2008年10月08日

続・最近の色々な出来事についての雑感


上のニュースについて。ニューヨークのダウ工業平均が1万ドルを割り込み、日経平均も一時1万円割れを記録するなど、全世界的に悲惨なことになっております。「全世界的に」なんて書くと、ちょっと自分とは遠いところの出来事のような気がしてきますが、全然そんなことはございません。詳しくは後述。

10月に入っても相変わらずいろんなことが起きております。リーマンの破綻でさえ、霞んでしまいそうな。というわけで今回も五月雨式に…

▼不動産・建設業界ボコボコ破産・民事再生

「不動産価格が値下がりするのでは」というマスコミなどの煽りを受けての消費者心理の冷え込み、鉄鋼やコンクリートなど原材料価格の高騰、銀行の貸し渋りによる資金繰りの悪化、それらが複合的にこの業界を苦しめ、今年多くの企業に引導を渡した。特に最近、新聞の経済面を開くたびに、大なり小なり、この業界の破産・民事再生ネタにお目にかかる気がする。そうやって一社また一社と潰れていくと、「いよいよこの業界は危ない」「マンションは今買うな」という風評へとつながり、悪循環を招く。

建設業界はしばらく本当に厳しいかもしれないが、不動産業界は身の丈以上に規模を追及しようとした企業が淘汰されているというのが実体。堅実に収益性のある不動産開発を手がけようという企業にとっては、土地の仕入れ価格も落ち着いてくる今後は大きなチャンスとなるだろう。そして不動産を買う側にも言えることだが、本当に良い物件はそうそう値段が下がらない。風評よりも、自分にとっての買い時をもっと気にしたほうがいいのかもしれない。


▼三越・イオンの店舗閉鎖

不採算店舗をたたみ、収益を確保しなくてはやっていけない百貨店・GMS。変わって元気なのが、アウトレットモール。スーパーやコンビニでもプライベート・ブランドが売れているそうな。本当に今は消費者が価格にシビアになっている。それにしても、大型のスーパーや商業施設は、地方に出店しては市街地の商店街を駄目にし、地域の基盤を根こそぎ奪った上で撤退していく。焼き畑農業のようだね。

どっかの街に「100円商店街」というコンセプトの商店街があるというニュースを見た。各店舗が100円で売れる目玉商品を用意し、それを武器に集客につなげようというのだ。エッジが立っていて面白い。氷河期は巨体を誇った恐竜たちが倒れ、小さな哺乳類が生き残った。鍵となるのは「適応力」。小さい商店ならではの生き残り方があるはず。


▼マスコミの不況

テレビも新聞も雑誌も大変なことになっております。新聞社の中には夕刊を廃止したり、配る地域を縮小したりという動きが出ている。雑誌も、「えっ、この雑誌がなくなるの!?」というような著名なものも含め今年をもって休刊・廃刊というのがかなりの数に上っている(もっとも毎年休刊・廃刊は一定数あるのだが)。世の企業も儲かっておらず、とにかく広告が入らないので広告収入が減少してしまった。さらに経営を圧迫しているのが紙代。紙の値段が上がっていて、これが相当負担になっているのだとか。すごい話だ…。

テレビ局も広告が入らない。もはや頼みはテレビショッピングと、所有不動産から上がる副業の収入。制作費がどんどん少なくなっていくと、もっと番組がつまらなくなっていくのだろうか。そう思いきや、あの地味なBS放送が今年初めて黒字達成だそうで。ゆる〜い雰囲気の紀行番組とか、自然番組が人気だという。このへんも、テレビ復活の鍵となっているような気がする。


▼巨人と阪神のペナントレース

夏ごろは阪神が優勝するものとばかり思っていましたが…巨人はすごいね。しかし、野球が盛り上がる機会は今を置いて他にないという状況であるにもかかわらず、日本テレビは巨人戦をろくに中継しようともしないという有様。完全に見捨てられております。ちなみに個人的には、どっちが勝とうがどうでもいいっす。


▼加勢大周、大麻と覚醒剤所持で逮捕

供述では「大麻は種から育てた」と語ったという。法政大学の学生たちもやっていたらしいけど、いい加減インドで暮らせって。大麻吸い放題だよ〜。


▼金融不況の連鎖

冒頭の続き。ずっと昔このブログで、株取引に挑戦というような記事を書いていたと思います。断続的に手を出していたのですが、もうあきませんわ…。いよいよ撤収いたします。

期待に胸を膨らませて注ぎこんだ資金は、ライブドアショック、村上ファンドショックなどの荒波にもまれ、時には難破しかかったときもありました。それにもめげず、なんとか持ちこたえていたのですが、結局一度もプラスに転じることのないまま、今回の一連のサブプライム恐慌に飲み込まれてしまいました。トータルでは百万超の損失を出して終了…。あまりにもふがいない有様ですが、嫁にも半ギレされ(笑)、その他諸般の事情もあり、撤収でございます。

まあたしかに、株式投資は素人が手を出したら危ないのは当たり前。けれど今回のサブプライム恐慌はそれだけでは終わりませんでした…。株を始める前に、手堅く儲けようと始めていた投資信託。順調に資産が積みあがっていたはずなのに、ここにきて一気に元本割れですよ。この数年間は一体なんだったのか…。損失を出すために続けることになろうとは。

正直わしの損害はまだ軽いほうだと思います。退職金を投資に回したお年寄りとか、今回どれほど損失出しているのだろうか。一時期合言葉のように「貯蓄から投資へ」と叫ばれ、優遇税制なども敷かれ国家総出で投資を応援した結果、結局20兆円の資産が跡形もなく消え失せてしまった。リスクは承知の上とはいえ、生きるために必要なお金を失ってしまった人はどうしたらよいのでしょう。

株価は生き物ですので「今が最高の買い時」という考え方もあると思うし、おそらくその通りだと思うのですが、個人的には損を確定してみて、やっとこさ投資の恐ろしさが分かったような気がしますね。しばらくはこりごりですが…また余裕資金ができたらやろうっと。
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2008年09月27日

最近の色々な出来事についての雑感


上のニュースについて。この人ほどサプライズという言葉が似合う政治家もいないのではないでしょうか。このタイミングでの引退はさすがというしかない。空気の読み方、マスコミがどういう反応を示すかについての嗅覚は随一ですね。麻生首相が誕生して、自分の政治路線が否定されたと感じるや否やの引退表明。悪い論調が起こるよりも先に「影響力を保ったまますごい政治家がいなくなった」という印象を植え付けることに成功しています。

よく、できる人は飲み会の席でも一次会で颯爽と帰るなんていわれていますが、政治の舞台でそれを実践しているのが彼ということなのでしょうかね。卑近な例すぎますかね。しかしこれでいきなり次の東京都知事選などに立候補したら、瞬殺でその座を射止めるような気がしますがね。

さて。小泉元首相の話題もそうですが、最近は気になるニュースが多いのでまとめて雑感をば。

▼メラミン混入事件
発端は中国産の粉ミルクにメラミンが混入しているというニュースでした。もうすぐ子供が生まれる身ですので、こういう事件には敏感にならざるを得ません。

中国では日本の食品企業もどんどん進出して、新しいマーケットで商品を展開しています。工場も原材料も労働者も中国国内調達が基本ですから、生産工程の管理がより一層重要になってきます。今はちょっとしたことでも「中国での食品不祥事」というだけで、致命的なブランド毀損クライシスにつながってしまいますので。

日本でも丸大食品のパン類にもメラミンが入っていたことが大きく報じられましたが、ブランドイメージへの打撃は軽くはないでしょうね。まあ、あのパンダの顔のお菓子は、メラミンの有無に関わらず、あんまり食欲をそそられませんがね。

▼麻生首相の誕生
ローゼン閣下、四度目の正直。次はいよいよ小沢さんとの最終決戦ですね。ただ早くも自公合わせて過半数超えが勝利ラインと言われているらしく、非常に激しいボコリ合いが予想されます。うまい酒が飲めそうで楽しみです。結果次第で公明党が枕政党めいた真似をするんでしょうかね。

それにしても与謝野さんが負けてしまって非常に残念…。今度の総選挙でもなんとなく宿敵・海江田氏に負けてしまいそうな…なんというか、死相が見えます(比例で復活当選するのだろうけど)。

▼H&Mの上陸
いまだに平日も一時間待ちだとか。すごいですねー。ユニクロが個々の商品の機能性をメインに打ち出しているのに対して、H&Mは上から下までトータルのコーディネートで商品提案していますね。

店内も良く工夫されていて、同じラインの商品をぎっしり並べるようなことはせず、一点ものっぽく見せている。それであの価格ですから、皆「おおっ」と思ってしまう。エッジの立った服が結構あるのですが、逆にH&Mの服が誰かとかぶっているのって、ちょっとかっこ悪い気がして嫌ですね。ものは良いのですけどね。

そういえば、うちの奥さんが「クリスピー・クリーム・ドーナツが20分待ちで買えるようになった」と言っていました。行列好きの日本人ですが、この北欧生まれのファッションブランドは、どのくらい人気が持続するのでしょうか。

▼身の回りのできごと
うどんがすごく好きなんです。この間会社の人に教えてもらって、うちのすぐ近くにうどんの名店があることを知り、行ってみました。これがとんでもなくうまい。年老いたご夫婦がお世辞にもきれいとはとても言えない狭いお店を構えてやっているんですが、出てくるうどんはあの海原雄山先生でも瞠目して一気食いするのではと思えるような、それはそれはレベルの高い一杯でした。さぬきうどんなんですが、のどごしが良くコシのある麺とまろやかで塩加減の絶妙なかけつゆ。無我夢中で食し、ふと気がつくとまだ5分と経っていなかったという、そんなうどんでございました。うまし。

そのおいしさが忘れられず、最近いろいろな店に入ってはうどんを食っています。この間昼間に寄った立ち食い蕎麦屋でも、冷やしたぬきうどんを大盛りで注文いたしました。これが想像を絶するようなまずさで、一口うどんをすすって、あまりの歯ごたえのなさと業務用感丸出しの単調な味付けに暗澹たる気持ちになりました。どんぶりで店主の頭をかち割ってやろうかというくらいの怒りを覚えるとともに、立ち食い蕎麦屋でうどんを、しかも大盛りでたのんでしまった自分に対しても、情けない気持ちになってしまいました。

家でもうどんをよく作って食べますが、麺は生より冷凍がおすすめです。余計な水分を含んでいませんので、しっかりとコシのある仕上がりになりますよ。

最近気温がぐっと冷え込んできました。あれだけ活躍してくれた扇風機も今やお払い箱。皆さんも風邪などにお気をつけ下さい。それでは。
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2008年09月13日

新司法試験についての雑感


上のニュースについて。「9.11」と聞いて、意味の分からない人はいないと思います。あれからもう7年も経つのですね。

たまたま聞いていたラジオで、繰り返しアメリカで何か事件が起きたことを伝えていたので、テレビをつけてみると、世界貿易センタービルが崩れ落ちるあの映像。何度も何度も見ているうちにどんどんSFでも見ているような感覚になったのを覚えています。

翌日は山形の実家に飛行機で帰ることになっていたのですが、当然ながら空港は物凄い警戒態勢。武装した警官が隅々まで配備され、日本ではないどこかになっていたのが思い出されます。

あの事件に起因して生じた憎しみの炎は、今もイラクやアフガンで燻ぶり続けている。そしてあの事件もまた、アフガン、パキスタン、サウジアラビアの抱えていた憎しみによるものなのかもしれない。彼らがなぜ憎しみを抱くのかと言えば、それはロシアやイラン、アメリカ抜きには語れない…。「憎しみの連鎖」という言葉がよく言われます。それは親しい人が殺されたから、殺したやつを殺すというようなレベルではない。その人、その国に刻まれた歴史に深く根を張った問題であるがゆえに、この問題はもはや解決ができない。

諦観しつつも、彼らの憎しみを遠くに感じることはしたくない。憎しみに共感すべく、世界史を学び直す日々です。

さて、今回は文章長いです。土佐礼子のように脱落する方もいらっしゃるかも…

今年の「9.11」は新司法試験の合格者発表の日でもありました。「法曹の質」問題を比較的熱心に取り上げている朝日新聞ではこんな記事内容でした。

法務省は11日、法科大学院(ロースクール)修了者を対象とした08年の「新司法試験」の結果を発表した。3回目の今年は、74校の6261人が受験し、2065人が合格。合格率は33%で前年の40.2%を下回り、2回連続して下がった。3校では合格者がゼロ。法務省が設定した合格者数の目安(2500〜2100人)も下回った。 「法曹の質の低下」に対する懸念が相次ぐなか、10年までに合格者を毎年3千人に増やす政府の計画をめぐる議論にも影響を与えそうだ。(以上、9/11朝日新聞ネット記事より抜粋)

わしの友人たちは果たしてどうだったのでしょうかねえ。受かっていると良いけど、33%だから間違いなく何人かは不合格でしょう。まあそれはそれとして、これはやっぱり「法曹人口の急拡大に反対」である弁護士会側に追い風となるのでしょうか。

先日、といっても7月ですが、この論点についての日本弁護士連合会の提言書が出されました。これにはどうも納得できなかった。彼らの言いたいことは、だいたい以下の通り。

法曹の養成は、法科教育・司法試験・司法修習・OJT(実務での訓練)という一連のプロセスで行われる。ところが、
・法科教育では、ロースクールの教育の質がバラバラである
・司法修習は期間も短縮され、また法科教育との有機的な連携(?)も取れていない
・そんな状態で法曹人口が一気に増えると、OJTが最後の重要な育成の場となる
・しかし法律事務所の経営能力の限界もあり、新任弁護士全員にきちんとしたOJTを行うことはできない
・OJTのやりかたも「E-ラーニング」など工夫しているけど、限界がある

…ということで、「司法試験合格者数を増やし、2010年に3000人にするという構想はよろしくない」と、そういう話でした。

彼らがこういうことを言うその根底には、「法曹の質が低下している」という論点があります。「法曹の質」とは、日弁連側によると「人格識見・法実務能力・法創造能力・事務所経営能力・公益活動意欲」の5つらしいです。そして、新司法試験を合格した人たちは、仕事をする上で必要最低限度の法的知識や法的理解力が低下していることが「指摘されている」らしいです。

そういう能力の低い法曹が世に溢れてはいけないから、法曹の質がきちんと担保されるようになるまで、無理に法曹人口を拡大するのはやめましょう、と言いたいわけですね。

わしの感覚からすると、「何を耄碌したようなことを言っているんだろう」という気になります。

まず、新司法試験を合格した人たちの法的知識の不足について。これは「誰に」「指摘されている」のでしょうか。クライアントが「全然わかってないね」と指摘しているのか、刑事訴訟法廷で対峙する検察が「そんなことも知らんのかね」と指摘しているのか、傍聴人が「この弁護士バカだ」と指摘しているのか。別に誰も指摘していないと思います。さも第三者が言っているように主張しているけど、結局は自分たちがそう思っている、そう思いたい、そんなレベルじゃないでしょうか(新聞が勝手に「世論が許さない」とか書いてるのと同じレベル)。

これがもしも、一斉に調査をして、統計上有意な結果として上がっていれば話は別ですよ。そういうこともなく、「n=1」的な話で、しかもマッチポンプなわけですから、なんと卑怯なのだろうと思ってしまうのです。逆に旧試験を受けてきた人たちは、法的知識は完璧だったのでしょうか。そんなことはないと思います。誰だって新人時代は未熟だし、上の立場から見れば「全然なってない」と思うこともあるでしょう。

はっきり言ってしまうと、その新人が「同じ旧試験を通った後輩」であるのと「(苦労した)自分たちとは違う(楽な)ルートで来たやつら」であるのとで、バイアスのかかり方が違っているだけではないのでしょうか。要は身内に甘い、と。

もうひとつ気になるのは、残りの「人格識見」「法創造能力」「事務所経営能力」「公益活動意欲」に関して。素人ながら申し上げたいのは、この能力に関しては旧試験組より新試験組の方が上なのではないかということです。というのも、新試験から弁護士になる人には、普通の民間企業から転身してやってきたような人がいっぱいいるからです。

わしは法学部を出ているということもあり、弁護士やっている人も結構知っております。今は会社勤めですので、社内外の企業人もたくさん知っている。「n=1」的な比較をさせていただくと、「人格識見」は弁護士の方が低いと思います(失礼ながら)。特にコミュニケーション能力と、世の流れを把握する力ね。これは話してみると如実にわかる。弁護士の方は往々にして、自分の土俵でしか話をしないのですな。

「事務所経営能力」はどうでしょうかね。駆け出し弁護士の状態をもってして旧試験組と新試験組を総体的に比べれば、企業出身者の多い新試験組に分があるのは明らか。択一・論文の勉強ばかりやっていた旧試験組の若手弁護士たちは、果たして財務諸表が読めるのでしょうか(B/Sなんて言葉すら知らないかも)。

「法創造能力」についても、企業で実務を経験した人であれば、一度や二度は「業界のこういう縛りがおかしい」とか「特許手続のここが現実的じゃない」とか、考えたことがあるはず。法を解釈し、新しい構成から論点を解決することに加えて、現実に法を変えていくポテンシャルも、相対的に高いのではないでしょうか。

「公益活動意欲」も、これは今の時代のせいもあると思いますが、圧倒的に旧試験組が劣るでしょうね。むしろゼロに近いんじゃないのかな(また怒られるようなことを…)。若い人たちがNPOにどんどん就職する時代。企業の対社会への姿勢が、メセナからCSRに捉えなおされた時代。公益活動の原動力は、むしろ経済界にこそある。これまで法曹が自分たちの仕事の範囲を超えて、組織として社会貢献を行ったことがあったでしょうか(また独立性が大事とか反論するのかな)。新試験組はきっと、法曹と社会との関わり方自体を変えてくれるだろうし、わしは少なくとも、それを期待しています。

ということで、まとめますと、
・法曹として最低限必要な法的知識が新試験組に欠けているかは疑わしい
・ていうかマッチポンプであり、身内に甘いだけである
・残りの素養に関しては、むしろ新試験組の方が優れているような気がする
・というわけで、法曹の質は低下していないんじゃないか
・以上より、別に法曹人口拡大に歯止めをかける必要はないんじゃないかと思う

てな感じでしょうか。

国民に圧倒的な支持を得た小泉首相が規制緩和路線に踏み切ってからしばらく経つと、そのときに鳴りを潜めていた勢力が、雨後の筍のように出てきては、ああだこうだと言い始めますね。この件に限らず。

規制緩和の真髄は「ダイバーシティ」であり、「利用者に自由に選んでもらう」ということ。日弁連の提言書で最も納得がいかなかったのは、彼らの提供するものは「サービス」であり、何が良くて何が悪いのかを決めるのは、その利用者であるという視点がごっそりと抜け落ちていたことです。結局は「殿様商売を一緒にやるのにふさわしい仲間かどうかは、俺たちに決めさせろ」という、業界視点での話に過ぎない。

いやあ本当に、弁護士って素敵な職業だと思いませんか?
posted by サイダー at 02:06| Comment(2) | TrackBack(6) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月10日

自民党総裁選についての雑感


上のニュースについて。秋冬の東京ガールズコレクションが先日開かれました。AFPに取り上げられているということは国際的なニュースとなっているわけで、これはすごいことです。

かくいう私も先日行ってまいりました。新聞を読むと、コレクションでモデルの身に着けているアイテムは、その場で携帯向けサイトを通じて買うことができ、イベント中にあっという間に売り切れるという風に書いてある。「それはとんでもないことだ、きっとショーが始まるなりみんな一斉に携帯をいじり始めるのだろう」と、そういう光景を期待していたのですが、わしの座っていたあたりでは、ほとんど携帯を操作している人はいなかったね。でも結局今年も完売なんだそうで。きっとキャットウォーク付近のプレミアム席に座っている熱烈なファンたちが買っているのだろうね。

ひとつ思ったのは、今回のモデルの一人として出演していた土屋アンナさんについて。今まで特に意識したことはなかったけど、あの人はすごいね。歩き方、ポーズのとり方、顔の表情、ひとつひとつがまさにプロでした。どの瞬間にどのパーツを切り取っても、ちゃんと絵になると言うか。一部の油断も隙もなく、絶えず緊張感を持って場に望んでいる感じがします。他のモデルももちろん素敵でしたが、彼女は身体から放つオーラが別格でした。キメラアントの「王」クラスです、はい(わかるかな…)。

それにしても会場に押し寄せた女性の数たるや。東京にはこんなに女の人がいたのかと思わんばかりです。今年一年分の女性を見ましたよ。

さて。

巷では自民党総裁選と、大相撲の薬物問題、二つの「麻」で盛り上がっていますね。そんなに連日大麻の話を報じなくても良いのになあと思ってしまいますが、日本相撲協会という、悪役イメージの付いている組織が相手ですので、マスコミのボコり方も半端ないですね。

あれほど大麻はインドで吸えと言っているのに…禁を犯してまで吸いたくなるほど大麻というものが良いのかどうかが、本当にわかりません(かつての記事「大麻にまつわるエトセトラ」参照)。

自民党総裁選のほうは、まあマスコミ対策がうまく行っているなあと。民主党は完全に持っていかれましたね。個人的にも総裁選、非常に楽しみです。総裁選のあと速やかに総選挙という流れがもっぱらのシナリオとして言われていますが、そうなると、我が家で選挙速報を肴に酒を飲むという、素敵な宴会が催されるからです。今年は部屋もテレビもちょっとワイドになっておりますので、これは相当期待できます(かつての記事「泡沫NIGHT2007」参照)。

わしとしてはここはぜひ与謝野さんにがんばって欲しいんですけどねえ。政策通のいぶし銀な雰囲気が前々から「良い!」と思っていたのですが、ついに彼が立ちました。消費税の引き上げ、大賛成です。上げ潮派も民主党の案も悪いとは言わないけど、どこまで信じて良いものか。財政縮小とか、政府のカネの使い方で削り取れる部分は削ってもらいたいけど、それがそのまま福祉の財源を充当しうるのかどうか。経済成長を追及するために減税を行っても、大企業を潤すのみ。その大企業はアジアなど海外に活路を求め、日本の中でカネが回らない。景気の底上げにどれほど寄与しうるのか。

というわけで与謝野さんを応援するのだけれど、彼が総裁になって、そのまま選挙に突入となると、どうも小沢民主党に勝てないような気がする。失礼ながら、アピール力があまりにもなさそう。もしかしたら小選挙区では自身の当選も危ないかもしれない。かつて東京一区で民主党の海江田万里に二度も敗れ去っており、前回の総選挙では大勝したものの、それとて小泉旋風が吹き荒れる中での出来事。そうでなかったら果たしてどうであったか…。

与謝野さんなら選挙中消費税引き上げにも言及することは必至で、さらに状況は厳しい。消費税構想をぶちあげた竹下内閣と、5%への値上げに踏み切ろうとした橋本内閣は、どちらも選挙で見事に爆死していますからね。よほど麻生さんや小池さんが総裁になったほうが勝てそうな気がする。

与謝野さんと囲碁仲間でもある小沢代表が、手心を加えてくれれば或いは…。まあ有り得ませんね、ただただ祈るとしましょう。
posted by サイダー at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

山形県の加茂水族館についての雑感


上のニュースについて。こういう臨場感溢れる体験モノのアトラクションはぜひやってみたいですね。アメフトとかラグビーをテレビで見ていて思いますが、ぜひ誰かの頭部に小型カメラを取り付けて、その映像を流して欲しいものです。

さて。

水関連の話題というわけではありませんが、今回は水族館がテーマ。久々に地元山形県のネタです。

山形の日本海側、加茂という地域に「加茂水族館」というそのまんまのネーミングの水族館があります。最近、とある試みを初めて、一躍全国的に有名になりました。この水族館はわしが幼い頃からもずっとあったのですが、当時のわしは横浜に住んでいるばりばりのハマッコ(自称)。油壺マリンパークやら八景島シーパラダイスやら、水族館系の娯楽はだいたい体験しており、田舎にも加茂水族館があると聞いても、別に心を動かされたりはしないわけです。

わしもお子様で、「田舎の水族館」なんて、大したものが見られるわけでもない、客もまばらの鄙びたところだろうという、ネガティブなイメージを勝手に抱いておりました。

そして実際、そのイメージは当たっていた。水槽の並ぶ館内も、アシカショーの見られるステージも、土産物コーナーも客の姿はまばら。そうなると一度足を運んだお客さんの気分も萎えて、もうここには来ない、となる。完全に悪いスパイラルに陥ってしまったわけです。本当につぶれる寸前まで行ったんじゃないかと思うのですが、ここで加茂水族館は腹を括った。

「クラゲに特化した水族館」という、すごい方向に舵を切ったわけです。今から10年くらい前のことでしょうか。で、それが大当たり。全国でも珍しい、ここにしかない展示をやっているということで注目が集まり、メディアに取り上げられたこともあって、客足が戻ってきた。今では県でも人気のスポットです。

さすがに気になって、この夏実際にわしも足を運んでみました。夏休み時期ということもあるのでしょうが、クルマで来ている親子連れが多くて、駐車場の空きを探すのも一苦労。館内もそれなりに人がいて、サバやらアジやらサメやらを見ている。アシカのステージも半分以上は立ち見客でしたかね。

そしていよいよメインのクラゲの展示場、名づけて「クラネタリウム」へ(誰がつけたんだ…)。真っ暗な場内に、発光しながら妖しくゆらめくクラゲたち。毒があるやつ、ないやつ、大きいやつ、小さいやつ。種類にして何十種、個体では何百、もしかしたら数千体はいるかもしれない。どういう仕組みで光っているのかは知らないが、まあ綺麗なもんです。

不規則にゆっくりと動いているクラゲたちを見ていると、「このクラゲたちはいったい何を考えて生きているんだろう…わしもクラゲのように生きたいなあ……」と無性に後ろ向きな気分になってくるのはなぜだろう。けれどこんな呑気な彼らが、加茂水族館に再び活気を取り戻してくれたんですねえ。

レッサーパンダの風太で有名な旭山動物園も、お客さんが集まらず苦しんでいた時期に、「動態展示」というこれまでになかったコンセプトを立ち上げ、一気にメインストリームに躍り出た。その水族館バージョンが加茂水族館ということができるのかもしれません。「片山善博教授の講演についての雑感」でも触れましたが、やはり選択と集中。これが必要なのは電化製品業界だけじゃないですね。こんなこと言っては失礼ですが、たかがクラゲというへなちょこな生き物でも、それを束ねて強くコミュニケーションしていけば、そこに突破口が開ける。これってものすごく、いろいろな企業・団体にとって、勇気付けられる好事例のような気がします。

ちなみに加茂水族館の隠れた人気?商品はなんと「クラゲアイス」。細かく刻んだミズクラゲが入っている素敵なアイスです。恩を仇で返すのかと。気になるお味のほうは……ぜひご自身で体験してみてくだされ。
posted by サイダー at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

大野病院帝王切開死事件判決についての雑感


上のニュースについて。果たして真相は。新たな冷戦時代の幕開けとなるのでしょうか。高校の世界史で担当の先生が、ロシアを突き動かしているのは常に「凍らない海への渇望」であると言っていました。「確かにな」という気がしますね。

さて。

今日の新聞で大々的に取り上げられていたのが、福島県の大野病院で2006年に起きた事件の判決。以下、概要の報道です。

福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死の届け出義務)違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決が20日、福島地裁であった。
鈴木信行裁判長は、「標準的な医療措置で、過失は認められない」として無罪(求刑・禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。
医療界からは、医師の逮捕に対して反発の声が上がり、元々勤務が過酷とされる産科医離れが進むなど波紋を広げたとして注目された。(以上、8月20日付 読売新聞ウェブ記事より抜粋)

今回の事件の特徴としては、加藤被告を検察が逮捕したことによって、医師会がこぞって反発の声明を挙げ、検察側の進める訴訟に対する大ネガティブキャンペーンを展開したことでしょうか。それはともかくとして、こういう事件が起こると医師側が常々主張する「医療への萎縮」、わしは妥当性のある主張だと思っています。

分娩に関わらず、あらゆる医療行為は患者の生命・身体へのリスクを内在している。その担い手である彼らはプロフェッショナルであり、高度な技量と責任が求められるけれども、そこに「完全」を求めることは誰にもできないはず。

報道も、朝日や産経は珍しく歩調を同じくし、医師側にも配慮したバランス型の論調。読売は、医療問題に力を入れていることが関係しているのか分からないけれど、医師や医師会側に対してネガティブな表現が目立ちます。

この判決はこの判決として、とにかく医師側が勝った。けれど問題がそれで終わったわけでは無いと思います。検察側の主張や報道でも言われていた、「医師たちは仲間内でかばい合う体質」であるということ。今回の事件がそうだったのではとか、医療の世界全体がそうだとか、そんなことを言うつもりはないです。

世の中からは少なくとも、「医師たちは仲間内でかばい合う体質」であると思われている事実。これは「世間の思い込み、かんちがい」では済まされない、医師たちのもたらした問題です。医療など高度な知識と技術が必要とされる分野では、往々にして利用者(患者)と提供者(医師)の間に、情報の非対称性が生じやすい(その情報格差こそが、飯のタネなわけだが)。情報格差が放っておかれると、それは即、双方のコミュニケーション格差につながり、かんちがい、思い込み、不信、対立へとつながっていく。「かばい合う体質」と思われる素地があるのは明白でしょう。

「医療のプロ」を自任し、知識・技術を研鑽し医療行為に全身全霊を傾ける医師を悪いとは言わないけれど、本当の「医療のプロ」は、まず患者とのコミュニケーションのプロであるべきではないか。患者と医師がコミュニケーション上フラットな関係になれば、医療も通常の「ビジネス」として、失敗のリスクに対する世の中の許容性も、だいぶ向上するように思います。業務に追われ多忙で心にゆとりがない医師の勤務状況など、ハードルになる点もたくさんあるとは思いますが。

青臭いけれど、今回の事件が医師の方に対して、日ごろの患者とのコミュニケーションを見直すきっかけになり、患者と医師の絆が強まればいいなと思いました。

今年、ひとりの子供の父親になる身として。
posted by サイダー at 18:41| Comment(5) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

赤塚不二夫氏死去についての雑感


上のニュースについて。まあ組織によって見解はまちまちという話。バングラディシュの研究と国連の研究とNASAの研究、どれが妥当なのか。国連の報告も、ツバルのように「温暖化のために沈み行く土地があるんだ」ということを世の中に印象付けるためのもののような気もするし、かといってバングラディシュの研究のレベルが、果たして信頼に値するものなのかもちょっとわかりませんね。

いずれにせよ、広がっているというその陸地も、ちゃんと「陸地」として利用可能でない限りは意味がありませんね。農業利用できるとか、建物が建てられるとか。バングラディシュは洪水被害が物凄くて、海外からの投資の集まりにくい場所。それがアジアの中でいつまで経っても貧困から抜け出せない理由のひとつでもあるのです。いろんな国からいろんな支援がされていますが、洪水に泣かされない陸地こそが彼らの一番の望みでしょうね。

さて。

「おそ松くん」「天才バカボン」などの作品で知られる漫画家、赤塚不二夫さんが先日亡くなりました。歌手やタレントなどと違って、漫画という隔壁が間にあるせいか、亡くなったと聞いてもわしはあんまり心を動かされることはありませんでした。けれど報道を見ると、あのタモリが本当に悲しそうに哀悼しているなど、やはりただごとではないのだなあと感じます。

赤塚作品との出会いは小学生のときで、毎週土曜日の夜はテレビで「平成天才バカボン」や「もーれつア太郎」を見ていました。別にものすごくハマッて見ていたというわけではないのですが、いつの間にかあの強烈なキャラクターや台詞が刷り込まれていたのでしょうか。今でも結構はっきりと覚えています。中学校時代にはなぜか古本屋でバカボンの漫画を買って読んでいました。あんなにわけのわからない漫画もなかった(笑)

たとえばバカボンのパパの大学時代の友人がバカボン家に遊びに来るという話。みんな普通に会話している中で、友人の一人だけ、座布団とかいろんなものをかじって「あまい」しか言わない。けれど誰も突っ込まず、話の流れにもまったく関係ない…。彼は結局最後まで「あまい」しか言わずその話は終了。ええっ!?(笑)

みうらじゅん氏も産経新聞の赤塚氏追悼特集で、「ウナギイヌとか、変なキャラクターがたくさん出てくるのに、そこに何の説明もない。シュールすぎる」と語っていました。考えてみればテレビのバカボンで、話の途中に「閑話休題」的に劇画調の絵が差し込まれるんですが、あの絵はいわゆるシュールレアリズムの影響をかなり受けていたような(あんまり詳しくないけど)。けれどもそのシュールさこそが、中毒のように赤塚漫画を浸透させるキモなのでしょうね。

最後に伊集院光氏がラジオ番組で語っていたエピソードを。彼曰く、「若い世代は『平成天才バカボン』しか知らないが、昔は『元祖天才バカボン』というタイトルのアニメで、秀逸な作品がたくさんあった」そうです。そのうちのひとつが衝撃的な内容です。二人のギャング風殺し屋が、スリリングでアップテンポの曲が流れる中、ひたすらにいろんな武器を使って殺し合っている。台詞はいっさいなし。爆弾とかいろいろ使うんだけどもなかなか決着がつかないという状態が延々と続いて、最後は同時にピストルの弾に当たって二人とも死亡。そこで初めてバカボンのパパが出てきて、「これでいいのだ」。以上終了。

伊集院氏の話を聞いているだけで、独特のシュールな世界が目に浮かぶようです…。もしかしたら今後NHKあたりが赤塚氏の追悼特集をやるかもしれませんが、願わくばこの「二人の殺し屋」、ぜひ拝ませていただきたいものです。

赤塚氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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2008年08月01日

桐生第一高校甲子園出場についての雑感


上のニュースについて。第二次福田内閣が発足。郵政選挙で造反組として離党した野田聖子議員が、消費者行政担当相として入閣。彼女が「誰とでも寝る女」というわけではなく、自民党がまたどろどろの状態になっているということなのかしら。与謝野さんには期待です。

さて。

ちまたに通り魔が跋扈する今日この頃、彼らの間をするりと通り抜けて、お茶の間にやってきたスターが、強制わいせつ罪で捕まった桐生第一高校の野球部員である。いろいろと議論を呼んだものの、結局今日、桐生第一の甲子園出場が認められました。

以下、夏の甲子園を牛耳る朝日新聞の記事です。

選手権大会開幕前日の1日、野球部員が強制わいせつ容疑で逮捕された桐生第一の全国大会への出場が認められた。卑劣極まりない事件だが、近年、日本高野連は不祥事に関して連帯責任に問う目安を緩和しており、その方針に沿った判断となった。
 全国理事会では、事件の重大さを考慮し、「万引きやバイク無免許運転などの非行と同列に考えてよいのか」「内容次第で出場の可否も慎重に判断すべきだ」という意見があった。一方、今回の事件は帰宅後の私的な時間帯に起きており、「他の部員やチーム全体に責任を負わせることがよいのか」との意見も出たという。最終的に全会一致で出場が認められた。(8月1日付 朝日新聞ネット記事より抜粋)

「卑劣極まりない事件だが」という表現や、理事会の議論の様子を載せて「十分検討している感」を演出しているのは、まあ立場上「そうだろうな」と思います。

それはさておき今回の件、甲子園の大会が近いこともあり、被害に遭った女性そっちのけで、世の論点は「桐生第一が甲子園に出場する意向なのは、是か非か」にスライドしてしまいました。本当に大事なのは、こういう事件が繰り返されないためにはどうするかを議論することですが、我々大衆は分かりやすい事象にどうしても流されてしまうのですねえ…。

ちなみにわしは、今回の件、桐生第一は甲子園に出ても問題ないと思います。被害に遭った女性が例えば、テレビで桐生第一のユニフォームを着た選手たちが試合をしている様子を見たとしたら、そりゃあすっごく嫌だと思います。思うんですが、それでも彼女は、他の部員全員まで巻き込んで、「部として出場してほしくない」とまでは、思っていないんじゃないか。そう考えるのが一点。もちろん本当はどうだかわかりませんけど、たぶんそうなんじゃないかって話です。

あと一点は、連帯責任の考え方ですかね。組織の問題として論じることが妥当か否か。部全体で大麻やっていて、たまたまそのうち数人が吸っているのが見つかったという関東学院ラグビー部(懐かしいね〜)のケースと比較してみると分かりやすいんじゃないでしょうか。変態部員の行為の責任を組織に帰属させることが妥当でしょうか。

だとすると絶倫齋藤頭取が君臨するみずほコーポレート銀行なんかは企業活動を停止しないといけませんし、モナと渡辺アナのダブル不倫でアツいフジテレビは電波を止めなければなりませんし、二岡先輩のいる読売ジャイアンツは今期残りの試合全部不戦敗ってことにしないとおかしいと思うのですが、いかがでしょうか(ま、不倫は個人の自由。犯罪ではございませんがね)。

一番つらいのは被害にあった女性。けれど甲子園という最高の舞台が始まる直前に、組織の名誉をここまで汚されてしまった桐生第一の部員たちもつらい。きっと歯を食いしばるような気持ちでひたむきにプレイをすることでしょう。「出るな」「負けてしまえ」という声が聞こえる中で、果たして勝っても素直に喜んでいいのかどうか。そういう思いで甲子園に挑むことになった高校球児たちに、声には出さないまでも心の中で「つらいだろうけど頑張れよ」と声援をおくってあげるのが、大人というものではないでしょうか。

余談ですが、桐生第一の福田監督は空気を読んで辞任の意向を表明し、「指導が足りなかった」という謝罪コメントも発信しています。しっかし、「いいかお前らよく聞け。女の子を見てついムラムラ来ても、雑木林に連れ込んで、わいせつなことをしちゃいかんぞ。わかったな!」といちいち指導された日には、日本は滅亡しますね、きっと。
posted by サイダー at 22:29| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

文芸社『血液型別 自分の説明書』についての雑感


上のニュースについて。2005〜2006年の世相を語る上で必ず出てくるこの人。二審でも実刑判決が下されましたが、「なんか悪いことやっちゃったんだけど、なんだったっけ」くらいの感覚の人も多いかもしれませんね。

さて。

最近やたらと、血液型に関する本が売れているようです。文芸社から出ている、『B型 自分の説明書』などの、『血液型別 自分の説明書』シリーズ。つい先日も電車の中でこの本の広告を見ながら、盛り上がっている乗客に遭遇しました。あんまりこの手のものに興味がないわしが知っているくらいだから、結構な情報の投下量でしょうね。

それにしても、血液型って、なんなんでしょうね。

A、B、AB、OというABO式分類での4タイプの血液型で、それぞれ性格に特徴があるという。わしが高校生のときの生物の先生は、「血液の成分には性格を決定するようなものはひとつも入っていないのだから、巷で言うような血液型別の性格診断を信じているようなやつはバカだ」と平気で言っておりました。わしも「それはそうだな」と思っていたので、そんなに信じることもなく今に至っております。

だいたい飲み会とかいろんな場で血液型の話になって、「誰が何型だ」とかやり始めるときに、わしは8割がた「A型」だと言われるんですよね。まじめで几帳面っぽいという理由で。まあすみませんO型ですって感じなんだけど、相手の反応が「えーっ、O型っぽくない。絶対A型だよー」というわけです。人が「O型だ」って言っているのに、無理やり血液型の方に合わせようという(笑)

その時点でなんとなく破綻しているような気はするものの、それでも診断では「O型はおおざっぱで楽天的」みたいなことも書いてあったりするんですよね。それを見るとやっぱり「おお、わしのことじゃ」と思ってしまったり(笑)。まあ人に害を与えるようなもんでもないし、話の一興になるという意味では血液型、いいんではないでしょうかね。

ただ、解せんのは『自分の説明書』のようなものを買い求めてまで血液型にこだわる姿勢ね。そんなに自分の血液型に従属して安心感を求めたいのかしら。そんなものでも無いと自分がわからない、説明できない、安心できない、というのだとしたら、テレビの向こうの通り魔の皆さんと同じレベルの「見失いっぷり」ではないかね。

逆に血液型を参考にして友人や彼氏彼女とうまく付き合いたいという思惑で買う人も、どうなんでしょうねえ。型から入る人付き合いも悪いは言いませんが、自分のコミュニケーション力のなさを自ら認めているようで、悲しい気持ちにならんものかね。

血液型のせいで人生を狂わされた人といえば、「び、B型だとーっ!?」の台詞があまりにも有名な『華麗なる一族』の万俵大介氏ですが、皆さんもどうぞ気をつけてください。

ちなみに文芸社のこの本は、発売順がB型、A型、AB型、O型(8月1日発売予定)となっていて、売れ行きは順に、110万部、60万部、55万部、という具合だそうです。考えてみると、これは売り方にも仕掛けがあるような気がしました。O型向けの本を先に出しても、そもそもO型はあんまりこういうものは気にしませんので、先にもうちょっと気にしちゃいそうな血液型の本から出して、ヒットの事実を作って、O型にも売りやすくするという。マーケティングを血液型で考えてみるとそんなところでしょうかね。

そんな血液型、地味に輸血の際は重要になってきます。わしはO型なので、誰にでも血液を提供できる反面、O型以外の血液を入れられると凝結して下手すりゃ死んでしまうのでね。意外とナイーブですよ…。AB型がうらやましい。ところで『自分の説明書』の著者の方に聞きたいことがひとつあるんですが、AB型の人にO型の血液を大量に輸血すると、一時的にでもその人の性格はO型寄りに変わるんでしょうか。

まあ血液型の謎は尽きませんわ。
posted by サイダー at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月18日

片山善博教授の講演についての雑感


上のニュースについて。そもそも「投資」って行為の意味を分からせる必要がありますな。これは…。

さて。

先日慶應義塾大学法学部で教鞭をとっていらっしゃる片山善博教授の講演を聞く機会がありました。片山教授は以前鳥取県知事を二期務めていた方で、地方行政の現場、それこそ泥臭い部分まで知っていらっしゃる、理論と実務両方の体現者ということになるでしょうか。講演内容も必然、「地方からの再生と日本の将来」という、地方に関する話がメインとなったのですが、やはり現場の話は面白い!身をもって知ったいろいろな話題をユーモアも交えてわかりやすく話してくださいました。

彼が何より強調していたのが、地方の経済主体の根強い官依存体質でした。箱モノ行政なんてことは前々から言われていますが、相変わらず土木業はそれで食っている状態。また農業従事者は完全に国からの農業補助金を目当てに農作物を作っている。知事時代、農家に視察に行ったときに、「知事さん、来年は何を作ればよいでしょうか?(何を作ると補助金が多くもらえますか?)」と当たり前のように質問されたそうで、「農家は消費者やマーケットなどはまったく見ず、完全に政府の方ばかり見ているのだな」とまざまざと感じたと語っていました。東京にいるとあまり官依存の経済活動を実感する機会はないかもしれないが、地方は想像以上だと、そんなことも言っていました。

そしてもうひとつ、片山教授は地方自治体を支配する中央省庁も激しく指弾していました。様々な省庁が縦割りで、地方に対して地方交付税や補助金をぶらさげて、骨抜き・借金漬け・愚民化しようとしていると、強い口調で語っていました。財政破綻した夕張市の市長室には、模範自治体として自治省から昔もらった表彰状が飾ってあったのだそうですが、その結果があれだと。中央省庁を信じて、借金を重ねて補助金目当ての事業を繰り返し、小泉政権時代に補助金がぷっつり切られたとたんに、どうにもこうにも回らなくなった。

そんな話を聞いているうちに、地方自治体というのはベッドに横たわる入院患者のような気がしてきました。何本も何本も注射の針が身体に刺さっていて、チューブでいろんな交付金・補助金が点滴されている。回診で小泉という医者が来て、「お前ら自分の力で元気になれ!」と言って、ハサミでばさばさとチューブを切って、ベッドから追い出しにかかった。そしたら患者が、急に容態が悪化してのた打ち回った。小泉医師はそれを横目に「改革には痛みが伴う」と言って、去っていった。その後患者の一人がのた打ち回った結果、口から血を吐いて死んだ。それが夕張市。そんなイメージでしょうか。

片山教授は「地方自治は自業自得(地業地得かな?)」と何度も強調しています。官に任せず、自分で考え、自分で行動する力、そういうものをいち早くつけていかなければいけない。中央省庁も、もっと地方を自律させ、地方の課題を自ら解決させる方向に向かうべきである。それが講演の結論でした。

わしもまったくその通りだと思います。まったくの抽象論ですが、その実現のために必要なのは選択と集中。経済的に大きな利益をもたらすと予想される核となるものがその地方にあれば、それに資源を集中させ、人や組織を巻き込み、大きなうねりを一気に作り出す。衆目を引き付け、世論を動かし、揺るぎないイメージまずは構築し、それに負けない事実と実績も同時に築き上げるということ。実体と評判の正のスパイラルをうまく作ることができれば、他には負けないその地方ならではのエッジが立てられます。

選択と集中のウラには排除と淘汰。そこは申し訳ないが、人情を捨てて大鉈を振るうしかない。その「悪役」を演じる役者が地方に育つかどうか。それとも小泉医師のような凄腕を、外部から連れてくるのでしょうか。彼が通ったあとには血の雨が降るのでしょうが、その向こうに虹がかかるかもしれませんね。

片山教授の話を聞いて、最も感銘を受けた言葉があります。今は教授という立場で、地方自治の第一線からは退いたけれども、「自治体をちゃんとさせる。これが私のライフワークです」と。地方のために、国のために、自分の人生を捧げて役に立つことをしようという彼の言葉には、人の心を動かす確かな力がありました。わしも微力ではありますが、仕事を通じてこの国の役に立っていきたい。勇気をもらえる言葉でした。

ちなみに。わしが前回書いた大分の教員汚職問題。やはり片山教授も怒っていらっしゃいました。曰く、「小学校中学校の義務教育は、誰であっても等しく教育を受けるためのものであり、その制度趣旨は『機会の平等確保』にある。今回の事件は、その義務教育の担い手ともあろう者が、賄賂という手段で積極的に『機会の不平等』に加担した事件であり、言語道断だ」とのこと。

やはり慧眼。ろくでもない先日のわしの記述と比べて、同じテーマでここまで違うものかと、改めて自身の不明を恥じた次第であります。はい…。
posted by サイダー at 14:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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