2010年08月19日

ガス人間第一号

芝居を見るのが好き。

好きなんだけど、娘が生まれてからというもの、なかなか見に行けておりませぬ。
平日はまず無理。
土日も子供と妻を置いて一人だけ満喫、というわけにもいかない。
最近では劇場に託児サービスもあるようだけれど、そこまでして…とも思ってしまう。

そんなわたくしですが、ありがたいことにNHKではたまに演劇の模様を放送する番組をやっている。
「見に行きたいなあ」と注目していた作品が放送されることもしばしばで、大変重宝している。
さすがは公共放送。
ただ、やっているのが深夜なのでリアルタイムでは見ず、ひとまず録画しつつ、夕食がてら見ている。

数日前、後藤ひろひと作・演出の『ガス人間第一号』を録画で見た。
後藤ひろひと作品はいくつか見ていたけど、この作品は知らなかった。

それにしてもこのタイトル。
『ガス人間第一号』…。
仮にチラシを見て知っていたとしても、あんまり「見に行こうかな」という気がしない。
タイトルに美しさを求めているのではないけど、なんとなーく美観を損ねているような。
週刊誌見出し的に刺さるコトバがあるわけでもなし。

そんなことを思いながら見始めたこの舞台、ふたを開けてみるとなんとも素敵な世界が広がっているではありませんか!
身体を改造され「ガス人間」となってしまった男と、過去の事件をきっかけに歌の世界の一線から遠ざかってしまった女が織りなす、とても悲しいラブストーリー。

特にラストの救いようのなさ、最高です。
下手にハッピーエンドにまとめず、しっかりとどん底に突き落とす。
潔し。

タイトルが美しくないなんて馬鹿にして申し訳ございませんでしたと詫びたい。
でも『ガス人間第一号』ってタイトルから、まさかこんな話だとは誰が想像できようか。

上述の女を演じているのは、実際に歌手でもある「中村中(なかむら・あたる)」さんという方。
ライトを浴びて艶めく長い黒髪に、肉感的な厚い唇、ウエストからの下への滑らかな脚線、そしてたっぷり聞かせるその歌唱力…!
とんでもないセクシーさを秘めた素晴らしい歌い手がいるものだと思い、さっそくネットで調べてみると、目に飛び込んできたのは「性同一性障害」「戸籍上は男性」なる文言。

ぬおおおー。

世界がひっくり返った瞬間。

そうなのか。
そんなことがあったのか…(しばし沈黙)。

いやー、うむー、なんというか、
女性という性を生きている中村さんに対してこれは大変失礼な言い方になるのかもしれないが、当たり前に本当の女性だと思って舞台を見ていました。
そこにはなんにも違和感がなかったのですが、ただ、「これほどまでにセクシーな女性はいるものだろうか」と思ったことも事実。
それはなんというか、女性以上に女性という性を意識して生きてきたがゆえに備わったものなのかもしれないなあ…、と思いました。

この手の問題無知ですし、演劇のことしかわかりません。
なので、自分にひとつだけいえるとすれば、中村中というアーティストの情念のこもった切なくて美しいあの歌声。
あの歌声がなかったら、『ガス人間第一号』という舞台はまったく成立得なかったということ。
これは本当に間違いないと思います。

タイトルを見ただけでは敬遠していたであろう作品に、こうして触れることが出来、中村中という素晴らしいアーティストの存在も知ることが出来。
2時間足らずの録画番組でしたが、とても充実した気持ちになりました。
いやー、素晴らしかった。
また見よう。

posted by サイダー at 11:23| Comment(11) | TrackBack(0) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月18日

観劇評 ネルケプランニング「女信長」


6月も後半に突入。湿気の多い嫌な季節ですね。ああ嫌だ嫌だ。

上のニュースについて。こういうニュースが本当に好きなんですよねえ。銃撃の技術や身代わりの技術も競ったりして、ボディーガード十種複合競技とかやれば面白いんでしょうね。お客は少なそうだが…。

さて本題。

先日舞台を見てまいりましたよ。黒木メイサさん主演の「女信長」を!
黒木メイサが舞台狭しと動き回り、踊る!叫ぶ!殴る!斬る!
いやー大変美しゅうございました。
娘にはぜひ将来あんなふうに育ってもらいたいものです(しつこい)。

えーあらすじ。誰もが知っている戦国武将・織田信長(黒木メイサ)。その信長が「御長(おちょう)」という名の女だったという設定からすべてが始まる。隣国のライバルである斎藤道三(石田純一(笑))に女であることを見破られた信長は、男にはできない発想でこの国を統一するという持論を語り、道三に気に入られる。道三の後ろ盾を得た信長は、織田家の家督争いに勝ち尾張の地盤を固める。道三を討って美濃を押さえた斎藤義龍、駿河の今川義元を相次いで破った信長は、幼馴染でもある徳川家康(山崎銀之丞)と組んでさらに勢力を拡大。その原動力は、これまでの方法論やしきたりにとらわれず、良いものは取り入れる、使える人材は重用するという徹底した合理主義にあった。百姓の生まれで、これまでの武士中心の階級社会では軽く見られていた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)を大抜擢したのも、格式より能力を重んじた信長ならではの人材戦略だった。

京への上洛を視野に入れる信長は、「女」を武器に近江の浅井長政(河合龍之介)と同盟を結ぶが、かえって若い長政の虜となってしまう。長政と過ごし、女としての幸せを実感し満ち足りる信長であったが、戦乱の世は平穏を与えない。将軍・足利義昭のもとからは幕府再興を訴える使者として明智光秀(中川晃教)が来訪。信長が女であることに驚きつつも、戦乱を終わらせ、太平の世を築くという信長の「理想」に惚れ込み、南蛮の技術や戦法を伝授し、全力で信長をバックアップする。将軍を擁立し、いまや破竹の勢いの信長。しかし、世の中に戦国大名「織田信長」の名声が恐れと共に広まっていくにつれ、彼女は自分の中の「御長」が押し潰されていくような違和感を抱いていく。そして愛していた浅井長政の突然の裏切りと、諸大名により敷かれた織田家包囲網が、彼女を精神的にさらに追い込み、一向宗の比叡山焼き討ちへと駆り立てる。

神仏に対するあまりの暴挙に、世の反感は高まり、家臣も離反していく。そんな中で一人光秀だけが信長への理解を示す。あくまで彼女の理想を愛してきた光秀だったが、あまりに孤独で、今にも折れてしまいそうな彼女の姿に触れた彼は、ついに一組の男と女として、信長と愛しあったのだった。勢いを取り戻した信長は、上洛する武田軍を阻止、浅井・朝倉連合軍を撃破し、織田家包囲網の瓦解に成功。一気に天下に覇を唱える存在となる。最後の戦に敗れ、再び信長に相対した浅井長政は、「お前を愛したことなど一度もない。俺の天下のために利用しただけ」と傲然と言い放つ。男とは。女とは。愛とは。幸せとは。自分とは。全てを見失い、思考のタガが外れたかのようになった信長は、本能寺に兵を集め、家臣の制止も聞かぬままに、天皇に対して「すべてを終わらせる」ための狂気の戦いを挑む。

取り憑かれたように自らを破滅の道へと駆りたてる信長に対し、明智光秀もまた「すべてを終わらせる」ために本能寺へと向かう…。

いやはや、ばーっと書いてしまいましたが、とても見ごたえのある良い舞台でした。実は最初は、どうなるものかと不安でした。「信長ってこういう人格です」、「こんな出来事がありました」と知らせるだけのあまりに説明的なブツ切りのシーンが続き、俺の嫌いな「殺されるためだけに出てくる人物」も相次いで登場。さながら「リチャード3世」を見た時のような嫌な思い出がよみがえってきました。それが、光秀との出会いのシーンあたりから、だんだんと落ち着いてきて、しっかりと見ることができるようになった。ストーリーの落ち着きとテンポの良さがうまいこと調和し出すと、あとは最後まで楽しんで見ることができ、気づけば終幕では汗ばみ、カーテンコールでは立ち上がって拍手をしていました。

こういう大仕掛けの歴史モノの舞台では、登場人物の役作りや心情面の表現が難しく、芝居のそういう部分を楽しみたい人はちょっと不満かもしれません。ただ、歌と踊りを交えたスピード感たっぷりの鮮やかなステージを楽しみたい人であれば、確実に気に入ってもらえると思います。黒豹のようにしなやかで力強い黒木メイサさんの演技と、若手ミュージカル俳優のトップである中川晃教さんの歌唱力の組み合わせは、十分な説得力で観客を楽しませてくれました。二人を脇から支える家康やルイス・フロイス、柴田勝家などの役者も、良い塩梅にネタを絡ませ、笑いもしっかり引き出していました。石田純一さんはもっと笑いを取りに来るかと思いきや、意外にもシリアスな演技に徹していましたねー。

この舞台を見てすごくよかったなと思ったのは、「信長が女だった」という、歴史的な事実のある一点を入れ替えただけで、戦国武将たちが人間味のある存在としてぐっと近づいて見えるようになったということです。信長が比叡山を焼き討ちにしたそのとき、何を考えていたのか。浅井長政の頭蓋骨を盃にしろと命じたそのとき、どんな思いだったのか。光秀が「信長を討て!」と叫んだそのとき、心には何が浮かんでいたのか。この舞台がとても丁寧に描き出してくれたおかげで、教科書的な歴史の向き合い方ではわからない、歴史の「味」に触れたような気がしました。

「信長が女」というのはもちろんフィクションなのでしょうが、個人的には光秀が本能寺で挙兵するシーンには、大変説得力を感じてしまいました。「信長」という呪縛から御長を救うために「信長を討て!」と叫んだ光秀。本能寺を埋め尽くす桔梗の家紋の軍旗。その桔梗の花言葉は「変わらぬ愛」。炎の中に信長を見つけ出し、女性の着物を肩から着せては、「女子供に手を出すな!」と厳命する。光秀、かっこよすぎです。

ただ、ここで冷静になって考えますと、信長も光秀も本能寺の変の時点では相当なおっさん・おばさんです(笑)。この愛の世界はやはり黒木メイサ・中川晃教だからこそ、成立するものと言うべきでしょうね…(いや、歳取るのが悪いというんじゃないんですよ)。ただし、個人的には、光秀は最後には男とか女とか、そういう次元ではなくて、御長というひとりの人間を、ありのままの自由な人間として解放してあげたかった。人として御長を愛していた。そんなふうに感じました。

そんな光秀の信長に対する気持ちや、さまざまな出来事が起こるたびに揺れる信長の心情は、見る人によってはいろいろな解釈の余地があると思います。終幕後の余韻を味わいつつ、あれこれと思いを巡らせながら家路につくのも、舞台の楽しみ方のひとつですよね。

さてこの「女信長」、東京ではあと数日ステージがあり、そのあとは大阪で公演があるようです。チケットはちょっと高いですが、一見の価値はあると思いますので、興味のある方はぜひどうぞ。ちなみに「女信長」の原作者は、「王妃の離婚」「カエサルを撃て」で有名な直木賞作家・佐藤賢一氏。佐藤氏はなんとわしと同郷で、しかも同じ高校の大先輩。こういうつながりも嬉しいものですねー。


ネルケプランニング「女信長」
2009年6月5日〜6月21日  東京 青山劇場 
2009年6月26日〜6月28日 大阪 シアターBRAVA!

キャスト

黒木メイサ
中川晃教
河合龍之介
TETSU (Bugs Under Groove)
市瀬秀和
黒川恭佑
細貝圭
真島公平
篠田光亮
山崎銀之丞
松山メアリ
篠山輝信
鯨井康介
松本有樹純
久保田創
平田裕一郎
塚田知紀
中川浩行
木村智早
香子
清家利一
有森也実
  ・
石田純一


スタッフ

原作 佐藤賢一「女信長」(毎日新聞社刊)
構成・演出 岡村俊一
脚本 渡辺和徳
音楽 からさきしょういち
美術 川口夏江
照明 松林克明
音響 山本能久
殺陣 清家利一
衣裳 山下和美
ヘアメイク 川端富生
舞台監督 原田讓二
宣伝写真 谷 敦志
宣伝美術 東 學
制作 島袋 佳
アシスタントプロデューサー 島袋 潤・鈴木奈緒子
プロデューサー 松田 誠
制作 アール・ユー・ピー
posted by サイダー at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

観劇評 ポツドール「愛の渦」


早いものでもう三月。この間は「もう年末」なんて言っていたような気がするのですが、今度は「もう年度末」。こうやって歳をとっていくのですねえ…。

上のニュースについて。「チベット動乱」から50年。中国の言葉でいえば「チベット民主化」から50年。恥ずかしながら、チベット問題についてはあまり知識がなく…。チベットと聞いて浮かんでくるのは、「ポタラ宮殿に行ってみたい」とか「吐蕃という王朝があったな(世界史の名残)」とか、そういったことばかり。

1959年というと、太平洋を隔てた中米でも当時大きな事件がありました。「キューバ革命」です。こちらもやはり知識に乏しいわしですが、先月だったか、NHKのETV特集で「キューバ革命50年の現実」というドキュメンタリーを見ました。これはキューバを追い続けたアメリカ人ジャーナリストの記録を元に作られた番組です。革命以降現代までの長きにわたり、キューバに生きる三組の人々を通して、「革命が人々にもたらしたもの」を冷静に探っていく内容で、さすがNHKと言える素晴らしいドキュメンタリーでした。なので、ちょっとご紹介。

徹底的な平等を志向し、フィデル・カストロ議長によって推し進められたキューバ革命は、内需拡大・自前の経済発展を目指すも、アメリカの経済封鎖を受けて頓挫。路線変更を余儀なくされ、ドル兌換制度を導入して外貨を受け入れた。「富める者から先に富む」という社会主義の否定にもつながる道を進むことになったキューバ。確かに経済水準は向上したものの、ドルを持つ者と持たざる者の間で、はっきりと格差が生じてしまい、その状況は今日まで続いている。

ある若者は、キューバという国自体に何らの愛情・帰属意識も見いだせず、「自由」とさらなる「豊かさ」を求めてアメリカに脱出できる日を夢見ている。
ある青年は、ドルを手に入れ豊かになった者たちに比べ、一向に恵まれない自分の生活を嘆きつつも、キューバを愛し、信じ続けている。
ある老人は、革命前も、経済危機の時も、外資流入の後も、同じ畑を耕し、同じ農作物を作っていた。世の中がどうあれ、何も変わらない日々。仕事の後に家族と飲むテキーラが何よりの幸せ。経済発展でやっと村に水道が通るという、その数年前に生涯を終えた。

革命修正前は、皆横並びだが、物質的には貧しい社会。
革命修正後は、物質的には豊かになったが、人々の心はばらばらになった。

ドキュメンタリーでは、しかし、革命は成功だったか失敗だったか、革命の修正が良かったのか悪かったのか、何らの結論も出していない。その中で際立つのは、社会がどんなに変わろうとも、自分の価値観からぶれることなく、幸せに暮らし続けた前述の老人の精神的豊かさである。

「あの革命はなんだったのか」というテーマは同時に、「こちら」にいる我々に対しても、本来的な幸せの意義を問うている。その問いかけは、音声でもテロップでも決して現れることはない。丹念な取材の映像を見ているうちに、自然に視聴者自身が気づかされるのだ。

主張を「押し付ける」のではなく取材を通じて「浮き彫りにする」。この番組が、素晴らしいドキュメンタリーだと思える理由である。まさに、ジャーナリズムの神髄だ。

さて。だいぶ前振りが長くなりましたが、先日行ってまいりました。こよなく愛するポツドールの「愛の渦」。期待に応え、キャストを一新しての再演だとか。

見るのはたしか昨年の「顔よ」以来だろうか。「激情」の大ヒット以降、代表の三浦大輔氏も活動の幅を広げ、様々なメディアにも登場するなど、押すに押されぬ人気劇団となったポツドール。わしが行った日もだいぶ早い時間から当日券を求める人の長蛇の列。なんとかチケットをゲットして場内へ。公演に合わせて新聞に三浦氏のインタビュー記事が載ったせいか、会場を見渡すと中高年男性の姿が多いことに気がつく。これは数年前に「夢の城」を見た時とずいぶんな違いで、それだけメジャーになってきたことの証明である。が、今日の芝居の内容に、彼らはどれだけ耐えられるのだろうか…。

「ポツドールの公演は、開演前も楽しい。」そう言ったときに賛同してくれる人は結構多いのではないでしょうか。そう、なぜなら岡村靖幸「セックス」「マシュマロハネムーン」がアレンジを変えつつ延々と流れているのだから。これは毎度毎度ハマるというか、一種のトランス状態に近い感覚になるのですな。しかもこの曲がまたいかにもポツドールらしくて◎。

ですが、ですが…今回の「愛の渦」。正直微妙でございました…。

まずはあらすじ。設定は現代。どこぞの街の一角にある、「乱交パーティー屋」の店内。この日も常連客から初めての客まで、次々と客が集まってくる。24時、男女4組が集ったところで、店長からルールの説明があり、その後パーティーの開始が告げられる。とは言うものの、その場には緊張した気まずい空気が張りつめ、男は男、女は女で固まって寒々しい会話を続けるばかり…。その後どうにか状況を打開し、「本題」に入ることができた彼ら。一戦、二戦と回を重ねていくうちに、だんだんと場を支配する空気や人間関係にも変化が生じ始める…。

ポツドールの芝居は、登場人物の言動のディテールに着目して、彼らの習性や、彼らの織りなす関係性を楽しむ「人間観察劇」であるということができる。今回は乱交パーティーが前面に出ているが、結局見せたいのは行為そのものではなく、「性欲」という人間の切っても切れないテーマに直面した際の人間の心の動きである。前作「顔よ」では人間の「美醜」を「踏み絵」として、それに直面する人々の心の内面を描きだしていたが、今回はそれが「性欲」であるということ。細部までしっかりとこだわって、芝居を構成していた点は前回と変わっていない。

ただし、今回つらかったのは「踏み絵」の品数。劇中では「性欲」に絡めて、人間同士の序列が決まったり、醜い部分や弱い部分が垣間見えたりするシーンを何パターンも作っているが、どれもこれも想像の域を出ない展開でしかない。「むりやり」「盛り合わせ」という印象が強く、どうしても途中から飽きが来てしまった。

役者はとても立派である。ベッドの上ではまさに体を張って、我を忘れんばかりのフルパワーの演技をしつつも、相当緻密に場の空気を組み立てる演技も行うという、いわば「左を見ながら右を見ろ」くらいのことを要求されているにも関わらず、きちんと役を作ることができている。初めてポツドールの芝居を見る人であれば、「これはとんでもないことをとんでもないレベルで行う劇団だ」ということにもなろう。しかし悲しいかな、「夢の城」からはじまり「激情」「人間失格」「女の果て」「顔よ」と見てきてしまうと、もはやそういうものが眼前で繰り広げられても、どうしても慣れが生じてしまう部分もある。

意識しているにせよ、していないにせよ、いつも期待以上のものを求めてしまうのであるから、観客というのは残酷な存在だなあと、つくづく思う。

とは言え、ポツドールを見たことがない方には「是非」とおすすめできる舞台です。そもそも「こんな劇団がある」ということを体感できるだけで人生ちょっと豊かになります(笑)。15日までやっていて、当日券もあるようなので、足を運んでみてはいかがでしょうか。ただし、相当早く劇場に行って、並ぶ覚悟が必要ですが…。

それでは、今回はこの辺で。しかしなんだかメインがキューバ革命だかポツドールだかわからない記事ですな…。


ポツドール「愛の渦」
2009年2月19日〜3月15日 
新宿 THEATER/TOPS

脚本・演出 三浦大輔

キャスト

米村亮太朗

古澤裕介
井上幸太郎
富田恭史
脇坂圭一郎
岩瀬亮
美館智範

江本純子
内田慈
遠藤留奈
佐々木幸子
山本裕子


スタッフ

照明 伊藤孝
音響 中村嘉宏
舞台監督 矢島健
舞台美術 田中敏恵
映像・宣伝美術 冨田中理
小道具 大橋路代
衣装 中西瑞美 
写真撮影 曵野若菜

演出助手 石井友章
制作 木下京子
広報 石井裕太
運営 山田恵理子

企画・製作 ポツドール
posted by サイダー at 04:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月27日

観劇評 パルコ・プロデュース「リチャード3世」


やっとこさ我が家にエアコンも装着され、陣容が整ってきた今日この頃です。

上のニュースについて。この間23回目の優勝を決めた朝青龍。相撲にはあまり関心がありませんが、最近思うのは、朝青龍の悪役への仕立て方や、話題の煽り方を見るにつけ、「相撲のプロレス化」が進んできたなあということですかね。

さて。幸運なことに見たいと思っていた芝居に行けたので、今回も観劇評を書きたいと思います。前回の「パイパー」からそんな経たないうちに演劇ネタ。しかもまだ公演が終わらないうちに。これまでとはえらい違いです。

超人気の劇団☆新感線の演出家であるいのうえひでのりが演出し、看板役者・古田新太が主演を果たす「リチャード3世」を見に、赤坂ACTシアターに行ってまいりました。休日なのにすごい人だかり。「まさかリチャードを見にこんなに!?」と思ったのですが、どうもそれは勘違いだったようで、隣がAKASAKA BLITZなので、そっちの公演を見に来た人たちでした。やたら若い女の子たちが行列をなしており、会場スタッフが「整理番号300番台のお客様は〜〜」なんててんてこ舞いで点呼していました。おそらくはジャニーズのライブとか、そんなのがあったのでしょう。

それに比べりゃACTシアター前で当日券を求めて待っているお客はごく少数。その顔ぶれも、きゃあきゃあ言ってる女子たちを横目に、わしも含めてなんか立ち枯れてしまった古木のような人ばかり…。こっちのスタッフはさぞ御し易かろうね。

さてわたくし、今回はラッキーなことに、当日券にもかかわらず前から8番目、しかもほぼ舞台中央という好座席。当日券でこういう席が空いていることもあるのね。ヒットマンがこの席を背後から狙っているということでもなければ、これはとんでもなく幸運な部類に入る出来事でしょうね。

開場時間まで近場のカフェで時間を潰し、いよいよ場内へ。座席に到着すると、これはとんでもない近さである。飛び散る役者たちの汗まではっきり見えそうな。そもそもほぼ毎回当日券で芝居を見に行くわしが、こんなに前方に座れたことがかつてあっただろうか……。そう、思えば一度だけ、ポツドール「夢の城」をふらふらっと当日券で見に行き、最前列に座らされてとんでもないものを見せられた記憶がある(それはそれで、今思えば得難い経験である…)。あってもそのくらいじゃなかろうか。

前から8番目の席で舞い上がるわしを、さらに有頂天にさせたのは、わしの後ろの列に座っていた御仁の存在である。なんと敬愛する個性派俳優(とお呼びすればよいのか)、梶原善さんが座っているではないか!!

新感線とはつながりも深そうだし、やはり舞台は見に来るのだなあ。そしてプライベートではこんなおしゃれな格好をしているのだなあ。相変わらず、人を食ったような顔をしているなあ(失礼過ぎ)。…などと、何度もチラ見しながら、思う。本当に、日ごろ善行を重ねてきて、よかった。

さて、そんなこんなで幸運がたくさん重なった記念すべき公演のレビューを以下に。例によってネタばれには配慮しますが、どうしても内容には触れちゃいます。

あらすじ。

中世のイギリス。イングランド王位を巡って血みどろの争いを繰り返すランカスター家とヨーク家の争いは、リチャード3世(古田新太)らの活躍により、ヨーク家の勝利に終わる。新しいイングランド王となったヨーク家の長男・エドワード(久保酎吉)は、妃としてランカスター家貴族の未亡人エリザベス(久世星佳)を迎える。妃となった彼女は自分の血族を要職につけ、権力の基盤を固め始める。面白くないのが、ヨーク家の次男・クラレンス(若松武史)や三男・リチャード3世、そして長年ヨーク家に仕えてきた重臣たちである。エドワード王の手前、表面的には友好を装う両勢力。だが水面下では、虎視眈々と王位を狙うリチャード3世によって、血生臭い謀略が少しずつ進められていた…。

感想。一言でいうなら、かなり「がっかりだった」。

劇団☆新感線(今回主催はパルコ・プロデュースだが)の持ち味は、過剰な音と光を観客に浴びせつつ、歌ったり踊ったり、刀を振って大立ち回りしたりと、ダイナミックな演出でお客の心を惹き付けておき、ストーリー上の重大な節目では役者にかっこよく「キメ」の言葉を言わせて、「やられた〜っ」と骨抜きにさせる、そんな「蝶のように舞い、蜂のように刺す」芝居の運び方にあると思っています。

そういう意味で言うと、今回の芝居には「蝶」の要素も「蜂」の要素もまるでなかった。ゼロではないにせよ、ないに等しかった。自分が新感線の芝居を見て得ようとしているある種の「爽快感」というのが、今回は得られませんでしたね。

歌なし踊りなし、戦闘シーンはお約束なので申し訳程度に。それは仕方ないとしても、シナリオ上特に山場も作られておらず、見ている方としては退屈だった。シェイクスピア劇なので、修辞に満ちた長いセリフ回しが随所にあるのだが、そこも見せ場になっていない。それぞれの登場人物はもはや、リチャード3世に消されるためだけに登場しているくらいの存在でしか描かれておらず、肝心のリチャード3世も、どうして彼がこんなに世の中を憎み、王位に執着しているのかが見えてこない。身体的なコンプレックスを象徴させる顔の痣や背中の瘤、足の不具合も、「これがリチャード3世です」ということを示すためにとってつけたようなお飾りでしかない。また、彼の人格形成に大きく関与していると思われる実の母親とのやり取りも、全体のパーツとしては随分と淡泊な描かれ方で終わった。

舞台終盤ではリチャード3世が落ち目を迎えるわけだが、そのシナリオの運び方にしても、すべてがあまりにも唐突。特にラストシーンは、「えっ、これで終わりなの?」という印象を持った人が大多数だと思う。これまでの展開で披露された内容が、あまりにも消化不良のまま終わってしまうからである。

悪を描いた作品ならば、これまでの新感線の「朧の森に棲む鬼」とか「野獣郎見参」とかのほうが遥かに見ごたえがあり、しっかりと「悪」のキャラクターを描き出せているような気がする。今回は、「リチャード3世って、いったいなんだったの…??」ということで終わってしまいかねない。哀れなのか、愛着すら感じるのか、はたまたとことん憎むべき存在なのか、まるでわからないのである。

最後に、さすがに悪評ばかり書くのもあれなので、よかった点を書いておきます。まず、衣裳。衣裳だけで相当笑いを取っておりました。あとは時代設定として、現代を織り交ぜているところ。携帯電話で密通していたり、テレビの中継入りで演説したり。面白かったのは、マックのハンバーガーを食い、パソコンでひたすら「死ね死ね死ね…」と書き込んでいるリチャード3世の姿です。場合によっては、権力の座とかは本当はどうでもよくって、ちょっとしたことがきっかけとなってとにかく誰でもいいから人を殺そうと思ったという、いわゆる「現代の通り魔殺人者風・リチャード3世」の方向に思い切ってシフトしてみても面白かったんじゃないでしょうか。

…という感じで、いくつかの幸運に恵まれた割に、肝心の芝居は「うーん」というような内容でした。これで幸運と言えるのかどうか。公演はまだ続いていますが、金額も安くはないので、そこまでおすすめはいたしません。

それでは、今回はこの辺で。


パルコ・プロデュース「リチャード3世」
2009年1月19日〜2月1日
赤坂ACTシアター

作 ウィリアム・シェイクスピア
演出 いのうえひでのり

キャスト

古田新太
安田成美

榎木孝明
大森博史
三田和代
銀粉蝶
久世星佳

天宮 良
山本 亨
増沢 望
西川忠志
川久保拓司
森本亮治
逆木圭一郎
河野まさと
村木 仁
礒野慎吾
吉田メタル
川原正嗣
藤家 剛

久保酎吉
若松武史

ほか
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2009年01月13日

観劇評 NODA MAP「パイパー」



元旦からだいぶ時が経ちましたが、皆さまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

上のニュースについて。ブッシュ大統領が回想録出版の意向とのこと。それにしてもこの写真を掲載するAFPのセンスがすごい(笑)。

アメリカ大統領は任期終了後は、講演や執筆で食べていくパターンが多いらしいです。聞いた話では国内での講演一回に付き、ギャラが一千万円くらい発生するとか。任期が終わってからのほうが収入が良くなるなんて皮肉を言われるほどです。

「ブッシュ大統領は8年間の在任期間を通じて、たびたびメディアから演説中の言い間違いなどを指摘されている」(上記記事より引用)なんて最後に触れられていますが、日本の麻生首相もそうだけど、言い間違いとか漢字の読み間違いくらいのことでマスコミがとやかく言う必要があるのかしら。

さて。

このところ引っ越しやら出産やらといろいろな出来事が続いて、ろくに舞台を見る暇もなくなっておりました。このブログでも見に行った芝居についての感想をたまに書いていたのですが、ふと気付けば、前回は昨年春の「ライオンキング」のまま止まっているではないか。もちろんその後何回かは芝居を見に行った気がするけど、もはや「気がする」くらいの話ですからね。何を見たのかろくに覚えていない。「グリング」とか見たかなあ…程度のゆる〜い記憶。

「このままではいかん!」と思ったわけではないのですが、先日隙を見て、行ってきましたよ。野田秀樹の新作『パイパー』を見に渋谷の「Bunkamura」へ!独りで……!!!

前売券を持っているわけではないので、狙うは当日券。19時の回の当日券は18時に発売される。だからと言って18時に行ったのでは売り切れている可能性が高いので、一時間前の17時到着を目指して家を出る。このぐらいであれば、本多劇場レベルの人気公演でも問題なく当日券が買えるのだ(たまに他に誰も並ぶ人がいない中、ひとり寂しく先頭に立つこともある。虚しいのう…)。

しかしさすがは野田秀樹。17時ちょいすぎに到着すると、すでに20人程度の人が並んでいるではないか!もしかしたら今回はだめかもなと思いつつ、恐る恐る列の最後尾へ。横の壁には「パイパー当日券お求めの方は階段に沿って一列にお並びください」の張り紙が。どうやら今自分が並んでいるところまでは、毎度列が達しているようだ。ひと安心。

それから小一時間ほど、半分屋外のため、寒風に身をさらして凍み豆腐のようになりながら、小説を読みつつひたすら18時を待った。気づけばわしの後ろにもすでに長い列ができている。皆洟をすすりながら耐えている。芝居は見れたが風邪をひいたという人が、あとあと必ず出てきそうな寒さだ。

そんなこんなで、やっとの思いで当日券を手に入れて見たNODA MAP『パイパー』の観劇評を以下に。もしかしたら初めて、まだ公演が続いているタイミングで記事をアップできるのかしら。いや、めでたい。ただ、公演が続いているわけなので、あんまりネタバレ的なことも書けません。まあ、さらっとまいります。

あらすじ。舞台は文明の崩壊した未来の火星。姉フォボス(宮沢りえ)と妹ダイモス(松たか子)の姉妹は、廃墟同然の「ストア」に住み着き、そこに残った人工食で命をつないでいた。物心ついたダイモスはなぜ火星が荒廃してしまったのか、過去に何があったのかを知りたがるが、フォボスも父親ワタナベ(橋爪功)も、肝心なことは教えようとしない。冒頭、ストアに天才的な頭脳を持つ少年キム(大倉孝二)とその母親(佐藤江梨子)が移り住んでくる。ワタナベはある目的のため、キムに大量の「死者のおはじき」を渡す。火星人の鎖骨に埋め込まれ、死んで取り出されるそれを自分の鎖骨に当てれば、その人が送ってきた一生を見る(感じる、というのが正しいか)ことができるのだ。

死者のおはじきを鎖骨に当て、死者の記憶の海に引きずり込まれていくキムとダイモスたち。そこは、まさにこれから火星を開拓すべく希望に満ちあふれた入植者が地球からやってきた時代。パイパー博士が提唱する幸福度の指数「パイパー値」を「8888」にすることを目指して、人々はせっせと開拓に励む。地球時代の紛争を根絶するため、怒りの力を吸収し、人々を幸福にするための手伝いをする人工生命体「パイパー」も投入され、パイパー値も順調に上がっていく。

死者のおはじきをせっせとかざして、開拓期、隆盛期と、火星の歴史を紐解いていくキムたち。そしてついに、火星の荒廃につながる決定的な事件を目の当たりにする…。

ここからは感想。上でも書いたけど役者は皆さん大物ぞろい。姉妹を演じた宮沢さん・松さんとワタナベの橋爪さん、演技が自然でよい。姉妹の見どころは何といってもラスト前の長回し。途中ちょっとつっかえて見ているほうが冷や冷やするようなところもあったけど、あれは観客を完全につかんだんじゃなかろうか。単純にすごいというのと、「松たか子と宮沢りえは、こんなことができるのか!」と。二人は途中「食堂のおばちゃん(二人の先祖)」の役も果たすが、それもなかなか決まっていた(笑)。それ以外の役については、火星人という設定のためか、無理にキャラクターを作りすぎているような気がした。それが「くどさ」につながった気もする。残念だったのがコンドルズ。彼らが、というより彼らの役回りが残念。さすがに彼らが出演となれば、もうちょっと派手なアクションを見たかったんだがなあというのが正直な気持ち。地味に身体は動かしているんだけどもね…。

さらに不満だったのが舞台美術で、芝居の構成上抽象舞台しか作れないとは思うけど、ちょっと粗雑な感じがパッと見であった。宇宙船とパイパー値のLED表示に大半の舞台予算が行ってしまったのだろうか。確かにあの宇宙船はよかった。降りてくるとき生理的に不気味で、雰囲気が出ていた。衣裳や映像も工夫があってよかった。パイパーは気持ち悪くてGOOD。

内容に関して。いくつかテーマが設定されており、それが「パイパー値」であったり、食に関することであったり、わかりやすい設定と演出で観客に提示される。見ているほうも明確に、「今の日本や社会全体が抱えるこの問題のことが言いたいのだな」と気がつくことができるはず。各テーマはいつの世でも問われ続けている普遍的なものなのだが、そのうちのひとつに関しては、経済的な激変に見舞われ社会が不安定になっている昨今の状況に、あまりにもうまくはまっているのが驚くべきところである。公演が1月にスタートなので、もしかしたら昨年後半からの社会情勢を踏まえて、シナリオや舞台構成をリライトしたのではないかと思うほど。

ただし今回、テーマはわかりやすく「提示」されていたにすぎない。かつての「オイル」の時のような、鬼気迫るほどのトーンで観客の眼前に突き付けるくらいの切っ先の鋭さがあれば、もっとよかったのかなと。

あと思いつく点としては…、野田氏特有の「言葉遊び」。今回も健在で、ぐんぐん会場を引き込んでいたし、わしも笑わせてもらった。よく思いつくよなあ。そして野田さん自身、おいくつなのか分からないけど、カラクリ人形のようによく動いてしゃべって、それで他の役者の演出から裏の調整から何から、全部やるってんだから…本当にすごいと思う。突然「実は機械で動いてます」と言われたら、「ああ、やっぱりそうだったんですね」って皆答えると思うね(笑)

最後に、ワタナベの生き方について。たぶん賛成反対、好き嫌い両方あるのだろうけど、わしは「あると思います」。「食い道楽の歴史」を研究してきた者としての矜持と意志が、そこには感じられるので。これもかなりストーリーの核心なので、多くは語りませんが。

とまあ、見ていない人には何が何だかわからないような記述だらけになってしまい、大変恐縮です。千秋楽までまだ時間もありますので、もしよかったら足を運んでみてくださいな。それではまた。


NODA MAP 第14回公演『パイパー』
2009年1月14日〜2月28日
渋谷 Bunkamura シアターコクーン

作・演出 野田秀樹

キャスト

松たか子
宮沢りえ
橋爪功
大倉孝二
北村有起哉
小松和重
田中哲司
佐藤江梨子
コンドルズ(近藤良平 藤田善宏 山本光二郎 鎌倉道彦 橋爪利博 オクダサトシ)
野田秀樹


スタッフ(一部)

美術 堀尾幸男
照明 小川幾雄
衣装 ひびのこづえ
選曲・効果 高都幸男
振付 近藤良平
映像 奥 秀太郎
ヘアメイク 宮森隆行
舞台監督 瀬崎将孝
プロデューサー 鈴木弘之
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2008年05月16日

観劇評 劇団四季「ライオンキング」


ブランクがあったので立て続けに行きますよ! 上のニュースについて。これは…!!ものすごく乗ってみたいけど、ちょっとでも不具合あったらあの世まで真っ逆さまなんでしょうねえ。いや、面白い。

さて。

連休中にやったことのひとつと言えば劇団四季の「ライオンキング」の観賞。一度見たことがあるのですが、また来てしまいました。以前は一階席からでしたが、今回は二階席から。まあ一階席のほうが、舞台に広さと奥行きが感じられてよかったのかなあという気はするけれど。

劇団四季のライオンキングはかれこれもう10年目になるのだそうで。よくもまあそんなに長くやっているもんです。しかもちゃんと客が入っているからすごいね。そこまで夢中になる理由が分からないけれど、客層が子供同士数人とか、家族連れとか、明らかに演劇における「ディズニー」的な存在になっている。コアなターゲットが明確なので、揺るがないのだと。こういう劇もあるかと思えば、「鹿鳴館」のように中高年向けの渋い芝居もやっちゃうところが、劇団四季の経営センスだね。

有名な劇だし、あらすじを述べるまでもないかもしれんけど、一応。主人公は子ライオンのシンバ。彼の親父が動物たちの暮らすサバンナの王国を治める王である。親父の弟(主人公の叔父さん)は、シンバのせいで自分が王になれないことで不満を持っている。そんな叔父さんの天才的な計略によって、王は死ぬ。しかもシンバには「自分が父を殺した」と思い込ませて、王国から追放することに成功する。

それから数年後。青年となったシンバは追放された先で新しい仲間と悠々自適の暮らしを送っていた。そこにたまたま昔の幼馴染みであった雌ライオンがやってくる。シンバは彼女から、叔父さんが王となっていること、そのせいで王国がぼろぼろになっていることを聞く。最初は自分には関係ないと思っていたシンバだったが、いろいろあって「自分が王になる」という自覚を持つ。彼は速攻で王国に帰り、叔父さんを殺して王位を奪い、雌ライオンを王女に迎え、大団円となる。まあそんな話である。フラットに書くとあんまり面白そうに感じないね(笑)

見るたびに思うのが、役者たちが扮する動物の見事さ。かぶりものだったり、自分が操ったり、いろんなバリエーションのツールを使いながら表現している。彼らが舞台の上で自在に躍動しているのを見ていると、「ああ身体ってこんなふうにも動くのか」という肉体の機能に対する驚きと畏敬の念がこみ上げてきますよ。ライオンにハイエナにゾウにシマウマに…いったいどれほどの種類があるのかは知らないが、道具を作った人たちもすごい。どれだけの時間をかけて、それぞれの道具の形状に落ち着いたのだろうか。

中でも特に感心してしまうのは、悪い叔父さん役のかぶりもの。役者の頭上にはライオンの頭部をかたどった面がついているのだが、この面が身体の動きに合わせて動くのだね。叔父さんがシンバを威嚇しようと前屈みになると、面もぬうっと前に出てきてポーズの威圧感がぐっと増す。身体をまっすぐに戻すと、面も頭の上にすっと収まって涼しげな様子に。これを考えた人はすごいよ。

芝居自体についていうと、少年シンバ役の子役がひどかった。ライオンのラの字も感じさせないなよなよ感を漂わせ、踊りも幼稚園のお遊戯かというレベルであった。その反動なのか知らないが、青年シンバ役の俳優はやたらと声も肉体も良く、キレのある踊りと歌を披露していた。「シンバは王国を追放されてとても立派に育ったんだなあ」ということが伝わってきますね。他の役者はまあ可も無く不可もなく(失礼な…)。

フォローするわけじゃないけど、二回目に見ても十分に楽しめる演劇なんてなかなかないと思いますよ。また見たい、何度見ても飽きないと思わせるような見所や、人気を集めやすいキャラクターを用意するのは、芝居を作る側にとっては至難の業です。わし個人では、他にそういう見方をしているのは「レ・ミゼラブル」くらいじゃなかろうか。そういう意味でもやはり劇団四季はレベルが高いです。ちなみに芝居を見ていて最初に号泣したのが「夢から醒めた夢」でした。高校生のときにテレビ録画で見ただけだったので、久々に見てみたいです。ああ「ウィキッド」も見たいなあ。…と、お金は無いのに欲求だけが積み上がってまいります。いやはや。
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2008年04月08日

観劇評 ポツドール「顔よ」


まずは気になるニュースを。インドのコメ輸出規制。農業大国が自国民に食べさせる食糧の心配をし始めています。それにしてもインフレ率6.68%とは。日本の食品値上げは、まだかわいいということでしょうか。そうでもないかな。

さて。

最近ろくに舞台を見る時間がなかったのですが、久々に行ってきました、ポツドール『顔よ』。ああうれしい。というわけで、今回はそのレビューを。まだ公演が終わらないうちに記事が書けるのはうれしいですね(初めてかな)。逆に一部ネタバレになってしまうのは、ご了承くださいね(核心は書きませんので)。

今回のポツドール、期待以上でした。前回見た『女の果て』も面白かったのですが、それを上回る内容。『顔よ』というタイトルからも察しがつくとは思いますが、自分の顔に悩み、人の顔に嫉妬し、という、人類が顔を持って生まれてきた以上切っても切れない心の動きについて挑んでおります。

ざっくりとあらすじ。アパートの大家を営む若い夫婦。夫の妹は男に悪ふざけで火をつけられ、顔に醜い傷を負う。心に傷を負った彼女の元に、加害者の男たちが謝罪に訪れる。またアパートの住人たちも、自分の彼氏彼女や他人を見ては、顔にまつわるさまざまな思いを募らせていく。そして大家夫婦にもあることが起こる…。

いろんな人が出てきます。自分の顔に自信があるけどひどい顔の男、肌の出来物を気にして自分の顔に自信が持てない男、かわいいし自分でもそれを自覚している女、自分がかわいくないことを分かった上で達観している女、そしてかわいかったのに顔に傷を負ってしまい心を荒ませる上記の妹、などなど。彼ら彼女らすべては、基本的に「客観的に見た顔のレベル」と「主観的な自己の顔レベル認識」と「性別」の掛け合わせでできている。「男×客観醜×主観美」という感じでしょうか。(まったくの余談ですが、「不細工なんだけど自分のことをカッコイイ・かわいいと思っている役をやってくれ」と言われた役者の心境って、どんなもんでしょうね)

さて、そんな人物同士が、自分の顔をどう捉えた上で、相手に対してどう接しているのかがこの芝居の見ものです。自分の顔に自信がない男(男×客観醜×主観醜)は、自分の彼女(女×客観美×主観美)としょっちゅう喧嘩をするものの、すがりつかざるを得ない。彼女も自分の絶対的な優位を自覚しながら生きている。逆に自分に自信のある男(男×客観醜×主観美)は、自分の彼女(女×客観醜×主観醜)を他の女と比較してその容貌をけなす。彼女はそんな男の言動に傷つきつつも、彼の醜い顔を含め高い次元で彼を愛している。そんな心の広い彼女(女×客観醜×主観醜)であっても、事故で顔に傷を負った友人(女×客観美→醜×主観美)に対しては、同性のプライドなのか、頑なに彼女の美を認めようとしない。などなどなど。

このあたりの人物同士のやりとりが、実に面白く、笑えて納得もできて、さすがだなあと思うところです。ポツドールの芝居って毎回「性と暴力」が強調されがちだし目も引くのですけど、会話のやりとりのさりげなさとかそれらしさが、この劇団の真骨頂だと思いますね。

しかし、それよりも何よりも、今回は話の構成がとにかく抜群だった。ラストのラストはもう本当に脱帽。この舞台の登場人物たちは、一般的に考えれば不自然なほどに顔にまつわる話ばかりしていますが、それがいったいどうしてなのか、非常に明確な解答が最後の30秒で提示されます。それを見たときのショックとも感動とも似付かぬ、「うおおおおっ」という心のほとばしりは半端じゃないですぜ。気持ちよく「やられたっ」と言える感じ。本当は全部ばらしたいくらいなんですが、それはやめておきましょう。とにかく終幕の快感を味わうためにも、ぜひ一度見に行くことをお勧めしたい舞台です。まじです。


ポツドールvol.17『顔よ』
4/4〜13 下北沢 本多劇場

脚本・演出 三浦大輔

出演
米村亮太朗
内田 慈

古澤裕介
白神美央
井上幸太郎
脇坂圭一郎
安藤 聖
岩瀬 亮
松村翔子
横山宗和
後藤剛範

片倉わき
新田めぐみ
梶野晴香

照明 伊藤孝
音響 中村嘉宏
舞台監督 矢島健
舞台美術 田中敏恵.
衣裳 金子千尋
映像 冨田中理
写真撮影 曳野若菜
宣伝美術 two minute warning
制作 木下京子
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2007年11月06日

【観劇レビュー】ペンギンプルペイルパイルズ #12『ゆらめき』

久々に観劇レビューを。最近は芝居のDVDを買って、家に閉じこもってばかりだったので、生で観に行くのは本当に久々でした。いやーやっぱ生はいいですわ。

このペンギンプルペイルパイルズは、割とよく観に行っている劇団です。話の筋が好きなのです。決して派手さはないんですが、とにかく先を読ませず、飽きさせない。前に観に行った芝居では、女性の主人公が突然服を脱いで、水着で窓から海に飛び込んで終了という。どんなラストだ(笑)

さて、今回の『ゆらめき』は、客演に坂井真紀が登場。芝居がうまい美人女優に高まる期待。

どんな話かざっくりまとめますと…

わたる(坂井)と進はごく普通の若い夫婦。ある日、わたるは仕事場で若手スタッフ・江尻に告白される。まさか旦那がいるとは知らず、告白の話を聞いて進が怒っていると思い込んだ江尻は、友人・朝比奈と一緒に進のところに謝りに来る。もともと何も気にしていなかったはずの進も、なぜわたるを好きだと思ったのか、本当に諦めきれるのかを問い詰めだす。横で聞いていて次第に不愉快さが募っていくわたる。
その日を境に、江尻と朝比奈は度々進の家に顔を出すようになるが、彼らやその他の知人達の存在が、さらに夫婦の関係をおかしくしていく…という話。

ややもすると夫婦を中心とした単なる人間関係ものの芝居で終わってしまうところですが、ペンギンの芝居らしく、ラストのあたりがおかしなことになってましたわ。登場人物たちがそれぞれ我慢の限界を超えてしまったのか、突如切れだす。

手当たり次第に進むに向かって食器を投げつけるわたる。
昔付き合っていた女の幻覚を見て女性に襲い掛かる進。
進の家の風呂場に潜んで再度の告白を試みる江尻。などなどなど。

わたるの取った行動は愛情の再確認のためだと何となく分かるのだけど、他の登場人物についてはよくわからないところが多い。様々な問題を抱えている人たちが、モラトリアムを求めて進たちの家に来ているような雰囲気はよく出ていたけれど、なぜ事態を受け流しきれず、ブチ切れるに至ったのかをもっと丁寧に描いてほしかったですな。

観ていて思ったのが、「今どきの夫婦像」について。友人のようでもあり、ドライでもあり、微妙な距離感や遠慮のある関係。お互いのことを気にはしているんだけれど、それをなかなかうまく伝えられない。そんなところがあるんじゃないかと。進・わたるの夫婦を演じたのは坂井真紀と戸田昌宏という役者さんですが、そういう微妙な雰囲気をうまいこと作れていました。この二人がやっぱり良かったです。

次こそは、公演が終わらないうちにレビューを書きたいものでございます。がんばろう。


ペンギンプルペイルパイルズ 第12回公演
『ゆらめき』

2007年10月17〜28日 吉祥寺シアターほか

脚本・演出 倉持裕

キャスト
小林高鹿 ぼくもとさきこ 玉置孝匡 内田慈 近藤智行 吉川純広 坂井真紀 戸田昌宏

照明:清水利恭
音響:高塩顕
美術:中根聡子
音楽:SAKEROCK
衣裳:今村あずさ
舞台監督:橋本加奈子
舞台写真:引地信彦
posted by サイダー at 22:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月25日

【観劇評】コンドルズ『Summer Time Blues 〜沈黙の夏〜』

久々に演劇評を。本当はこれを読んでくれた人が「行ってみようかな」と思ってもらえると良いと思うのですが、肝心の舞台が終わっているということもあり…なかなかタイムリーに書くのは難しいものですね。

今回のコンドルズは初見。演劇という枠にははまらないでしょうね。彼らの見せるものは、舞台パフォーマンス、あるいはエンタテインメントとか、そのくらい大きな括りの言葉じゃないと表せないかもしれない。コンテンポラリーダンスあり、芝居あり、コントあり、映像あり、何でもあり。海外で公演を行ったり、NHKの番組なんかにも出ていたりと、幅広く活動しとる彼ら。舞台の上ではいったいどんなことをやっているのだろうかと気になって、見てみました。

その内容の前に、驚いたのが若い女性のファンが多いということ。バンドか何かのライブを見に来る感覚なのかね。開演前から場内は結構な熱気で、俺なんかは列の先頭に立って当日券を買ったのですが、それでも場内の階段に座布団を敷いて見るような急ごしらえの席でした。前売でほぼ満席ということでしょう。見にいったのは平日夜でしたが、平日でシアターアプルほどの会場をここまでいっぱいにするというのは、それはまあすごいことです。それほど人気があると言うことでしょうねえ。

で、肝心の中身はと言うと、これがまたすごい。

前述のように、舞台上にはとにかくいろんなものが出てきますが、メインとなっているのがダンスと、もうひとつが身体表現?というのか、セリフもなく、ほぼ体の動きのみでコントをやったりいろんな事象を表すやつなんですが、このクオリティーが大変高い。ダンスは動きの難易度とか大変さみたいなのはまったくわからないですが、がむしゃらに激しかったり、ゆったり体を動かしてみたり、そしてそれがまた舞台照明とうまくマッチしていたりで、見ていて自然と「すごいなー」と呟いてしまうほどでした。しかも基本の衣裳が皆学ランってのがさらによろしいね。たまーに俺好みの下らないのも入っていて、フンドシ一枚で新体操をするネタは、汚いんだか美しいんだか、とにかく「あっ、やられた」という感じでした。

身体表現(もう、勝手にこう呼んじゃいますが)も、よく体の動きだけでここまで物事を伝えられるなあと感心してしまうくらいのレベルでした。二人組でヨーヨーを表してみたり、頭に乗せたリンゴを落とさず動いている様を見ていると、身体ってこんな風に動くんだなあ、こんな風に使えるんだなあなんて、ふと考えてしまうほど奥が深いパフォーマンスです。自分じゃ絶対やらないけど。

そんな短編のようなネタが何本もあり、その間にダンスやら映像やらが差し込まれ、最後はおそらくコンドルズの「テーマダンス」と思しき全員でのダンスがあり、二時間強の公演が終わる。たまになんとも解釈のしようがない身体表現も出てきましたが、それ以外は会場もお客さんの笑いで盛り上がっていました。

残念ながら今回の公演はもう終わってしまいますが、全国いろんなところで公演をやっているようですので、ぜひ機会があれば。難しいことを考えず、素直にすかっと楽しめます。

それにしてもなんでコンドルズの団員たちは、こういうパフォーマンスを思いついたのでしょうね。そしてどうして「これで飯を食っていこう」と決めたのでしょうね。新しいものであるがゆえに、その道を切り拓いてきた過程にとても興味があります。


コンドルズ
コンドルズ日本縦断大轟音ツアー2007『Summer Time Blues 〜沈黙の夏〜』
9/20〜24 新宿 シアターアプル

構成・映像・振付 近藤良平

青田潤一 石渕聡 オクダサトシ 勝山康晴 鎌倉道彦 古賀剛 小林顕作 高橋裕行 橋爪利博 藤田善宏 山本光二郎 近藤良平

照明 坂本明浩
音響 原嶋紘平
舞台監督 筒井昭善
舞台美術 ArtBros.
衣裳 高松浩子
セリフ脚本 小林顕作
CG制作 H・メディアワークス
宣伝写真 HARU
宣伝美術 柳沼博雄
web制作 青木崇
助成 芸術文化振興基金
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2007年09月10日

【観劇評】演劇集団キャラメルボックス『猫と針』

今回は珍しく観劇レビューを。
(いつもこっそりと書き溜めていたのですが、せっかくなので出していこうかと。けれど、知らない人はまったく面白くないかもしれないなあ。)

今回見た『猫と針』はキャラメルボックスの看板俳優である岡田達也氏がプロデュースするという珍しい公演(キャラメルボックス2007チャレンジシアターVol.5と銘打っている)。そして脚本は恩田陸。これまでキャラメルでも著名な作家の作品を舞台化ということはあったが、今回は書き下ろし。少なくとも俺は初めての体験。

さて、初めて足を踏み入れた俳優座劇場は、歴史を感じさせる立派な佇まいで、劇場内も居心地の良さそうな上品な空間が広がっていた(といっても俺は当日券で補助席であった。とほほ…)。

冒頭、チェロの独奏から静かに始まる。雰囲気出てます。(この間見た『錦繍』でも随所に尺八の生演奏があったが、こういうの増えているのかしら?)

内容をさらっと言ってしまうと、

喪服姿で会話をする大人の男女5人。彼らは高校時代の映画研究会の同期。先日事件に巻き込まれ亡くなった当時の仲間の葬儀に参列した後で、他愛のない昔話をしている。いつしか会話は、なぜ彼は事件に巻き込まれたのか。亡くなる前の最近の彼に会ったやつはいるのか。と、事件に関する話題に変わっていく。

徐々に、「誰かが事件に関与しているのでは」と疑念を抱き始める5人。一人が明らかに不審な行動をとっている、かつて映画研究会の中で起きた謎の事件が蒸し返される、など、それぞれの疑念はさらにエスカレートしていく…という話。

単純な会話劇で、派手な演出も全くなく、役者同士の会話を楽しむ作品。でも結論から言うとイマイチでしたかねー。

事件で死んだ仲間に対して、それぞれがどんなことを思っているのかとか、5人が互いをどう思っているのかとか、その辺はうまいこと表現されていて、見ていて面白かった。集団の中である人がいる時と、その人がいないとき、そしてその人と二人きりになったときと、シチュエーションの違いに合わせた登場人物たちの態度の微妙な変化なんかは、かなり意識して稽古している気がした。

しかしまあ話の筋がなんとも面白くない。
今回の事件が結局どうなったとか、高校時代の事件がどうなったとか、謎だけどんどん積み上げて、結局謎は謎のままで終わってしまった。

それでも終わり方が納得できるものならばまだ良い。今回は本当に中途半端な形で終わってしまった。見せ場も何もあったもんじゃない。そもそも芝居の開始時点から終幕まで、ほとんど物事の状況は変わっておらず、いったい何を見ていたんだろう、という。何とも不完全燃焼で、フラストレーションの溜まる90分であった。

役者について申し上げますと、久保田浩さんは初見で、存じ上げてすらおりませんでしたが、いい役者ですな。一箇所台詞を、しかも重要なやつを言い間違えていたのだけど、その間違いっぷりとその取り繕い方が、彼の演じる役のイメージの範疇に収まっていたために、逆に笑いが起きていたという。「ああこのキャラなら、こんな間違い方しそうだなー」とお客に思わせることができていたわけで、これって結構すごいことだと思う。

その他のキャラメルメンバーについては、まあ思った通りというか。坂口さんはすっかりおばちゃんっぽい役が板についてきましたわね。

最近はキャラメルの舞台でスマッシュヒット出てない印象ですな…。
次回に期待です。


キャラメルボックス2007チャレンジシアターVol.5
『猫と針』
8/22〜9/16 六本木 俳優座劇場ほか

脚本 恩田陸
演出 横内謙介

キャスト 岡田達也 坂口理恵 前田綾 石原善暢 久保田浩
チェロ演奏 海老澤洋三 白佐武史

美術 秋山光洋
照明 佐藤公穂
音響 青木タクヘイ(ステージオフィス)
舞台監督 村岡晋 田中政秀
衣裳 中村恵子
小道具 伊藤ひろみ

照明操作 勝本英志
音響操作 鈴木三枝子(ステージオフィス)
演出補 白井直
小道具協力 高津映画装飾株式会社
大道具製作 C-COM

製作総指揮 加藤昌史
プロデューサー 仲村和生 岡田達也
宣伝デザイン 鈴木成一デザイン室
宣伝写真 田村昌裕
宣伝スタイリスト 中村恵子
宣伝ヘアメイク 山本成栄
舞台写真 伊東和則
企画・製作 株式会社ネビュラプロジェクト
posted by サイダー at 18:56| Comment(1) | TrackBack(1) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

踊る人々

この間ネット証券の会社から送られてきた申込確認書に判をついて郵送したのですが、印鑑をちゃんと押してくださいと突き返されました。む、無念。

少し前になりますが、ミュージカルを見に行きました。1920年代後半のベルリンを描いた『グランドホテル』という舞台です。様々な境遇に置かれた登場人物たちが「グランドホテル」で出会い、そこで織り成される人間関係と各々の人間模様を描き出した作品です。
余談ですが、この作品はフジテレビとライブドアが提携して行った数少ない事業の一環です(笑)

舞台自体はまあまあ面白かった。舞台も豪華で、ダンスもキレがあり、織り成される人間模様も面白おかしく、時に切ない。

この『グランドホテル』とは別のミュージカルで、『キャバレー』という作品があります(むしろ世間的にはこちらが有名かなと思います)。物語は、1920年代後半のベルリンにあるキャバレーで出会った男女の、出会いと別れの話が中心です。

今回は両者の物語や感想について詳しく云々することはいたしませんが、この『キャバレー』にも、『グランドホテル』にも、共通する部分が多々あってなかなか面白いなと、つい先日感じました。

ここまで読んでお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、二つのミュージカルではまず『1920年代後半のベルリン』という点で、時代と国の設定が全く同じです。さらに面白いのが、二つの舞台には共通して出てくるシンボル的なものが不思議なくらいにたくさんあるんですな。舞台に立つことに憧れる少女、タイプライター打ちの仕事、歪んだ性癖、マフィア、犯罪すれすれのぼろい商売、ユダヤ人、きらびやかな表舞台(ホテルやキャバレー)とよどんだ裏の世界(下層労働者、貧困)…などなど。

1920年代後半といえば、世界大恐慌を迎える直前。第一次世界大戦が終わったものの経済状態も人々の心も完全には立ち直れない。むしろ不況と戦争の暗い影から逃げるように、都市の人々は派手な舞台やダンス、酒、ギャンブルなどの享楽に走り、一攫千金の株やらに熱を上げていたのだなと、二つの舞台を観ると良くわかります。歴史物の舞台はその時代のシンボリックな部分を抜き出してお客さんの目の前に映し出しますから、当時のドイツのシンボリックなものが、それらだったという風に言うことができると思います。

そういえば日本でも、江戸時代末期、構造不況と開国の圧力、尊皇攘夷派の政治的揺さぶりという混乱のさなかで、江戸の人々は憂さを晴らすかのように夜な夜な「ええじゃないか」と町中を踊り狂った。投機熱にうなされ物欲も極みに達した90年代のバブル崩壊寸前には、ジュリアナなんかもありましたね。これも何かの不安を拭い去るための享楽だったのでしょうか。

今の日本は、踊り狂っておりますでしょうか。
今の世界は、踊り狂っておりますでしょうか。
posted by サイダー at 00:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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