントにもあるように、制度的な変革も重要ですが、上の世代の果たす役割は、若者の意識・行動形成に直接的に関わるため、さらに重要といえます。しかしながらここが、どんどん機能しなくなっている。たとえば、「若者は酒を飲まなくなった。酒を飲みながらコミュニケーションをしなくなった」という状態について。これはあるマンガの受け売りですが、ビールの売り上げが落ち込んで、替わりに安いまがいもの「第三のビール」がどんどん売れている世の中で、どうして若者がおいしく酒を飲もうとするでしょうか。「うまい酒」がなんなのか、上の世代が下の世代に伝えることを放棄しているのではないか。「消費をしなくなった」という話も、不景気ムードになると一気に生活防衛一色に染まる消費行動を見て、どうして若者が積極的に消費しようと思うものでしょうか。

親の背中を見て子は育つもの。若者の今に原因があるのだとすれば、結局それは上の世代がどこかで種をまいていたのだということ。今から彼らを変えることは容易ではないと達観しつつ、さらに続く世代をなんとか軌道修正していくために、とにかくまず上に立つ世代が歯を食い縛って変わっていくしか道はないでしょう。

またしてもマンガの受け売り。連載終了後数年経ってもなお輝きを失わない名作『HEAT』(武論尊原作、池上遼一作画)の主人公・唐沢辰巳の名台詞より。

「親が強けりゃ、子は迷わねェ」
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2008年12月16日

「派遣切り」問題についての雑感


今年も残すところあとわずか。このブログもあと何回書けるでしょうか。

上のニュースについて。ううむ、靴だからまだいいようなものの、はっきり言って銃弾浴びせられても文句は言えないと思いますね…(前の記事参照)。

さて。

自動車や家電など大規模製造業を中心に、派遣社員の契約打ち切りや契約更改中止が問題となっています。また、今年の新卒採用で一度は内定を与えた大学生たちに対して、内定を取り消す企業も続出、こちらも問題となっています。いわゆる「派遣切り」「内定切り」です。

今まさに当事者として、この問題に向き合っている人たちは、本当につらい立場だろうと思います。テレビの特集でも見ましたが、数日後の契約打ち切りが決まっている、ある工場の派遣労働者の方は、「これからクリスマスや正月の時期を迎えて、子供が楽しみに待っているというのに『お父さん仕事クビになったよ』なんてとても言うことができない。どうすればいいのか…」と切々と語っていました。

「内定切り」に関しても、ある不動産デベロッパーはある種「手切れ金」として、内定者1人につき100万円を支払ったようですが、そんな措置もなく一方的に通告されたケースもあるようです(そういうやり方は違法性を帯びるようですが)。内定先への就職に向けて、いろいろと準備をはじめようかというこの時期ですから、本人はもちろん、家族にとっても、大きな衝撃を与えたことでしょう。

ただ、そういうつらい状況が生じていることを鑑みた上で、敢えて非情なことを書かせていただきますと、「派遣切り」については、小泉改革路線である「労働者派遣法の規制緩和」の産物であり、その当時からこういう事態が生じうることも、関係者はすでに織り込み済みだったということです。

法改正のポイントは、通訳やアナウンスなど特に専門性を有する限られた職種(たしか26種類くらい、間違っていたらごめんなさい)以外にも、派遣という働き方を広げる点にあります。これは当時の事情を考えれば、理解できる点も多々あった。すなわちIT分野の産業を、国を挙げて強化し、情報通信立国を目指すという明確な国家ビジョンがあった(まだ継続中??)。それに則って、働き方、知的財産のあり方、放送と通信のあり方など、さまざまな分野で活発に議論が巻き起こっていたのは皆様ご承知のはず。

そのうちの「働き方」がこの問題に関連するわけですが、まあIT分野は新しい分野ゆえ、どうしても新興の企業ばかりになる。そういうところは大トヨタや大ソニーなどとは違って、しっかりとした社員の待遇・福利厚生もないようなところがほとんど。「そんな会社には入りたくない!」ということになったのではいつまで経ってもIT産業が育たないから、「派遣元」がしっかりと受け皿となってあげて、IT技術者たちが不安を抱かず働けるように状況を整える。「派遣先」であるIT企業も、業績が安定しないなかで、解雇しにくい正社員を雇うより、ある意味「変動費」のように調整が利く派遣社員を頼るほうがメリットは遥かに大きい。事業が伸びれば、どんどん継ぎ足せばいい。派遣される技術者たちも、派遣先で着実に仕事をこなすことで派遣元での評価を上げ、自分の腕・技能をさらに良い待遇で買ってもらえる。そういうキャリアのステップアップを描きやすかった。

つまりは、国家ビジョンから捉えたこの法改正の趣旨は、IT産業に代表される新興企業の成長のため、その成長を支える労働者(主にIT技術者)たちが、新興企業の待遇や業績変動に不安を抱くことなく業を行い、ステップアップしていけるよう、バックアップすることにあったのです。「包丁一本、さらしに巻いて〜♪」の歌じゃないですが、渡りの板前たちが、己の腕さえ確かならばちゃんと生きていけるように法的に保護するような、そんなイメージです(余計わからんか…)。

実際に、こういう政府のビジョンのモデルとなっているような働き方を実践している技術者や企業は、けっこうあったと思います。「SPA!」で見たとかいうのも入れてですが(笑)。ちょうど日本経済全体に追い風が吹いていた頃ですね。1ドル140円くらいあって。人材派遣業も花盛りで、駅構内の大判広告面では、「この春、仕事を変えてみることにした」なんていう、わしの感性ではとても考えられないようなキャッチコピーが大きく踊っていたりもしましたね…。

先ほども書いたとおり、「国家ビジョンに照らした法改正の趣旨」はそういうことだったんです、少なくとも。ただ、趣旨に沿おうが沿うまいが、改正された法はいろんな利用ができてしまう。そのひとつが「大企業による」、「業績の緩衝材(クッション)」としての派遣社員の利用であり、今回まさに問題とされているところのものです。業績が良ければどんどん継ぎ足し、悪ければ切り捨て、「株主の皆様のために」、企業の利益を確保する。不景気になればそういうことは当然起こりうると、改正前からわかってはいた。警告を発している人もいるにはいたが、右肩上がりの経済という強い風が、その警鐘をかき消してしまった。

まあ、さすがにそれもやりすぎるとあんまりなので、派遣社員を雇って3年が経過した場合に、正社員としての雇用を検討させる補足的制度も設けられているにはいるのです。しかし悲しいかな、それもうやむやにされているか、逆手に取られて3年限りの使い捨てを促すことになっているようです。

ただし、それもこれも本来的な話ではない。ここからは私見です。やはり先ほども申し上げましたが、派遣社員の本質は、本人から見れば「腕が頼りの渡りの板前」であり、企業の経営者から見れば、「変動費」。このドライな関係こそが、派遣という働き方の真髄のはず。企業側が「別れてくれ」と言えば、あっさりと別れる。そのかわり働いた分の報酬はきっちりともらう。サービス残業するなら、その分ももらう。ゴルゴ13みたいなもんです。

日本社会みたいな濡れ濡れにウェットな風土で、「包丁一本」を貫き通せる覚悟がある人こそが、派遣という働き方を目指すべきであって、「切られたら即、泣きつく、抗議する」というのは、本来ならば違うはずです。もちろん、使用する企業の側の意識が足りず、正社員と同様の接し方、仕事のさせ方を強いている現実があり、さらに、大企業が派遣先である場合は特に、有形無形の圧力が派遣元にかかっていることもあるでしょう。それは当然、是正していかねばならない。

ただし、根本の問題は当の派遣社員の側にもある。甘えた考えのまま派遣社員をやっていること自体が、制度を知らず、己を知らず、世の中を知らぬ者の自業自得と言うべきでしょう(なんか『ハケンの品格』みたいになってきました…)。

厳しいようですが、仕方ありません。それが真のプロフェッショナルを育て、優勝劣敗の差をくっきりと、色濃く、明確につけることを指向し、国民が熱狂して支持した、「小泉改革」の成果なのですから…。

(追記)
余談ですが、アメリカでは正社員の労働組合があまりに強い力を持ちすぎているせいで、ビッグスリー問題のようなことが起こっています。トヨタなどと比べて高すぎる労働コストと好待遇が引き合いに出されていますね。今回の「派遣切り」問題で、日本では「株主と、ある種正社員を守ろうとする経営側」が批判の対象となり、アメリカでは「自分たちの暮らしと権利を守ろうとする正社員(組合)を扱い切れない経営側」が批判されています。労使関係も、古今東西。
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2008年11月20日

またまた、最近の出来事についての雑感


上のニュースについて。世界的に権威ある「ミシュランの星」。もともとこういう取り組みって企業のブランディングの一環として行われるはずのものなんですが、ミシュランの場合、あまりにも本業に事業活動とかけ離れております。日本人で「ミシュラン」と聞いたら、本業よりもレストランの格付けやっているイメージを持っている人が多そうな気もしますけど、それは意味あるんでしょうかね。「ミシュラン」という名前が浸透するという意味では、効果はあるのかもしれませんが。

さて。

取りとめもなく、掘り下げたことも書けず、申し訳ないと思いつつ、また五月雨式に。しかもそんなにタイムリーではない話題です(笑)

▼小室哲哉氏の逮捕

ホリエモンと同じく、持ち上げられた反動で一気に地に叩きつけられたかわいそうな人…。テレビ局はすっかり庶民となった華原朋美やKEIKOは追えても、ドラマの女王と化した篠原涼子は「し」の字すら出すことができませんでしたね。芸能事務所恐るべし、です。

無体財産権の二重譲渡を制度的に防ぐ仕組みとか、そっちの議論が深まれば良いのですが、そんなことにはならないですね。人生のうち価値ある無体財産を生み出す機会がゼロに等しい多くの一般人にとっては、まったく興味が持てないテーマですので、まあ無理からぬことです。


▼景気対策の給付金

国家財政が厳しいにもかかわらず、なんと2兆円規模の大盤振る舞い。が、ひとりあたり1万2000円って、しょっぱすぎないか…。しかも実質的な所得制限をかけて、稼いでいる人たちには辞退を促すことも視野に入れている。別にわしは所得制限に該当するほど稼いでないけど、いらないよ、こんなはした金(ほんとに辞退したら絶対嫁に怒られるが…)。

一晩酒飲んで消えてしまうような額をクレープのように薄〜くまいたところで、どういう効果が望めるのか甚だ疑問であるね。


▼環境省、09年度からの環境税導入を要請

どういう税金なんだか。「炭素税」とも言われていますが、石油など地球温暖化を促進するものにはこれまでよりも重い税金が課されることになりそうです。わしみたいに別に温暖化してもいいとか、そのうち寒冷化するだろうと思っている人も払わなくてはいけないのでしょうか。

税金は消費税から輸入品にかかる関税を含めて、すべて自国の国益のためという合意の下、国民から徴収されるものであるはず。それが「環境」という、日本だけで完結せず、地球規模で考え、行動しなければどうしようもない問題に対して、国際的な協調行動の一環として導入されるとすると、税金の概念ががらっと変わってしまうことにもなる。沈みゆくツバルのために、税金を納める、か…。博愛主義者が多いね。


▼田母神前空幕長の論文問題

さすがに表現の自由の守護者を自認するマスコミですから、「間違った意見を表明している」などの表現は一言もないですね。「太平洋戦争で日本がアジアに対して行った一連の軍事的行為の非を認めた、政府の統一見解である『村山談話』に反する主張を行った」という枕詞で田母神氏を評しています。

結局この問題って、「民間主催の懸賞論文で自衛隊の空幕長ともあろう人物が、太平洋戦争を肯定する論文を書いて賞を取っている」→「そういう人物が自衛隊の重要なポストについていることは不適切」→「そういう人物を自衛隊の重要なポストにつけた政府=自民党にも責任がある」→「責任とって防衛大臣と麻生首相辞めろ」と、こういう論旨を展開したい勢力(それが誰かは言わずもがな、ですが)が議論を焚きつけたんですよね。

では田母神氏の何が問題だったのか。そういう思想を持っていること自体が問題だったのか。その思想が間違っていたから問題だったのか。そういう思想を表現したこと自体が問題だったのか。そういう思想を表現すると、精神的苦痛を覚える人がたくさんいるから問題だったのか。そういう人が自衛隊にいるとアジア諸国が怒ったり不安になったりするから問題だったのか。そういう人が自衛隊にいると、また日本が侵略戦争を起こす確率が極めて高いから問題だったのか。

思想も表現も人権として保障されていますが、別に表現の自由なんて、他の法益との兼ね合いでいかようにも制限しうる権利です。仮に法的には大丈夫だとしても、道義的に許せないという理由でいくらでも処断できる。外交上の国益を損なうからというのも立派な理由です。こんなふうにどうにでも「いちゃもん」はつけられるんですが、一連の議論を見ていて、「じゃあ結局彼の何が悪いのか」、というのが、ストレートに理解できないんですよね。

組織が何か問題を起こしたときって、よく再発防止策を問われたりしますよね。今回自衛隊という組織の人間が「とんでもない」問題を起こしたわけですが、どう再発を防ぐかを検討する際にも、何が問題の根幹かがはっきりすれば、手の打ちようがあるわけですが、今回はどうでしょう。思想に問題があったのだとすると、「入隊時に村山談話を無条件で受け入れるかどうかの思想チェックをする」とか。表現活動に問題があったのだとすると、「政府が許可しない表現活動・表現内容は行ってはいけないことにする」とか。

論客によっては、「これは自衛隊に留まらず、等しく公務員全体の問題である」と捉えるかもしれない。そこで公務員全体に、思想チェックと表現活動・内容の統制を行うことで、公務員諸君が二度とこのような不始末を起こさないようにする。教師は教員試験で君が代を国家と認めないと教師になれない。国歌斉唱中は勝手に座ったりしないで、ちゃんと政府の見解に従って立ちなさいと。ピアノ教師は伴奏拒むなと。

「政府の統一見解に反する」ことを処断するってのは、まあこういうことですかね。ずれてますかね。
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2008年11月08日

大麻をやっている学生についての雑感


もう11月ですか。早いですね…。上のニュースについて。こういう下らない見出しっていうのは、インターネットニュースに向けてのものだけなんだそうで。数ある記事リストの中から、クリックさせるには、こういうウィットが必要なんですね。と言うよりもむしろ、ユーザーの民度を低めに見積もっているという感じでしょうか。

それにしても先日ショッキングな出来事がありまして。アメリカでは黒人初の大統領が誕生しているというのに、学歴のせいで好きな男とも結婚できない人がいるという話。男のほうの両親が許さなかったようなんですが、自分の大事な息子は、自分の望み通りの相手と結婚させたいという親のエゴも分かる反面、あまりに狭量な気もしてしまう。だって学歴良くても、ろくでもない人間がたくさんいるじゃないですか…。まあ友人の話ですから、これ以上は言いますまい。

さて。

今回はその「学歴良くても、ろくでもない人間」の話です。誰もが聞いたことのある有名大学の学生たちが、大麻を所持・販売した容疑で相次いで逮捕され、裁判にかけられています。関東学院大学ラグビー部のときにも、それ以外でも何度も大麻の話を書きました。それでもまた書くのは、自分が卒業した大学でも、同様に大麻事件が発生したからです。

テレビや新聞でのニュースでは、かなり取り上げられました。自分が世話になっていた教授たちが謝罪をしている姿を何度見かけたことか(だいぶ偉くなられたようです…)。インターネットでも、掲示板のスレッドが立つわ立つわ…。

逮捕された学生は、大麻が好きなのか、実家が大麻農家なのか、金儲けが好きなのか、自分を何者かに見せたい虚栄心からなのか、どういう気持ちで大麻を持っていたのかはまったくわかりません。学生がどんな人なのかまったく知りませんが、わしとは同じ大学の先輩後輩という間柄であるのは紛れもない事実。そう考えたときに、ふと、怒りがこみ上げてきたわけです。

自分の所属していた大学の看板に泥を塗られたという感覚、ひいては自分自身に対しても傷つけられた感覚に見舞われました。「恥を知るがいい」と思ったものです。皮肉なもので、こういう形で「自分にも意外と愛校心があったのだなあ」と気づかされました。

たった一人の愚かな行いが、自分の両親はもちろん、友人や恋人、学校関係者、さらにその関係者と、どれほどの人たちの心に傷をつけ落胆させることになったか。取り返しのつかないことをしてくれましたが、これが彼にとってひとつのきっかけになれば、それに越したことはない。我々も後輩のふり見て、自戒せねばなりません。

ちなみに関西の大学で大麻を売っていた学生は、「大学には自治権があり、警察が入って来られないからばれないと思っていた」「別に大麻売っても大した儲けにならなかった」と余裕綽々の供述をしております。大学内の監視通報体制の強化も当然必要ではありますが、このコメントだけ聞いていると、もはや悪いことをしているという感覚がなくなっているのかと、そっちのほうが問題だと思ってしまいますね。大麻を売っているときに、誰か自分の周りにいる人たちの顔は思い浮かばなかったんですかねえ。

周りの人たちを踏み越えて「犯罪者になるんだ」と覚悟しての犯行であれば、筋金入りですから別の意味で立派とも言えましょうが、もしもそこまでの覚悟もなく大麻に手を出していたのだとしたら、よほど周りの人間の存在を軽視しているのか、周りとのつながりに気がつかないほど鈍感な人間なのか、誰にも関心を持たれないほど孤独で無価値な存在なのか。

もしかしたらですが、大麻のやりとりを通じたコミュニケーションをしているときのほうが、人とのつながりを感じられて、自己の有意性を実感できるのかもしれませんねえ……合掌。
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2008年10月24日

のどにつまらせやすい食品についての雑感


上のニュースについて。ついに日経平均が8000円を割り込んでしまいました。わしの記憶が確かならば、日経平均が最も安かったのが小泉政権時代で、7600円くらいだったと思います(NHKの夜7時のニュースの終わりあたりに「為替と株価です」と言って出てくるあの画面と共に、なぜか脳裏に焼きついている)。もしかしたら週明けそれを更新してしまうかもしれません。

すでにリスク資産をすべて手放したから言うわけではないんですけど、率直な話、こうなったら落ちるところまで落ちて欲しい。小さい頃から、雨雲が出てとんでもない雷が轟いたりすると、無性にわくわくする性分でしたが、今回もまさにそんな気持ちです。この世の終わりが見てみたい。

さて。

マンナンライフの「蒟蒻(こんにゃく)畑」をのどにつまらせて死亡する事件が後を絶たないということで、最近再び論点になっています。この中での論点推移が非常に面白く、参考になる。

マスコミはこんにゃくゼリーをのどにつまらせて死亡したケースが再び見つかったという発表を受けて、こぞって報道し、新聞もテレビも「再発防止のためにメーカー側が果たすべき責任は重い」という論を展開しました。また厚生労働省が、食品での窒息死に関する件数データをまとめたことを受け、件数ランキングトップ10の中にこんにゃくゼリーが入っていることを例に上げ、やはり危険だと言う話に持っていったように思います。

けれど同時に、インターネットではまったく別の議論が展開されていました。それは厚労省のデータに関して、こんにゃくゼリーよりも餅やらパンやらの方がよほど件数としては多いのに、それらは規制されずに、こんにゃくゼリーだけ「子供とお年寄りは注意!」というような表示を強いられるのは不公平ではないかと言うものです。どちらかというとこんにゃくゼリーを擁護する姿勢です。

そのインターネットの議論に火をつけたのが、野田聖子消費者行政担当相のこの発言。件のデータについて、「餅はのどにつまることが常識だと認識されている(=餅については何らの規制も必要ない)」。これで一気にネットはこんにゃくゼリーの味方に。さすが大臣、炎上のツボをよく理解していらっしゃる(笑)

政府・政治家がこういう発言をすると、マスコミとしても突っ込みを入れざるを得ない。これまでマンナンライフをじわじわと真綿で締め上げていた新聞・テレビもその手を緩め、餅やパンはどうするのかという議論に足を突っ込んでいきます。

そのとき絶妙なタイミングで(失礼)、小学生がパンをのどにつまらせて死ぬという事件が発覚した。子供が死ぬとマスコミは絶対に無視できません。一気に、パン窒息死の他の事例や件数の議論、そして食品窒息死全般とその対策の議論へと話が広がっていきます。

結果として、当初槍玉に挙げられていたこんにゃくゼリーは、完全にスケープゴートを脱することができました。ここまでの紆余曲折、論調変遷のポイントをいくつか列挙しますと…

▼子供の死
これが非常に大きいかもしれない。そもそもこんにゃくゼリーも子供が死亡したことで大きな問題となりました。これがパンでも起きたから、議論は大きく変わりました。思えば六本木ヒルズの回転ドアや、破損したエスカレーター、クロックスなど、子供の死傷でたくさんの論点が巻き起こってきましたね。

▼政治家の不適切な発言
これも大きい論調変動要因です。野田大臣の発言が、たとえば「餅については窒息について特段の規制はないが、今回の調査を踏まえて十分に注視していく必要があると認識している」というものであったなら、どうでしょうか。まったくお役所的な答弁ですが、少なくともあそこまで議論の風向きは変わらなかったでしょうね。

▼(第三者による)客観的な数値
こんにゃくゼリーが危機を脱したきっかけ。食品の窒息死件数データの存在が、世の中の目を「窒息死全般」に向けるひとつのきっかけを作りました。ひとつの物事にだけ注目が集まっているときに、ぽんと広い視点から客観的なデータを示すだけで、議論は大きく変わりうる。第三者によると書いたのは、これが「マンナンライフ自主調査」というのでは効果が薄く、あくまで厚生労働省や国民生活センターなど、中立的な第三者によるものであることが重要と言うことです。

ただし、あのデータの読み方については個人的には異論があります。インターネットでも報道でも、厚労省の出した件数をそのまま使って、「ゼリーよりも餅やパンのほうが圧倒的に件数が多い」という話を展開している。が、考えてみればそんなのは当たり前。食べている量や頻度が圧倒的に違うからです。

餅やパンは主食であるがこんにゃくゼリーは違う。そのあたりを踏まえ、「食する頻度一単位あたりの、窒息死発生件数」で、データを捉えなおす必要があるでしょう。その上で例えば、「こんにゃくゼリーって食べる頻度が少ないにもかかわらず、こんなに高い確率で窒息死が発生しているのか!」など、さらに深掘りした結論を求めなければ意味がないと思いますね。

またインターネット内や「とくダネ!」の小倉氏も言っていますが、消費者を甘やかすだけの消費者行政はやめたほうがいいと思います。食品消費期限偽装などのときもそうですが、あれは危ないこれは危ない、そうやって規制を増やして消費者を無能力化していくのはやめたほうがいい。彼らの判断力を奪うと同時に、生産する側をも萎縮させてしまう消費者行政は、自由資本主義の国にはそぐわないのではない。目指すべきは、「自己の責任について自覚ある消費者」をもっともっと増やすことではないでしょうか。企業は、隠さない、嘘をつかない。消費者は、騒がない、押し付けない。こういう大人な関係づくりを模索していくべきでしょう。
posted by サイダー at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月22日

「婚活」と合コンについての雑感


上のニュースについて。フィッシュスパがマレーシアでも人気だとか。けちをつけるわけではないんですけど、こういうのって、どこまで効果があるんでしょうねえ。魚が古い角質を食べてくれるって言っても、「食べ残し」とかあるんじゃないかとか、自分であかすりをしたほうが確実に早いんじゃないかとか、思いませんか??

さて。

「婚活時代」という本がヒットしたおかげで、「婚活」=結婚活動にスポットが当たっております。テレビや雑誌でも適齢期に達して(過ぎて)、必死に「婚活」に励む女性たちの姿が面白おかしく、時に哀れなタッチで紹介されている。放送されているとついつい見てしまうんですがね。

その中では、さまざまなサービスを提供する結婚相談所や、果ては適齢期の息子や娘を持つ親同士のお見合いパーティーまで登場します。上述の「哀れなタッチ」というのはこのあたりに現れていて、「結婚のためにそこまでするとは」というトーンで紹介されているんですよね。

確かに親同士のお見合いの様子とか、サービスの提供価格とかを見ていると、「さすがにちょっとな」と思えないでもない。でも結婚したいけれど決まった相手もいないという人にとっては、かなり合理的で賢い手段なんだろうなと思います。少なくとも「出会いがない」と嘆いては合コンばかりしている人たちよりは。

合コンというのは、出会いを求める場としては非効率極まりない装置であると常々思います。わしも人に頼まれて合コンのセッティングをすることがあります(既婚者なので慈善活動に近い)。その人は本気で出会いを求めているわけですが、まあ往々にしてうまく行きませんわね。3人対3人の合コンをやったとして、自分の理想にかなった人間がその3人に含まれている確率なんてどんだけのもんだと。

そして酒を飲みながら、相手のいいところを見つけていくのも難しい。社会人ともなると男女ともそんなに「前のめりに」コミュニケーションできないんですよね。解散するときに連絡先の交換もしない。男女それぞれ取りまとめ役を立てて、各陣営の連絡先を交換し、後はそれぞれがやりとりする。でもまあ、その時点で連絡する確度も下がっているし、相手からの反応も高いとは言い切れん。

非常に個人的な話なんですが、合コンが終わった後に、「今日は全然駄目だったな…」と言いつつ、男だけで飲みに行く通称「反省会」のほうが合コン本編よりよっぽど楽しいということがけっこうあったんですけど、そんなことってあったりしませんかね?

まあ万が一、万が一、理想の相手がテーブルの対面にいたとする。しかも「前のめりに」アプローチしてくる。話してみたらやっぱり良い人だ。…なんてことがあったとしてもですよ、向こうはその時点で結婚する気もさらさらなく、遊びを求めているなんてことがざらですわね…。

わしの持論ですが、結婚は、結婚していたい年齢からの逆算。ごく普通に結婚する場合、二人が「結婚しよう」「はい」となってから、まあ1年から1年半はかかります。両親に挨拶に行ったり、結納やったり、式場押さえたり、式の準備をしたり…という手続がけっこうあるので。人気の式場だと1年前からの予約は当たり前ですしね。

そう考えると、仮にある人が「自分はなんとしても30歳までには結婚したい」と思った場合、1年から1年半を差し引いて、28〜29歳のうちに、「結婚しよう」「はい」という状態になっていなければいかん。そこまでの関係に至るために、交際から1年を要すると考えると、だいたい27〜28歳のうちに、「付き合おう」「はい」という関係になる必要があるのである。それだけ時間がかかるのだから「付き合おう」「はい」となってもよい相手を見つけるための期間は、短ければ短いほど良い。

そんな状態であるからして、本気で結婚したい人は麻雀で天和を上がることを待っているような合コンを繰り返すよりは、結婚相談所や(質の良い)出会い系サービスを利用するほうが、時間的にも費用的にも遥かに効率的であろうと思われるのです。で、遊びたい人だけ、合コンをするということにすれば、そっちはそっちで良いことが起こりそうでしょ。

「婚活」にちょっと関連して。最近わしの友人知人におめでたいことがいろいろと起こっております。結婚が決まったり、結婚式挙げちゃったり、子供ができちゃったり、あと司法試験受かったり。わしも素直にうれしいです。まあ結婚式が重なるとご祝儀だけで家計が圧迫されていくという切なさはあるのですがね。そんな小さいこと言っていられないね。みなさんおめでとうございます!

…と、ここまで読み返してみて、今回はまったくろくなことを書いていないというのがよく分かりました。まあ、いいけど。
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2008年10月08日

続・最近の色々な出来事についての雑感


上のニュースについて。ニューヨークのダウ工業平均が1万ドルを割り込み、日経平均も一時1万円割れを記録するなど、全世界的に悲惨なことになっております。「全世界的に」なんて書くと、ちょっと自分とは遠いところの出来事のような気がしてきますが、全然そんなことはございません。詳しくは後述。

10月に入っても相変わらずいろんなことが起きております。リーマンの破綻でさえ、霞んでしまいそうな。というわけで今回も五月雨式に…

▼不動産・建設業界ボコボコ破産・民事再生

「不動産価格が値下がりするのでは」というマスコミなどの煽りを受けての消費者心理の冷え込み、鉄鋼やコンクリートなど原材料価格の高騰、銀行の貸し渋りによる資金繰りの悪化、それらが複合的にこの業界を苦しめ、今年多くの企業に引導を渡した。特に最近、新聞の経済面を開くたびに、大なり小なり、この業界の破産・民事再生ネタにお目にかかる気がする。そうやって一社また一社と潰れていくと、「いよいよこの業界は危ない」「マンションは今買うな」という風評へとつながり、悪循環を招く。

建設業界はしばらく本当に厳しいかもしれないが、不動産業界は身の丈以上に規模を追及しようとした企業が淘汰されているというのが実体。堅実に収益性のある不動産開発を手がけようという企業にとっては、土地の仕入れ価格も落ち着いてくる今後は大きなチャンスとなるだろう。そして不動産を買う側にも言えることだが、本当に良い物件はそうそう値段が下がらない。風評よりも、自分にとっての買い時をもっと気にしたほうがいいのかもしれない。


▼三越・イオンの店舗閉鎖

不採算店舗をたたみ、収益を確保しなくてはやっていけない百貨店・GMS。変わって元気なのが、アウトレットモール。スーパーやコンビニでもプライベート・ブランドが売れているそうな。本当に今は消費者が価格にシビアになっている。それにしても、大型のスーパーや商業施設は、地方に出店しては市街地の商店街を駄目にし、地域の基盤を根こそぎ奪った上で撤退していく。焼き畑農業のようだね。

どっかの街に「100円商店街」というコンセプトの商店街があるというニュースを見た。各店舗が100円で売れる目玉商品を用意し、それを武器に集客につなげようというのだ。エッジが立っていて面白い。氷河期は巨体を誇った恐竜たちが倒れ、小さな哺乳類が生き残った。鍵となるのは「適応力」。小さい商店ならではの生き残り方があるはず。


▼マスコミの不況

テレビも新聞も雑誌も大変なことになっております。新聞社の中には夕刊を廃止したり、配る地域を縮小したりという動きが出ている。雑誌も、「えっ、この雑誌がなくなるの!?」というような著名なものも含め今年をもって休刊・廃刊というのがかなりの数に上っている(もっとも毎年休刊・廃刊は一定数あるのだが)。世の企業も儲かっておらず、とにかく広告が入らないので広告収入が減少してしまった。さらに経営を圧迫しているのが紙代。紙の値段が上がっていて、これが相当負担になっているのだとか。すごい話だ…。

テレビ局も広告が入らない。もはや頼みはテレビショッピングと、所有不動産から上がる副業の収入。制作費がどんどん少なくなっていくと、もっと番組がつまらなくなっていくのだろうか。そう思いきや、あの地味なBS放送が今年初めて黒字達成だそうで。ゆる〜い雰囲気の紀行番組とか、自然番組が人気だという。このへんも、テレビ復活の鍵となっているような気がする。


▼巨人と阪神のペナントレース

夏ごろは阪神が優勝するものとばかり思っていましたが…巨人はすごいね。しかし、野球が盛り上がる機会は今を置いて他にないという状況であるにもかかわらず、日本テレビは巨人戦をろくに中継しようともしないという有様。完全に見捨てられております。ちなみに個人的には、どっちが勝とうがどうでもいいっす。


▼加勢大周、大麻と覚醒剤所持で逮捕

供述では「大麻は種から育てた」と語ったという。法政大学の学生たちもやっていたらしいけど、いい加減インドで暮らせって。大麻吸い放題だよ〜。


▼金融不況の連鎖

冒頭の続き。ずっと昔このブログで、株取引に挑戦というような記事を書いていたと思います。断続的に手を出していたのですが、もうあきませんわ…。いよいよ撤収いたします。

期待に胸を膨らませて注ぎこんだ資金は、ライブドアショック、村上ファンドショックなどの荒波にもまれ、時には難破しかかったときもありました。それにもめげず、なんとか持ちこたえていたのですが、結局一度もプラスに転じることのないまま、今回の一連のサブプライム恐慌に飲み込まれてしまいました。トータルでは百万超の損失を出して終了…。あまりにもふがいない有様ですが、嫁にも半ギレされ(笑)、その他諸般の事情もあり、撤収でございます。

まあたしかに、株式投資は素人が手を出したら危ないのは当たり前。けれど今回のサブプライム恐慌はそれだけでは終わりませんでした…。株を始める前に、手堅く儲けようと始めていた投資信託。順調に資産が積みあがっていたはずなのに、ここにきて一気に元本割れですよ。この数年間は一体なんだったのか…。損失を出すために続けることになろうとは。

正直わしの損害はまだ軽いほうだと思います。退職金を投資に回したお年寄りとか、今回どれほど損失出しているのだろうか。一時期合言葉のように「貯蓄から投資へ」と叫ばれ、優遇税制なども敷かれ国家総出で投資を応援した結果、結局20兆円の資産が跡形もなく消え失せてしまった。リスクは承知の上とはいえ、生きるために必要なお金を失ってしまった人はどうしたらよいのでしょう。

株価は生き物ですので「今が最高の買い時」という考え方もあると思うし、おそらくその通りだと思うのですが、個人的には損を確定してみて、やっとこさ投資の恐ろしさが分かったような気がしますね。しばらくはこりごりですが…また余裕資金ができたらやろうっと。
posted by サイダー at 00:20| Comment(0) | TrackBack(2) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

最近の色々な出来事についての雑感


上のニュースについて。この人ほどサプライズという言葉が似合う政治家もいないのではないでしょうか。このタイミングでの引退はさすがというしかない。空気の読み方、マスコミがどういう反応を示すかについての嗅覚は随一ですね。麻生首相が誕生して、自分の政治路線が否定されたと感じるや否やの引退表明。悪い論調が起こるよりも先に「影響力を保ったまますごい政治家がいなくなった」という印象を植え付けることに成功しています。

よく、できる人は飲み会の席でも一次会で颯爽と帰るなんていわれていますが、政治の舞台でそれを実践しているのが彼ということなのでしょうかね。卑近な例すぎますかね。しかしこれでいきなり次の東京都知事選などに立候補したら、瞬殺でその座を射止めるような気がしますがね。

さて。小泉元首相の話題もそうですが、最近は気になるニュースが多いのでまとめて雑感をば。

▼メラミン混入事件
発端は中国産の粉ミルクにメラミンが混入しているというニュースでした。もうすぐ子供が生まれる身ですので、こういう事件には敏感にならざるを得ません。

中国では日本の食品企業もどんどん進出して、新しいマーケットで商品を展開しています。工場も原材料も労働者も中国国内調達が基本ですから、生産工程の管理がより一層重要になってきます。今はちょっとしたことでも「中国での食品不祥事」というだけで、致命的なブランド毀損クライシスにつながってしまいますので。

日本でも丸大食品のパン類にもメラミンが入っていたことが大きく報じられましたが、ブランドイメージへの打撃は軽くはないでしょうね。まあ、あのパンダの顔のお菓子は、メラミンの有無に関わらず、あんまり食欲をそそられませんがね。

▼麻生首相の誕生
ローゼン閣下、四度目の正直。次はいよいよ小沢さんとの最終決戦ですね。ただ早くも自公合わせて過半数超えが勝利ラインと言われているらしく、非常に激しいボコリ合いが予想されます。うまい酒が飲めそうで楽しみです。結果次第で公明党が枕政党めいた真似をするんでしょうかね。

それにしても与謝野さんが負けてしまって非常に残念…。今度の総選挙でもなんとなく宿敵・海江田氏に負けてしまいそうな…なんというか、死相が見えます(比例で復活当選するのだろうけど)。

▼H&Mの上陸
いまだに平日も一時間待ちだとか。すごいですねー。ユニクロが個々の商品の機能性をメインに打ち出しているのに対して、H&Mは上から下までトータルのコーディネートで商品提案していますね。

店内も良く工夫されていて、同じラインの商品をぎっしり並べるようなことはせず、一点ものっぽく見せている。それであの価格ですから、皆「おおっ」と思ってしまう。エッジの立った服が結構あるのですが、逆にH&Mの服が誰かとかぶっているのって、ちょっとかっこ悪い気がして嫌ですね。ものは良いのですけどね。

そういえば、うちの奥さんが「クリスピー・クリーム・ドーナツが20分待ちで買えるようになった」と言っていました。行列好きの日本人ですが、この北欧生まれのファッションブランドは、どのくらい人気が持続するのでしょうか。

▼身の回りのできごと
うどんがすごく好きなんです。この間会社の人に教えてもらって、うちのすぐ近くにうどんの名店があることを知り、行ってみました。これがとんでもなくうまい。年老いたご夫婦がお世辞にもきれいとはとても言えない狭いお店を構えてやっているんですが、出てくるうどんはあの海原雄山先生でも瞠目して一気食いするのではと思えるような、それはそれはレベルの高い一杯でした。さぬきうどんなんですが、のどごしが良くコシのある麺とまろやかで塩加減の絶妙なかけつゆ。無我夢中で食し、ふと気がつくとまだ5分と経っていなかったという、そんなうどんでございました。うまし。

そのおいしさが忘れられず、最近いろいろな店に入ってはうどんを食っています。この間昼間に寄った立ち食い蕎麦屋でも、冷やしたぬきうどんを大盛りで注文いたしました。これが想像を絶するようなまずさで、一口うどんをすすって、あまりの歯ごたえのなさと業務用感丸出しの単調な味付けに暗澹たる気持ちになりました。どんぶりで店主の頭をかち割ってやろうかというくらいの怒りを覚えるとともに、立ち食い蕎麦屋でうどんを、しかも大盛りでたのんでしまった自分に対しても、情けない気持ちになってしまいました。

家でもうどんをよく作って食べますが、麺は生より冷凍がおすすめです。余計な水分を含んでいませんので、しっかりとコシのある仕上がりになりますよ。

最近気温がぐっと冷え込んできました。あれだけ活躍してくれた扇風機も今やお払い箱。皆さんも風邪などにお気をつけ下さい。それでは。
posted by サイダー at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

新司法試験についての雑感


上のニュースについて。「9.11」と聞いて、意味の分からない人はいないと思います。あれからもう7年も経つのですね。

たまたま聞いていたラジオで、繰り返しアメリカで何か事件が起きたことを伝えていたので、テレビをつけてみると、世界貿易センタービルが崩れ落ちるあの映像。何度も何度も見ているうちにどんどんSFでも見ているような感覚になったのを覚えています。

翌日は山形の実家に飛行機で帰ることになっていたのですが、当然ながら空港は物凄い警戒態勢。武装した警官が隅々まで配備され、日本ではないどこかになっていたのが思い出されます。

あの事件に起因して生じた憎しみの炎は、今もイラクやアフガンで燻ぶり続けている。そしてあの事件もまた、アフガン、パキスタン、サウジアラビアの抱えていた憎しみによるものなのかもしれない。彼らがなぜ憎しみを抱くのかと言えば、それはロシアやイラン、アメリカ抜きには語れない…。「憎しみの連鎖」という言葉がよく言われます。それは親しい人が殺されたから、殺したやつを殺すというようなレベルではない。その人、その国に刻まれた歴史に深く根を張った問題であるがゆえに、この問題はもはや解決ができない。

諦観しつつも、彼らの憎しみを遠くに感じることはしたくない。憎しみに共感すべく、世界史を学び直す日々です。

さて、今回は文章長いです。土佐礼子のように脱落する方もいらっしゃるかも…

今年の「9.11」は新司法試験の合格者発表の日でもありました。「法曹の質」問題を比較的熱心に取り上げている朝日新聞ではこんな記事内容でした。

法務省は11日、法科大学院(ロースクール)修了者を対象とした08年の「新司法試験」の結果を発表した。3回目の今年は、74校の6261人が受験し、2065人が合格。合格率は33%で前年の40.2%を下回り、2回連続して下がった。3校では合格者がゼロ。法務省が設定した合格者数の目安(2500〜2100人)も下回った。 「法曹の質の低下」に対する懸念が相次ぐなか、10年までに合格者を毎年3千人に増やす政府の計画をめぐる議論にも影響を与えそうだ。(以上、9/11朝日新聞ネット記事より抜粋)

わしの友人たちは果たしてどうだったのでしょうかねえ。受かっていると良いけど、33%だから間違いなく何人かは不合格でしょう。まあそれはそれとして、これはやっぱり「法曹人口の急拡大に反対」である弁護士会側に追い風となるのでしょうか。

先日、といっても7月ですが、この論点についての日本弁護士連合会の提言書が出されました。これにはどうも納得できなかった。彼らの言いたいことは、だいたい以下の通り。

法曹の養成は、法科教育・司法試験・司法修習・OJT(実務での訓練)という一連のプロセスで行われる。ところが、
・法科教育では、ロースクールの教育の質がバラバラである
・司法修習は期間も短縮され、また法科教育との有機的な連携(?)も取れていない
・そんな状態で法曹人口が一気に増えると、OJTが最後の重要な育成の場となる
・しかし法律事務所の経営能力の限界もあり、新任弁護士全員にきちんとしたOJTを行うことはできない
・OJTのやりかたも「E-ラーニング」など工夫しているけど、限界がある

…ということで、「司法試験合格者数を増やし、2010年に3000人にするという構想はよろしくない」と、そういう話でした。

彼らがこういうことを言うその根底には、「法曹の質が低下している」という論点があります。「法曹の質」とは、日弁連側によると「人格識見・法実務能力・法創造能力・事務所経営能力・公益活動意欲」の5つらしいです。そして、新司法試験を合格した人たちは、仕事をする上で必要最低限度の法的知識や法的理解力が低下していることが「指摘されている」らしいです。

そういう能力の低い法曹が世に溢れてはいけないから、法曹の質がきちんと担保されるようになるまで、無理に法曹人口を拡大するのはやめましょう、と言いたいわけですね。

わしの感覚からすると、「何を耄碌したようなことを言っているんだろう」という気になります。

まず、新司法試験を合格した人たちの法的知識の不足について。これは「誰に」「指摘されている」のでしょうか。クライアントが「全然わかってないね」と指摘しているのか、刑事訴訟法廷で対峙する検察が「そんなことも知らんのかね」と指摘しているのか、傍聴人が「この弁護士バカだ」と指摘しているのか。別に誰も指摘していないと思います。さも第三者が言っているように主張しているけど、結局は自分たちがそう思っている、そう思いたい、そんなレベルじゃないでしょうか(新聞が勝手に「世論が許さない」とか書いてるのと同じレベル)。

これがもしも、一斉に調査をして、統計上有意な結果として上がっていれば話は別ですよ。そういうこともなく、「n=1」的な話で、しかもマッチポンプなわけですから、なんと卑怯なのだろうと思ってしまうのです。逆に旧試験を受けてきた人たちは、法的知識は完璧だったのでしょうか。そんなことはないと思います。誰だって新人時代は未熟だし、上の立場から見れば「全然なってない」と思うこともあるでしょう。

はっきり言ってしまうと、その新人が「同じ旧試験を通った後輩」であるのと「(苦労した)自分たちとは違う(楽な)ルートで来たやつら」であるのとで、バイアスのかかり方が違っているだけではないのでしょうか。要は身内に甘い、と。

もうひとつ気になるのは、残りの「人格識見」「法創造能力」「事務所経営能力」「公益活動意欲」に関して。素人ながら申し上げたいのは、この能力に関しては旧試験組より新試験組の方が上なのではないかということです。というのも、新試験から弁護士になる人には、普通の民間企業から転身してやってきたような人がいっぱいいるからです。

わしは法学部を出ているということもあり、弁護士やっている人も結構知っております。今は会社勤めですので、社内外の企業人もたくさん知っている。「n=1」的な比較をさせていただくと、「人格識見」は弁護士の方が低いと思います(失礼ながら)。特にコミュニケーション能力と、世の流れを把握する力ね。これは話してみると如実にわかる。弁護士の方は往々にして、自分の土俵でしか話をしないのですな。

「事務所経営能力」はどうでしょうかね。駆け出し弁護士の状態をもってして旧試験組と新試験組を総体的に比べれば、企業出身者の多い新試験組に分があるのは明らか。択一・論文の勉強ばかりやっていた旧試験組の若手弁護士たちは、果たして財務諸表が読めるのでしょうか(B/Sなんて言葉すら知らないかも)。

「法創造能力」についても、企業で実務を経験した人であれば、一度や二度は「業界のこういう縛りがおかしい」とか「特許手続のここが現実的じゃない」とか、考えたことがあるはず。法を解釈し、新しい構成から論点を解決することに加えて、現実に法を変えていくポテンシャルも、相対的に高いのではないでしょうか。

「公益活動意欲」も、これは今の時代のせいもあると思いますが、圧倒的に旧試験組が劣るでしょうね。むしろゼロに近いんじゃないのかな(また怒られるようなことを…)。若い人たちがNPOにどんどん就職する時代。企業の対社会への姿勢が、メセナからCSRに捉えなおされた時代。公益活動の原動力は、むしろ経済界にこそある。これまで法曹が自分たちの仕事の範囲を超えて、組織として社会貢献を行ったことがあったでしょうか(また独立性が大事とか反論するのかな)。新試験組はきっと、法曹と社会との関わり方自体を変えてくれるだろうし、わしは少なくとも、それを期待しています。

ということで、まとめますと、
・法曹として最低限必要な法的知識が新試験組に欠けているかは疑わしい
・ていうかマッチポンプであり、身内に甘いだけである
・残りの素養に関しては、むしろ新試験組の方が優れているような気がする
・というわけで、法曹の質は低下していないんじゃないか
・以上より、別に法曹人口拡大に歯止めをかける必要はないんじゃないかと思う

てな感じでしょうか。

国民に圧倒的な支持を得た小泉首相が規制緩和路線に踏み切ってからしばらく経つと、そのときに鳴りを潜めていた勢力が、雨後の筍のように出てきては、ああだこうだと言い始めますね。この件に限らず。

規制緩和の真髄は「ダイバーシティ」であり、「利用者に自由に選んでもらう」ということ。日弁連の提言書で最も納得がいかなかったのは、彼らの提供するものは「サービス」であり、何が良くて何が悪いのかを決めるのは、その利用者であるという視点がごっそりと抜け落ちていたことです。結局は「殿様商売を一緒にやるのにふさわしい仲間かどうかは、俺たちに決めさせろ」という、業界視点での話に過ぎない。

いやあ本当に、弁護士って素敵な職業だと思いませんか?
posted by サイダー at 02:06| Comment(2) | TrackBack(6) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

山形県の加茂水族館についての雑感


上のニュースについて。こういう臨場感溢れる体験モノのアトラクションはぜひやってみたいですね。アメフトとかラグビーをテレビで見ていて思いますが、ぜひ誰かの頭部に小型カメラを取り付けて、その映像を流して欲しいものです。

さて。

水関連の話題というわけではありませんが、今回は水族館がテーマ。久々に地元山形県のネタです。

山形の日本海側、加茂という地域に「加茂水族館」というそのまんまのネーミングの水族館があります。最近、とある試みを初めて、一躍全国的に有名になりました。この水族館はわしが幼い頃からもずっとあったのですが、当時のわしは横浜に住んでいるばりばりのハマッコ(自称)。油壺マリンパークやら八景島シーパラダイスやら、水族館系の娯楽はだいたい体験しており、田舎にも加茂水族館があると聞いても、別に心を動かされたりはしないわけです。

わしもお子様で、「田舎の水族館」なんて、大したものが見られるわけでもない、客もまばらの鄙びたところだろうという、ネガティブなイメージを勝手に抱いておりました。

そして実際、そのイメージは当たっていた。水槽の並ぶ館内も、アシカショーの見られるステージも、土産物コーナーも客の姿はまばら。そうなると一度足を運んだお客さんの気分も萎えて、もうここには来ない、となる。完全に悪いスパイラルに陥ってしまったわけです。本当につぶれる寸前まで行ったんじゃないかと思うのですが、ここで加茂水族館は腹を括った。

「クラゲに特化した水族館」という、すごい方向に舵を切ったわけです。今から10年くらい前のことでしょうか。で、それが大当たり。全国でも珍しい、ここにしかない展示をやっているということで注目が集まり、メディアに取り上げられたこともあって、客足が戻ってきた。今では県でも人気のスポットです。

さすがに気になって、この夏実際にわしも足を運んでみました。夏休み時期ということもあるのでしょうが、クルマで来ている親子連れが多くて、駐車場の空きを探すのも一苦労。館内もそれなりに人がいて、サバやらアジやらサメやらを見ている。アシカのステージも半分以上は立ち見客でしたかね。

そしていよいよメインのクラゲの展示場、名づけて「クラネタリウム」へ(誰がつけたんだ…)。真っ暗な場内に、発光しながら妖しくゆらめくクラゲたち。毒があるやつ、ないやつ、大きいやつ、小さいやつ。種類にして何十種、個体では何百、もしかしたら数千体はいるかもしれない。どういう仕組みで光っているのかは知らないが、まあ綺麗なもんです。

不規則にゆっくりと動いているクラゲたちを見ていると、「このクラゲたちはいったい何を考えて生きているんだろう…わしもクラゲのように生きたいなあ……」と無性に後ろ向きな気分になってくるのはなぜだろう。けれどこんな呑気な彼らが、加茂水族館に再び活気を取り戻してくれたんですねえ。

レッサーパンダの風太で有名な旭山動物園も、お客さんが集まらず苦しんでいた時期に、「動態展示」というこれまでになかったコンセプトを立ち上げ、一気にメインストリームに躍り出た。その水族館バージョンが加茂水族館ということができるのかもしれません。「片山善博教授の講演についての雑感」でも触れましたが、やはり選択と集中。これが必要なのは電化製品業界だけじゃないですね。こんなこと言っては失礼ですが、たかがクラゲというへなちょこな生き物でも、それを束ねて強くコミュニケーションしていけば、そこに突破口が開ける。これってものすごく、いろいろな企業・団体にとって、勇気付けられる好事例のような気がします。

ちなみに加茂水族館の隠れた人気?商品はなんと「クラゲアイス」。細かく刻んだミズクラゲが入っている素敵なアイスです。恩を仇で返すのかと。気になるお味のほうは……ぜひご自身で体験してみてくだされ。
posted by サイダー at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

大野病院帝王切開死事件判決についての雑感


上のニュースについて。果たして真相は。新たな冷戦時代の幕開けとなるのでしょうか。高校の世界史で担当の先生が、ロシアを突き動かしているのは常に「凍らない海への渇望」であると言っていました。「確かにな」という気がしますね。

さて。

今日の新聞で大々的に取り上げられていたのが、福島県の大野病院で2006年に起きた事件の判決。以下、概要の報道です。

福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死の届け出義務)違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決が20日、福島地裁であった。
鈴木信行裁判長は、「標準的な医療措置で、過失は認められない」として無罪(求刑・禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。
医療界からは、医師の逮捕に対して反発の声が上がり、元々勤務が過酷とされる産科医離れが進むなど波紋を広げたとして注目された。(以上、8月20日付 読売新聞ウェブ記事より抜粋)

今回の事件の特徴としては、加藤被告を検察が逮捕したことによって、医師会がこぞって反発の声明を挙げ、検察側の進める訴訟に対する大ネガティブキャンペーンを展開したことでしょうか。それはともかくとして、こういう事件が起こると医師側が常々主張する「医療への萎縮」、わしは妥当性のある主張だと思っています。

分娩に関わらず、あらゆる医療行為は患者の生命・身体へのリスクを内在している。その担い手である彼らはプロフェッショナルであり、高度な技量と責任が求められるけれども、そこに「完全」を求めることは誰にもできないはず。

報道も、朝日や産経は珍しく歩調を同じくし、医師側にも配慮したバランス型の論調。読売は、医療問題に力を入れていることが関係しているのか分からないけれど、医師や医師会側に対してネガティブな表現が目立ちます。

この判決はこの判決として、とにかく医師側が勝った。けれど問題がそれで終わったわけでは無いと思います。検察側の主張や報道でも言われていた、「医師たちは仲間内でかばい合う体質」であるということ。今回の事件がそうだったのではとか、医療の世界全体がそうだとか、そんなことを言うつもりはないです。

世の中からは少なくとも、「医師たちは仲間内でかばい合う体質」であると思われている事実。これは「世間の思い込み、かんちがい」では済まされない、医師たちのもたらした問題です。医療など高度な知識と技術が必要とされる分野では、往々にして利用者(患者)と提供者(医師)の間に、情報の非対称性が生じやすい(その情報格差こそが、飯のタネなわけだが)。情報格差が放っておかれると、それは即、双方のコミュニケーション格差につながり、かんちがい、思い込み、不信、対立へとつながっていく。「かばい合う体質」と思われる素地があるのは明白でしょう。

「医療のプロ」を自任し、知識・技術を研鑽し医療行為に全身全霊を傾ける医師を悪いとは言わないけれど、本当の「医療のプロ」は、まず患者とのコミュニケーションのプロであるべきではないか。患者と医師がコミュニケーション上フラットな関係になれば、医療も通常の「ビジネス」として、失敗のリスクに対する世の中の許容性も、だいぶ向上するように思います。業務に追われ多忙で心にゆとりがない医師の勤務状況など、ハードルになる点もたくさんあるとは思いますが。

青臭いけれど、今回の事件が医師の方に対して、日ごろの患者とのコミュニケーションを見直すきっかけになり、患者と医師の絆が強まればいいなと思いました。

今年、ひとりの子供の父親になる身として。
posted by サイダー at 18:41| Comment(5) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

赤塚不二夫氏死去についての雑感


上のニュースについて。まあ組織によって見解はまちまちという話。バングラディシュの研究と国連の研究とNASAの研究、どれが妥当なのか。国連の報告も、ツバルのように「温暖化のために沈み行く土地があるんだ」ということを世の中に印象付けるためのもののような気もするし、かといってバングラディシュの研究のレベルが、果たして信頼に値するものなのかもちょっとわかりませんね。

いずれにせよ、広がっているというその陸地も、ちゃんと「陸地」として利用可能でない限りは意味がありませんね。農業利用できるとか、建物が建てられるとか。バングラディシュは洪水被害が物凄くて、海外からの投資の集まりにくい場所。それがアジアの中でいつまで経っても貧困から抜け出せない理由のひとつでもあるのです。いろんな国からいろんな支援がされていますが、洪水に泣かされない陸地こそが彼らの一番の望みでしょうね。

さて。

「おそ松くん」「天才バカボン」などの作品で知られる漫画家、赤塚不二夫さんが先日亡くなりました。歌手やタレントなどと違って、漫画という隔壁が間にあるせいか、亡くなったと聞いてもわしはあんまり心を動かされることはありませんでした。けれど報道を見ると、あのタモリが本当に悲しそうに哀悼しているなど、やはりただごとではないのだなあと感じます。

赤塚作品との出会いは小学生のときで、毎週土曜日の夜はテレビで「平成天才バカボン」や「もーれつア太郎」を見ていました。別にものすごくハマッて見ていたというわけではないのですが、いつの間にかあの強烈なキャラクターや台詞が刷り込まれていたのでしょうか。今でも結構はっきりと覚えています。中学校時代にはなぜか古本屋でバカボンの漫画を買って読んでいました。あんなにわけのわからない漫画もなかった(笑)

たとえばバカボンのパパの大学時代の友人がバカボン家に遊びに来るという話。みんな普通に会話している中で、友人の一人だけ、座布団とかいろんなものをかじって「あまい」しか言わない。けれど誰も突っ込まず、話の流れにもまったく関係ない…。彼は結局最後まで「あまい」しか言わずその話は終了。ええっ!?(笑)

みうらじゅん氏も産経新聞の赤塚氏追悼特集で、「ウナギイヌとか、変なキャラクターがたくさん出てくるのに、そこに何の説明もない。シュールすぎる」と語っていました。考えてみればテレビのバカボンで、話の途中に「閑話休題」的に劇画調の絵が差し込まれるんですが、あの絵はいわゆるシュールレアリズムの影響をかなり受けていたような(あんまり詳しくないけど)。けれどもそのシュールさこそが、中毒のように赤塚漫画を浸透させるキモなのでしょうね。

最後に伊集院光氏がラジオ番組で語っていたエピソードを。彼曰く、「若い世代は『平成天才バカボン』しか知らないが、昔は『元祖天才バカボン』というタイトルのアニメで、秀逸な作品がたくさんあった」そうです。そのうちのひとつが衝撃的な内容です。二人のギャング風殺し屋が、スリリングでアップテンポの曲が流れる中、ひたすらにいろんな武器を使って殺し合っている。台詞はいっさいなし。爆弾とかいろいろ使うんだけどもなかなか決着がつかないという状態が延々と続いて、最後は同時にピストルの弾に当たって二人とも死亡。そこで初めてバカボンのパパが出てきて、「これでいいのだ」。以上終了。

伊集院氏の話を聞いているだけで、独特のシュールな世界が目に浮かぶようです…。もしかしたら今後NHKあたりが赤塚氏の追悼特集をやるかもしれませんが、願わくばこの「二人の殺し屋」、ぜひ拝ませていただきたいものです。

赤塚氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
posted by サイダー at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

桐生第一高校甲子園出場についての雑感


上のニュースについて。第二次福田内閣が発足。郵政選挙で造反組として離党した野田聖子議員が、消費者行政担当相として入閣。彼女が「誰とでも寝る女」というわけではなく、自民党がまたどろどろの状態になっているということなのかしら。与謝野さんには期待です。

さて。

ちまたに通り魔が跋扈する今日この頃、彼らの間をするりと通り抜けて、お茶の間にやってきたスターが、強制わいせつ罪で捕まった桐生第一高校の野球部員である。いろいろと議論を呼んだものの、結局今日、桐生第一の甲子園出場が認められました。

以下、夏の甲子園を牛耳る朝日新聞の記事です。

選手権大会開幕前日の1日、野球部員が強制わいせつ容疑で逮捕された桐生第一の全国大会への出場が認められた。卑劣極まりない事件だが、近年、日本高野連は不祥事に関して連帯責任に問う目安を緩和しており、その方針に沿った判断となった。
 全国理事会では、事件の重大さを考慮し、「万引きやバイク無免許運転などの非行と同列に考えてよいのか」「内容次第で出場の可否も慎重に判断すべきだ」という意見があった。一方、今回の事件は帰宅後の私的な時間帯に起きており、「他の部員やチーム全体に責任を負わせることがよいのか」との意見も出たという。最終的に全会一致で出場が認められた。(8月1日付 朝日新聞ネット記事より抜粋)

「卑劣極まりない事件だが」という表現や、理事会の議論の様子を載せて「十分検討している感」を演出しているのは、まあ立場上「そうだろうな」と思います。

それはさておき今回の件、甲子園の大会が近いこともあり、被害に遭った女性そっちのけで、世の論点は「桐生第一が甲子園に出場する意向なのは、是か非か」にスライドしてしまいました。本当に大事なのは、こういう事件が繰り返されないためにはどうするかを議論することですが、我々大衆は分かりやすい事象にどうしても流されてしまうのですねえ…。

ちなみにわしは、今回の件、桐生第一は甲子園に出ても問題ないと思います。被害に遭った女性が例えば、テレビで桐生第一のユニフォームを着た選手たちが試合をしている様子を見たとしたら、そりゃあすっごく嫌だと思います。思うんですが、それでも彼女は、他の部員全員まで巻き込んで、「部として出場してほしくない」とまでは、思っていないんじゃないか。そう考えるのが一点。もちろん本当はどうだかわかりませんけど、たぶんそうなんじゃないかって話です。

あと一点は、連帯責任の考え方ですかね。組織の問題として論じることが妥当か否か。部全体で大麻やっていて、たまたまそのうち数人が吸っているのが見つかったという関東学院ラグビー部(懐かしいね〜)のケースと比較してみると分かりやすいんじゃないでしょうか。変態部員の行為の責任を組織に帰属させることが妥当でしょうか。

だとすると絶倫齋藤頭取が君臨するみずほコーポレート銀行なんかは企業活動を停止しないといけませんし、モナと渡辺アナのダブル不倫でアツいフジテレビは電波を止めなければなりませんし、二岡先輩のいる読売ジャイアンツは今期残りの試合全部不戦敗ってことにしないとおかしいと思うのですが、いかがでしょうか(ま、不倫は個人の自由。犯罪ではございませんがね)。

一番つらいのは被害にあった女性。けれど甲子園という最高の舞台が始まる直前に、組織の名誉をここまで汚されてしまった桐生第一の部員たちもつらい。きっと歯を食いしばるような気持ちでひたむきにプレイをすることでしょう。「出るな」「負けてしまえ」という声が聞こえる中で、果たして勝っても素直に喜んでいいのかどうか。そういう思いで甲子園に挑むことになった高校球児たちに、声には出さないまでも心の中で「つらいだろうけど頑張れよ」と声援をおくってあげるのが、大人というものではないでしょうか。

余談ですが、桐生第一の福田監督は空気を読んで辞任の意向を表明し、「指導が足りなかった」という謝罪コメントも発信しています。しっかし、「いいかお前らよく聞け。女の子を見てついムラムラ来ても、雑木林に連れ込んで、わいせつなことをしちゃいかんぞ。わかったな!」といちいち指導された日には、日本は滅亡しますね、きっと。
posted by サイダー at 22:29| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

文芸社『血液型別 自分の説明書』についての雑感


上のニュースについて。2005〜2006年の世相を語る上で必ず出てくるこの人。二審でも実刑判決が下されましたが、「なんか悪いことやっちゃったんだけど、なんだったっけ」くらいの感覚の人も多いかもしれませんね。

さて。

最近やたらと、血液型に関する本が売れているようです。文芸社から出ている、『B型 自分の説明書』などの、『血液型別 自分の説明書』シリーズ。つい先日も電車の中でこの本の広告を見ながら、盛り上がっている乗客に遭遇しました。あんまりこの手のものに興味がないわしが知っているくらいだから、結構な情報の投下量でしょうね。

それにしても、血液型って、なんなんでしょうね。

A、B、AB、OというABO式分類での4タイプの血液型で、それぞれ性格に特徴があるという。わしが高校生のときの生物の先生は、「血液の成分には性格を決定するようなものはひとつも入っていないのだから、巷で言うような血液型別の性格診断を信じているようなやつはバカだ」と平気で言っておりました。わしも「それはそうだな」と思っていたので、そんなに信じることもなく今に至っております。

だいたい飲み会とかいろんな場で血液型の話になって、「誰が何型だ」とかやり始めるときに、わしは8割がた「A型」だと言われるんですよね。まじめで几帳面っぽいという理由で。まあすみませんO型ですって感じなんだけど、相手の反応が「えーっ、O型っぽくない。絶対A型だよー」というわけです。人が「O型だ」って言っているのに、無理やり血液型の方に合わせようという(笑)

その時点でなんとなく破綻しているような気はするものの、それでも診断では「O型はおおざっぱで楽天的」みたいなことも書いてあったりするんですよね。それを見るとやっぱり「おお、わしのことじゃ」と思ってしまったり(笑)。まあ人に害を与えるようなもんでもないし、話の一興になるという意味では血液型、いいんではないでしょうかね。

ただ、解せんのは『自分の説明書』のようなものを買い求めてまで血液型にこだわる姿勢ね。そんなに自分の血液型に従属して安心感を求めたいのかしら。そんなものでも無いと自分がわからない、説明できない、安心できない、というのだとしたら、テレビの向こうの通り魔の皆さんと同じレベルの「見失いっぷり」ではないかね。

逆に血液型を参考にして友人や彼氏彼女とうまく付き合いたいという思惑で買う人も、どうなんでしょうねえ。型から入る人付き合いも悪いは言いませんが、自分のコミュニケーション力のなさを自ら認めているようで、悲しい気持ちにならんものかね。

血液型のせいで人生を狂わされた人といえば、「び、B型だとーっ!?」の台詞があまりにも有名な『華麗なる一族』の万俵大介氏ですが、皆さんもどうぞ気をつけてください。

ちなみに文芸社のこの本は、発売順がB型、A型、AB型、O型(8月1日発売予定)となっていて、売れ行きは順に、110万部、60万部、55万部、という具合だそうです。考えてみると、これは売り方にも仕掛けがあるような気がしました。O型向けの本を先に出しても、そもそもO型はあんまりこういうものは気にしませんので、先にもうちょっと気にしちゃいそうな血液型の本から出して、ヒットの事実を作って、O型にも売りやすくするという。マーケティングを血液型で考えてみるとそんなところでしょうかね。

そんな血液型、地味に輸血の際は重要になってきます。わしはO型なので、誰にでも血液を提供できる反面、O型以外の血液を入れられると凝結して下手すりゃ死んでしまうのでね。意外とナイーブですよ…。AB型がうらやましい。ところで『自分の説明書』の著者の方に聞きたいことがひとつあるんですが、AB型の人にO型の血液を大量に輸血すると、一時的にでもその人の性格はO型寄りに変わるんでしょうか。

まあ血液型の謎は尽きませんわ。
posted by サイダー at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

大分教員汚職事件ついての雑感


上のニュースについて。「死に神」鳩山法相が語っています。わしは死刑に反対ですが、それにしてもひどい言われようですな。実際に死刑を執行する立場の公務員の方々は、どんだけショックを受けたことでしょうね。朝日新聞は朝日新聞で団体の抗議を受けてあっさり謝っているけど、それも情けないね。

さて。

公務員つながり?ってことではないですが、世間を騒がせている大分県の教員の汚職の話。

大分県の小学校教員採用汚職事件で、県教委OBで県内の私立大学教授(65)が、元小学校長、浅利幾美被告(52)=贈賄罪で起訴、懲戒免職=の長男、長女の試験前の昨年7月ごろ、県教委義務教育課参事の江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で再逮捕=に「受験するのでよろしく頼む」と伝えていたことが分かった。教授はその後、自分の病気への見舞名目で浅利被告から現金10万円を受け取っていた。現金は紙袋に入れた魚の干物の下にあったという。
この教授は毎日新聞の取材に「教え子の娘で、頑張っていたので『よろしく』と伝えてしまった。今でもお見舞いと思っているが、口利きの謝礼と言われれば、そう受け取られても仕方がない」と話している。
江藤容疑者が勤務する義務教育課人事班には、県議など複数からの口利きが判明しているが、大学関係者の口利きが明らかになったのは初めて。(以上、7/14毎日新聞より抜粋)

どんどん汚職の輪が広がっております。

この事件に関して、こんなこと書くと絶対怒られそうなんですけど、どうしても言いたいことがあります。たぶん多くの人も思っていることだと思うんですが、あえて言いますと…

自分の子供をたかが小学校教員にするために、なんでそんな必死になっているんだろう。

いや職業に貴賎はないと思うんですが、それにしてもねえ。政治家とか、医者になるとかなら、がつんとカネ積んで「ひとつよろしく」なんてシーンも浮かぶし、それだけのリスクを犯すメリットもありそうな気がしますが、小学校の先生ですよ…。そんなにうまみのある職業なんでしょうかね。小学校の先生の「うまみ」をなんとなく考えて見ますと、

・ロリコン心をくすぐる子供たちと接することができる
・ばれなければ盗撮などもできるかもしれない
・ストーカーまがいのメールを送っても、「指導の一環」で済ませられるかもしれない
・腹が立つことがあって子供を殴っても「指導の一環」で済ませられるかもしれない
・学級崩壊の現場を見ることができる

…と、そのくらいしか思いつきません。小学校の先生の方、いらっしゃったらぜひ教えてください。あと、自分の子供をどうしても小学校の先生にしたい親御さんも、いらっしゃったらぜひ教えてください。

カネを積むのはまあ論外にしても、コネがある人間がうまいこと渡り歩ける世の中なのは間違いないですね。わしの大学にもいろんなご子息・ご令嬢がいらっしゃって、「あいつらはずるいなあ」と思ったりしたのですが、最近ではコネもパーソナリティのひとつだと考えるようになりました。それを使いこなせるかどうかは、その人しだいですからね。周囲から特別視されている状態がいい具合に心にプレッシャーをかけて、立派な人間になるっていうこともありますしね。

しかしこの事件で、「まさか自分が口利きで入ったなんて思ってもみなかった」という先生たちが生み出されてしまったわけで、彼らもある意味被害者かもしれません。周りからの風当たりも相当厳しくなるのでしょうが、きちんと授業をして、生徒を指導していく中で、認めてもらうしかないでしょうね。成長するための適度なプレッシャーとは、とてもいえないと思いますが…。

えーぬるい内容ですみません。それでは。
posted by サイダー at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

秋葉原通り魔事件ついての雑感



上のニュースについて。洞爺湖サミットで先進国の首脳が日本に集結している間にも、世界ではいろいろなことが起こっております。悲惨です。

さて。

先日仕事で秋葉原に立ち寄りました。仕事仲間と二人で昼食をとろうとふらふら歩いていたら、急にあるものが視界に入ってきました。先月の秋葉原通り魔事件。その犠牲になった方を供養する壇が、事件現場となった交差点のすぐ脇の一画に組まれていたのでした。事件のあった交差点を歩いていたなんてまったく意識もしていなかったので、壇を目の前にして私と仕事仲間と二人、「あっ」と声を発してしまいました。さすがに素通りもできず神妙な気持ちで手を合わせました。

壇にはたくさんのお花と、缶ジュースなどの飲み物が供えられていました。お花は新しいものが多くて、毎日不特定の誰かがやってきては、花を供えているんだなあと分かりました。ふと壇の脇を見ると、控えめな格好をした女性が二人、じっとうつむいて立っていました。遺族の方なのかはっきりとは分かりませんでしたが、きっとご関係の方なのでしょう。

突然供養の壇に直面させられると、思考力を奪われるというか、そこで起こった様々な出来事が一気に自分の意識の中に侵入してくるような気がしました。ガンと後頭部を殴られたようで、身動きが取れなくなるのですね。

秋葉原からは歩行者天国が消え、警察官が増えました。けれど人の数は相変わらずで、歩行者天国が無くなって歩道を歩かなくてはいけない分、むしろさらに多く感じます。細い路地には小さなパーツ屋・電器屋が並び、たくさんのお客が品物を物色しています。その合間を縫って、製品を積んだトラックがそろりそろりと走る。トラックはわしらの横を通りすぎて、大通りに出る。

その瞬間、ふと思ったのです。

何のことはない光景。誰も疑わない日常。6月8日のあの日もきっとそうだったのでしょう。まさかあのトラックが――と誰が疑ったでしょうか。あの日の昼間、わしは恵比寿にいました。用事が恵比寿であったという、ただそれだけのことです。もしその用事が秋葉原だったら。いや、もしあの事件が今日この日だったら。今まさに通り過ぎた白いトラックが、あの事件のトラックだったとしたら――。

別に何か意見があるわけではなく、ただそう思ったというだけの話なのです。犠牲者は誰であってもおかしくなかった。そうであるからこそ、余計に許せない事件だと思いました。それにしても、新聞やテレビで事件を見たときと、現場を実際に見たときとで、事件に対する距離感がこうも違うとは思いませんでした。身体に入ってくる空気、緊張感がまるで違うのですね…。

事件から明日でちょうど一ヶ月になります。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
posted by サイダー at 15:50| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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