2008年07月15日

大分教員汚職事件ついての雑感


上のニュースについて。「死に神」鳩山法相が語っています。わしは死刑に反対ですが、それにしてもひどい言われようですな。実際に死刑を執行する立場の公務員の方々は、どんだけショックを受けたことでしょうね。朝日新聞は朝日新聞で団体の抗議を受けてあっさり謝っているけど、それも情けないね。

さて。

公務員つながり?ってことではないですが、世間を騒がせている大分県の教員の汚職の話。

大分県の小学校教員採用汚職事件で、県教委OBで県内の私立大学教授(65)が、元小学校長、浅利幾美被告(52)=贈賄罪で起訴、懲戒免職=の長男、長女の試験前の昨年7月ごろ、県教委義務教育課参事の江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で再逮捕=に「受験するのでよろしく頼む」と伝えていたことが分かった。教授はその後、自分の病気への見舞名目で浅利被告から現金10万円を受け取っていた。現金は紙袋に入れた魚の干物の下にあったという。
この教授は毎日新聞の取材に「教え子の娘で、頑張っていたので『よろしく』と伝えてしまった。今でもお見舞いと思っているが、口利きの謝礼と言われれば、そう受け取られても仕方がない」と話している。
江藤容疑者が勤務する義務教育課人事班には、県議など複数からの口利きが判明しているが、大学関係者の口利きが明らかになったのは初めて。(以上、7/14毎日新聞より抜粋)

どんどん汚職の輪が広がっております。

この事件に関して、こんなこと書くと絶対怒られそうなんですけど、どうしても言いたいことがあります。たぶん多くの人も思っていることだと思うんですが、あえて言いますと…

自分の子供をたかが小学校教員にするために、なんでそんな必死になっているんだろう。

いや職業に貴賎はないと思うんですが、それにしてもねえ。政治家とか、医者になるとかなら、がつんとカネ積んで「ひとつよろしく」なんてシーンも浮かぶし、それだけのリスクを犯すメリットもありそうな気がしますが、小学校の先生ですよ…。そんなにうまみのある職業なんでしょうかね。小学校の先生の「うまみ」をなんとなく考えて見ますと、

・ロリコン心をくすぐる子供たちと接することができる
・ばれなければ盗撮などもできるかもしれない
・ストーカーまがいのメールを送っても、「指導の一環」で済ませられるかもしれない
・腹が立つことがあって子供を殴っても「指導の一環」で済ませられるかもしれない
・学級崩壊の現場を見ることができる

…と、そのくらいしか思いつきません。小学校の先生の方、いらっしゃったらぜひ教えてください。あと、自分の子供をどうしても小学校の先生にしたい親御さんも、いらっしゃったらぜひ教えてください。

カネを積むのはまあ論外にしても、コネがある人間がうまいこと渡り歩ける世の中なのは間違いないですね。わしの大学にもいろんなご子息・ご令嬢がいらっしゃって、「あいつらはずるいなあ」と思ったりしたのですが、最近ではコネもパーソナリティのひとつだと考えるようになりました。それを使いこなせるかどうかは、その人しだいですからね。周囲から特別視されている状態がいい具合に心にプレッシャーをかけて、立派な人間になるっていうこともありますしね。

しかしこの事件で、「まさか自分が口利きで入ったなんて思ってもみなかった」という先生たちが生み出されてしまったわけで、彼らもある意味被害者かもしれません。周りからの風当たりも相当厳しくなるのでしょうが、きちんと授業をして、生徒を指導していく中で、認めてもらうしかないでしょうね。成長するための適度なプレッシャーとは、とてもいえないと思いますが…。

えーぬるい内容ですみません。それでは。
posted by サイダー at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

秋葉原通り魔事件ついての雑感



上のニュースについて。洞爺湖サミットで先進国の首脳が日本に集結している間にも、世界ではいろいろなことが起こっております。悲惨です。

さて。

先日仕事で秋葉原に立ち寄りました。仕事仲間と二人で昼食をとろうとふらふら歩いていたら、急にあるものが視界に入ってきました。先月の秋葉原通り魔事件。その犠牲になった方を供養する壇が、事件現場となった交差点のすぐ脇の一画に組まれていたのでした。事件のあった交差点を歩いていたなんてまったく意識もしていなかったので、壇を目の前にして私と仕事仲間と二人、「あっ」と声を発してしまいました。さすがに素通りもできず神妙な気持ちで手を合わせました。

壇にはたくさんのお花と、缶ジュースなどの飲み物が供えられていました。お花は新しいものが多くて、毎日不特定の誰かがやってきては、花を供えているんだなあと分かりました。ふと壇の脇を見ると、控えめな格好をした女性が二人、じっとうつむいて立っていました。遺族の方なのかはっきりとは分かりませんでしたが、きっとご関係の方なのでしょう。

突然供養の壇に直面させられると、思考力を奪われるというか、そこで起こった様々な出来事が一気に自分の意識の中に侵入してくるような気がしました。ガンと後頭部を殴られたようで、身動きが取れなくなるのですね。

秋葉原からは歩行者天国が消え、警察官が増えました。けれど人の数は相変わらずで、歩行者天国が無くなって歩道を歩かなくてはいけない分、むしろさらに多く感じます。細い路地には小さなパーツ屋・電器屋が並び、たくさんのお客が品物を物色しています。その合間を縫って、製品を積んだトラックがそろりそろりと走る。トラックはわしらの横を通りすぎて、大通りに出る。

その瞬間、ふと思ったのです。

何のことはない光景。誰も疑わない日常。6月8日のあの日もきっとそうだったのでしょう。まさかあのトラックが――と誰が疑ったでしょうか。あの日の昼間、わしは恵比寿にいました。用事が恵比寿であったという、ただそれだけのことです。もしその用事が秋葉原だったら。いや、もしあの事件が今日この日だったら。今まさに通り過ぎた白いトラックが、あの事件のトラックだったとしたら――。

別に何か意見があるわけではなく、ただそう思ったというだけの話なのです。犠牲者は誰であってもおかしくなかった。そうであるからこそ、余計に許せない事件だと思いました。それにしても、新聞やテレビで事件を見たときと、現場を実際に見たときとで、事件に対する距離感がこうも違うとは思いませんでした。身体に入ってくる空気、緊張感がまるで違うのですね…。

事件から明日でちょうど一ヶ月になります。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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2008年07月03日

コンビニ深夜営業禁止の動きについての考察


上のニュースについて。バイオエタノールの原料となるサトウキビを作るために希少生物の生息地を開拓するのだそうです。担当大臣の話が実にリアルで「地元民の利益のため」だそうです。そういえば今日、三井物産もブラジルの企業と組んで、サトウキビ畑と大規模なバイオエタノール製造工場をつくるという発表をしました。

三井物産など商社のビジネスは実に見事で、サトウキビなど作ったバイオエタノールを電力会社や石油会社に売って、まず儲ける。電力会社なんかはそのバイオエタノールを使って電気をつくる。その電気は「これはカーボンニュートラルな地球に優しい原料から作られた電気です」というわけで、「グリーン電力」なんて呼ばれます。企業はその電気をちょっと高いカネを出して買う。そうすると「グリーン電力購入証書」という「地球に優しいことをした」という印がもらえるので、それを広告とか「環境活動報告書」という書面で宣伝する。商社はそこでも、証書の購入の仲介をして、サヤを稼ぐ。食べ物を人間の口に入れず、機械に入れて、自分の腹を肥やしている人たちがいるようです。

このスキームにおける彼らの儲けの源泉は「世の中が二酸化炭素を削減しなければならないと思っていること」ですので、さまざまな費用を使って、そういう意識を持たせようと働きかけているんでしょうね。ちなみに商社は石油などの資源が高いこともあって業績は絶好調。今後も成長が期待できる業界です。今就職するならやはり商社です。

さて。

コンビニの24時間営業を禁止しようという動きが各自治体で広がっているようです。お客のろくにいない深夜まで電気を無駄に使っているということで、環境に悪い存在として槍玉に挙げられているようです。これに対しては業界からは当然大きな反発が出ており、お客の利便性や地域の防犯のために役に立っているのにおかしいじゃないかとか、営業しなくても冷蔵庫などの設備は動かし続けているのだからあんまり意味は無いじゃないか(これは居直りかな?)とか、結構な議論となっております。

役所にすれば、コンビニは夜遅い時間帯にまで煌々と明かりをつけて営業をする、電気消費・二酸化炭素排出の象徴のような存在なわけです。それを営業させませんというのは、地球温暖化防止に貢献していることを示す格好のチャンスであると。ある意味「クールビズ」をはやらせるためにネクタイ業界が悪者にされたのと同じように、今度はコンビニがスケープゴートにされようとしているわけですな。その基準はあくまで、「大衆に向けての『絵ズラとしての』分かりやすさ」です。

ちなみに深夜まで営業しているという意味で言えば、日本中に何10万機とある飲み物の自販機も明かりを煌々とつけておりますが、それは良いのでしょうか。深夜営業している飲食店は?深夜残業している我々サラリーマンは?ちなみに二酸化炭素排出減を先導する環境省の役人たちが、とんでもなく遅い時間まで働いているというのは有名な話です。

二酸化炭素排出減のために、いったい何が効いて、何が意味の無いことなのか、よくよく考えないといけませんよね。最近ふと疑問に思うのは、エコバッグ。キャンペーンのプレゼントとか、有名人のデザインとか、いろんなエコバッグが出回っているけれど、誰が買うのか、誰がきちんと使うのか分からないのにそんなにつくっても、逆に資源の無駄になるんじゃないでしょうか…。少なくともレジ袋って売り物じゃないから、お客さんが使う分に合わせてしか生産していないですよね。

あと、レジ袋は日常のゴミ出しをするときにとても重宝します。もしもレジ袋がダメということになったら、別の袋を使ってゴミ出しをしなくちゃいけないと思うんですよね。それって結局意味が無いような気がしております。愚見ですが。
posted by サイダー at 20:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月25日

祈りたくなるニュース


こんにちは。何を触ってもなんとなく湿っているように感じる嫌な季節。梅雨明けが待ち遠しいですねえ。

上のニュースについて。日本の捕鯨に対するアンチ記事。この記事はAFPというフランスの通信社のものなんですが、世界からは日本の鯨食はこういうふうに見られているというのが良く分かります。解体の写真まで使って、悪い印象を与えようとしているのが見え透いていますね。

さて、気になるニュース二発。

長崎市で実務修習をしている20代男性の司法修習生が、自身の日記をつづったブログに取り調べや刑務所見学、司法解剖の立ち会いの様子や感想など、修習の内容を書き込んでいたことがわかった。修習生を受け入れている長崎地裁は「書き込みが、司法修習生に関する規則が定める守秘義務違反にあたる可能性があり、調査したい」としている。(中略)

書き込みの中には、取り調べの実習の様子を記したものがあった。「はじめて取調べやりました。相手はばあちゃん。途中から説教しまくり。おばあちゃん泣きまくり」「なんで若造がばあちゃんを説教してるのか。なんとなく、権力というか、自分の力じゃない力を背後に感じた」などと被疑者の性別や年齢が明かされていた。

 また、刑務所を見学した際には「工場で作業をしている受刑者たちは、なんだかロボットのよう。何を考え生きているんだろうか」「いま自分が取り調べ中の被疑者は、刑務所出所後5日目に、また犯罪行為に出た人で、この人は刑務所でしかうまく生きていけないんじゃないかと感じた」などと、受刑者や被疑者について触れている。(以上、6月19日asahi.comより抜粋)

司法修習生ですらこんな調子なのだから、裁判員制度の裁判員も、ブログやらメールやらで、審議の様子を世の中にさらしてしまうかもしれません。ネットの情報は基本的にずっと残りますので、被告人の人権が侵害される恐れも大きいのですが、そんなことを言っても今の世の中「犯罪者に肩入れするのか!」で片付けられてしまうのでしょうねえ。

そして、この20代男性の司法修習生が、わしの知人でないことを祈らずにいられません。合掌。

お次。

【ワシントン=USA TODAY(グレッグ・トッポ)】マサチューセッツ州グロースターの女子高校生8人が協定を結んで妊娠したとの報道に地元の教育関係者は「妊娠協定があったとは思えない」と否定的な見方をしている。グロースター教育委員会のグレッグ・ベルガ委員長は「協定は妊娠が分かった後で作り出されたものだという感じがする。2人の仲良しが同時に妊娠したことがきっかけではないか」と話す。この問題が報じられたのはジョセフ・サリバン校長がタイム誌の記者に「8人の生徒が一緒に子供を産んで一緒に育てることで合意していた」と語ったのが発端だった。(以上、6月24日MSN産経ニュースより抜粋)

果たして協定があったのかどうか、詳しいことはわかりませんが、興味深いニュースです。以下は協定があるという前提で書きますが、シングルマザーに対する理解もある程度進んでいるアメリカゆえに、女子も子供を生むということを簡単に捉えているのかね。「子供と自分」という関係性の中から、自己を肯定的に見つめ直したい。そんな動機もあるのかもしれません。そうであるとしたら周囲は何をやっているのだろうかという話になりますが。しかし協定を結ぼうと言い出したやつは神ですな。

いずれにせよ、身ごもった子達が母子ともに健やかに出産できるよう、祈らずにいられません。アーメン。

ちょっと脱力しながら書いてみました。それではまた来世。
posted by サイダー at 20:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

副都心線についての考察


上のニュースについて。「エコ車両」と聞いて「おや」と思いましたが、大したことないじゃん。エネルギー消費を抑えるためにこれまでよりスピードを落として走るって、そういうのって性能としてエコって言えるのかしら。こういう話で容易に「エコ車両」なんて書いてしまうマスコミもどうかと思うのですがね。皆さんどう思われます?

さて、地下鉄の話のあとは…やっぱり地下鉄の話。

6月14日に開業した東京メトロの副都心線。開業前後の模様のニュース報道が大々的に報じられ、シティ情報誌などの雑誌では副都心線沿線特集も組まれるなど、話題性バツグンの滑り出し。

…かと思いきや、初日から列車の運行に遅れが生じ、開業後初の平日となる16日には一部区間運転見合わせや急行の線路に普通列車が進入するなど、とんだスタートとなりました。NHKなんかはすごくて「利用者の期待を裏切った」とスタジオでコメンテーターが言っていました。お前らが言うなよ(笑)

副都心線は、池袋駅で西武池袋線・東武東上線との相互乗り入れを実施しています。異なる三社の列車を行き来させるのですから、オペレーション上の難易度は相当高いでしょう。ましてや一度混乱が起きたときに、相互で連携を取って事態の解決に当たることも、かなりハードルが高いのではないかと予想されます。

けれど、「初めてのことだから」「不慣れだから」では済まされないのも事実でしょう。生活者の気持ちとしては、オペレーションの難易度などは関係なく、「できて当たり前」。特にインフラに対しては、相当要求が厳しく、「絶対」を求めるのが日本人です。ちょっと遅れたり、電車が止まったりするだけでもいらいらする人がいるくらいですからね(わしも人のことは言えませんが…)。

最近では、三菱東京UFJ銀行のATMシステム統合に当たっても、一部不具合が生じ、利用者に迷惑をかけたことでかなり叩かれることになりました。みずほのときもそうでしたね。

企業が何か新しいことを始めるにあたっては、どんなときでも何らかの横槍が入るものであるということを想定し、予め対応を考えておくというのが正解だと思います。日ごろからそういうことができている会社のことを、「リスクに強い会社」というのでしょうね。非常にレアだと思いますが。

ちなみにわしも開業当日、渋谷に行くために副都心線に乗ってみました。新宿三丁目で丸ノ内線から乗り換えてトライ。混雑しているかと思ったら、ホームも車内も意外と空いていました。丸ノ内線との連絡通路は、移動距離が短く、ホームの深さを感じさせず「イイ!」と思いましたが、平日のラッシュ時は、ここが人で埋め尽くされるのだそうで。合掌…。

ホームを最初に見た印象は、「開放感あるなあ」。内装は白を基調として清潔感・開放感あるつくり。地下鉄の「暗い・汚い・狭い」というネガティブイメージに真っ向から挑んでのことでしょう。白い壁がやがて黒っぽく汚れてくると嫌なので、ホームの壁面が汚れにくい素材を利用していることを祈ります。

そして北参道駅の構内には、タイルの壁面アートらしきものも。ちょっとしたおしゃれさを演出していましたね。地下鉄の構内って、もっとアートを取り入れて、パブリックな空間としての価値を向上すべきだと思うんですがねえ。ヨーロッパの地下鉄構内なんて、写真で見たけどものすごくかっこいいんですよね。建物の存在自体がアートみたいになってる。「人が過ごす空間」として地下鉄駅を捉えているからでしょうね。機能もそうですけど、見せ方にすごく工夫があるように思います。

住んでいる場所から渋谷と池袋に行きやすくなるので、個人的には気に入っている副都心線。ぜひ初期トラブルを払拭して、本当の意味で軌道に乗せていってほしいと思います。また最後の路線である副都心線の後も見据えて、東京メトロには既存の駅の価値向上に少しずつ力を入れていってほしいものです。
posted by サイダー at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

有害サイト規制についての考察


上のニュースについて。餃子やらチベットやら地震やらと、散々なことになっている中国ですが、周りからの評価も散々なようです。まあアメリカの民間調査機関のやった調査ですから、当然バイアスはかかっていると思いますがね。

さて。

11日にいわゆる「有害サイト規制法」が成立しました。インターネット上に散らばる青少年に有害な情報を、彼らに見せないようにすることを促進するための法律だそうで。「有害情報」としては、犯罪や自殺を誘引するもの、著しく性欲を刺激するもの、著しく残虐なものが例示されています。その判断を国家が行うことにならないかというところで、憲法上の「表現の自由」に絡む議論がなされています。国家が行う・行わない以前に、誰にそんなことが判断できるのでしょうね。そしてそんな仕組みが本当に回るのでしょうか。

仮にあるサイトが、青少年に有害と指定されたとして、異議を申し立て民事裁判か何かで係争を行っているとする。その間そのサイトはどういう状態になるんでしょうね。営業はできるのかどうか。裁判は一体いつまでかかるのでしょうか。またサイトにフィルターをかけるとすると、インターネット・プロバイダや携帯電話会社に相応の負担を強い続けることになる。有害情報の指定も、事業者団体がカネを出し合って組織を作って行わなければならない。それら諸々の費用負担が、まさかわしらに転嫁されたりはしないですよね。

話はガラッと変わって。わしの住んでいるところの近くに「坊主バー」なる飲み屋があります。その名の通り、お坊さんがマスターをやっているバーなんですがね。こぢんまりとして薄暗い店内には立派な仏壇があるわ、メニューにも「極楽浄土」なんてお酒があるわで、なかなかエッジの立ったお店になっております。

そんな坊主バーの名物が、読経と法話。基本的に営業日は毎日一度、働いているお坊さんたちが仏壇に火を入れ、浄土真宗の経を読み上げる。そしてその後、お客さんから何度もよいのでお題を募集して、そのテーマに関する仏教のありがたいお話を即興で披露するという、「夜の瀬戸内寂聴」的なサービスが行われるのである。坊主バーには何度か足を運んでいるが、この間知人とふらりと立ち寄った時に初めて、その読経と法話を聞くことができた。

その法話が、これまた即興とは思えないほどの内容でとっても面白かったのです。

簡単にあらましをお話いたしますと、まず、お客から与えられたテーマが「バイク」。これを坊さんがどう膨らませたか…

曰く、自分が高校生の頃、通学でバイクに乗ることが認められていた。けれどもある日、学生の一人が事故を起こして死亡してしまったことで状況は一変、高校側は通学時のみならず、プライベートも含めてバイク利用を一切禁止することにした。

これに当然反発するのは学生たち。しかし、彼らは単に「ふざけるな」と吠えるだけではなかった。今禁止されていても、高校を卒業すれば再びバイクに乗ることになる。今バイクに乗れないことは、結局将来不慣れな運転をすることにつながり、逆に危ないのではないだろうか。事故を起こしてしまったが、今後より安全にバイクに向き合っていく方法はないだろうか。そういう議論をした上で、教師の側にぶつかっていったのだという。

今の社会を見渡す。アルコール、薬物、硫化水素、ダガーナイフ…危ないものはそこらへんにごろごろと転がっている。一歩間違えば、人生を失わせてしまいかねないものもある。そういうものの影響は極力防がなければいけない。しかし、だからと言って、「そういう危ないものは一切禁止、見ることも聞くことも触れることも許さない」と、単に上から蓋をしてしまうことが、果たして本当の解決策といえるだろうか。

仏教の世界は「極楽浄土」を信じている。皆が平等に仲良く楽しく暮らせる世界。その考えの大本には、「この世」は決して極楽浄土ではなく、社会も、人々も、そして自分自身も、綺麗なものも汚いものも、全て内包しているものである、という現世観がある。汚い現実から自分を遠ざけることができると仏教では考えない。どこまでも汚く不完全なこの世、どこまでも汚く不完全な自分自身と如何に向き合い、日々を生きていくか。それが仏の教え大事な要素なのである。

高校のバイクの話も、日ごろ取りざたされているさまざまな問題も、あまりにも社会を完璧にしよう、綺麗にしようという意識で、強引に物事が進んでいるような気がする。決して綺麗にはなりえないものに、無理矢理に蓋をしようとしても、どこかにひずみが生じるのではないかと懸念している。

私たちは決して完璧な存在ではないし、汚れた部分を抱えた存在である。けれども、全ての生き物は仏様から「いつかは綺麗な、正しい存在になりなさい」と期待されている存在でもある。そんな期待に可能な限り応えていこうと思い、自分たち仏教徒は、日々自分の行いを振り返り、正しくあろうと心がけているのである。

と、大まかに言うとそんなお話でした。何も読まずに、言葉に詰まることなくこんな話をするものだから、お客は皆感嘆しきり。もちろんわしも。

何が言いたいか。冒頭で取り上げた有害サイト。この国は危ないものを子供の目に触れさせないことで、問題を解決しようとしています。仏の道はともかくとして、まさに「臭いものには蓋」の対応。過度なパターナリズムが、果たして子供たちにとって最良の解決の道となるのでしょうか。これは本当に注目すべき事象です。
posted by サイダー at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

【お知らせ】Charity Agent「Good By Rings」


大変ご無沙汰しております。時間をかけて進めていた仕事がこの間終了し、また文章を書くゆとりが出てきました。長袖を着ていてもつい腕まくりをしてしまうくらいの陽気。と思えば今度は雨が降りだし。自分にとっては嫌な季節の到来です。

上のニュースについて。「数独」が世界でそんなに人気なのかということはさておき、日本の裁判員制度に対して横槍が入りそうな出来事ですね。日本人の性分から言ってもまさかこういうことにはならないだろうとは思いますけど、不安なのは携帯電話ですよね。子供みたいに、「審議中は携帯電話をお切り下さい」と言わなきゃいけないのでしょうかね。

さて。知人が「Charity Agent(チャリティー・エージェント)」という会社をやっております。今回はその会社のサービス紹介をさせてください。

そのサービスの名は「Good By Rings(グッド・バイ・リングス)」といいます。

人生で少なからずある、恋人や配偶者との別れ。彼・彼女が去った後も、自分のもとにはあるものが残っています。そう、「指輪」です。別れる前につけていた指輪を、別れた後にどうするかというのは、ちょっとした悩みのようです。そのままつけるのも気が引ける、売ってしまうのもどうかと思う。そんなわけで結局どこかにしまっておく、なんて人が結構多いようですね。

別れた後も仕方なしにしまいこんでおくのではなくて、前向きに、しかも社会に役立つ形で、指輪ともお別れしよう、そんな趣旨で始められたサービスが、「Good By Rings」であります。

「指輪と前向きにお別れしたい!」と思った方は、指輪をサービス事務局に送付。その際、「自然環境」「動物」「児童」「医療」など、自分が支援したいと感じるテーマも一緒に選択します。事務局は受け取った指輪を金属として換金。必要経費を除いた全額を、サービス利用者の選択したテーマについて活動しているNPOなどの団体に寄付します。

指輪の原材料は主に金属。特にプラチナなどの貴金属は、1グラム3000円以上の価値があるようです。指輪ひとつがだいたい5グラムですので、金属として換算すると、ざっくりと15,000円くらいの価値にはなるということです。資源高騰している時代ですから、指輪とはいえ侮れません。

ちょっと社会に対して良いことをしたなという気持ちになってもらいつつ、前向きに指輪ともお別れできるようにと始められた、この「Good By Rings」。4月にサービスが始まったばかりですが、順調に指輪も集まってきているようで。わしも趣旨に賛同して、ささやかながらこんなブログで応援している次第です。自分がサービスを利用する予定は今のところありませんが(笑)

ホームページも設置されていますので、ご興味あれば、ぜひのぞいてみてくださいね。そして機会があれば、ぜひご利用もご検討くださいね……

http://www.goodbyrings.com/
posted by サイダー at 17:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

観劇評 劇団四季「ライオンキング」


ブランクがあったので立て続けに行きますよ! 上のニュースについて。これは…!!ものすごく乗ってみたいけど、ちょっとでも不具合あったらあの世まで真っ逆さまなんでしょうねえ。いや、面白い。

さて。

連休中にやったことのひとつと言えば劇団四季の「ライオンキング」の観賞。一度見たことがあるのですが、また来てしまいました。以前は一階席からでしたが、今回は二階席から。まあ一階席のほうが、舞台に広さと奥行きが感じられてよかったのかなあという気はするけれど。

劇団四季のライオンキングはかれこれもう10年目になるのだそうで。よくもまあそんなに長くやっているもんです。しかもちゃんと客が入っているからすごいね。そこまで夢中になる理由が分からないけれど、客層が子供同士数人とか、家族連れとか、明らかに演劇における「ディズニー」的な存在になっている。コアなターゲットが明確なので、揺るがないのだと。こういう劇もあるかと思えば、「鹿鳴館」のように中高年向けの渋い芝居もやっちゃうところが、劇団四季の経営センスだね。

有名な劇だし、あらすじを述べるまでもないかもしれんけど、一応。主人公は子ライオンのシンバ。彼の親父が動物たちの暮らすサバンナの王国を治める王である。親父の弟(主人公の叔父さん)は、シンバのせいで自分が王になれないことで不満を持っている。そんな叔父さんの天才的な計略によって、王は死ぬ。しかもシンバには「自分が父を殺した」と思い込ませて、王国から追放することに成功する。

それから数年後。青年となったシンバは追放された先で新しい仲間と悠々自適の暮らしを送っていた。そこにたまたま昔の幼馴染みであった雌ライオンがやってくる。シンバは彼女から、叔父さんが王となっていること、そのせいで王国がぼろぼろになっていることを聞く。最初は自分には関係ないと思っていたシンバだったが、いろいろあって「自分が王になる」という自覚を持つ。彼は速攻で王国に帰り、叔父さんを殺して王位を奪い、雌ライオンを王女に迎え、大団円となる。まあそんな話である。フラットに書くとあんまり面白そうに感じないね(笑)

見るたびに思うのが、役者たちが扮する動物の見事さ。かぶりものだったり、自分が操ったり、いろんなバリエーションのツールを使いながら表現している。彼らが舞台の上で自在に躍動しているのを見ていると、「ああ身体ってこんなふうにも動くのか」という肉体の機能に対する驚きと畏敬の念がこみ上げてきますよ。ライオンにハイエナにゾウにシマウマに…いったいどれほどの種類があるのかは知らないが、道具を作った人たちもすごい。どれだけの時間をかけて、それぞれの道具の形状に落ち着いたのだろうか。

中でも特に感心してしまうのは、悪い叔父さん役のかぶりもの。役者の頭上にはライオンの頭部をかたどった面がついているのだが、この面が身体の動きに合わせて動くのだね。叔父さんがシンバを威嚇しようと前屈みになると、面もぬうっと前に出てきてポーズの威圧感がぐっと増す。身体をまっすぐに戻すと、面も頭の上にすっと収まって涼しげな様子に。これを考えた人はすごいよ。

芝居自体についていうと、少年シンバ役の子役がひどかった。ライオンのラの字も感じさせないなよなよ感を漂わせ、踊りも幼稚園のお遊戯かというレベルであった。その反動なのか知らないが、青年シンバ役の俳優はやたらと声も肉体も良く、キレのある踊りと歌を披露していた。「シンバは王国を追放されてとても立派に育ったんだなあ」ということが伝わってきますね。他の役者はまあ可も無く不可もなく(失礼な…)。

フォローするわけじゃないけど、二回目に見ても十分に楽しめる演劇なんてなかなかないと思いますよ。また見たい、何度見ても飽きないと思わせるような見所や、人気を集めやすいキャラクターを用意するのは、芝居を作る側にとっては至難の業です。わし個人では、他にそういう見方をしているのは「レ・ミゼラブル」くらいじゃなかろうか。そういう意味でもやはり劇団四季はレベルが高いです。ちなみに芝居を見ていて最初に号泣したのが「夢から醒めた夢」でした。高校生のときにテレビ録画で見ただけだったので、久々に見てみたいです。ああ「ウィキッド」も見たいなあ。…と、お金は無いのに欲求だけが積み上がってまいります。いやはや。
posted by サイダー at 01:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 舞台演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

世界各地の災害についての考察



だいぶご無沙汰でございます。今年の連休は比較的過ごしやすかったと思ったら、最近は寒い日が続いておりますね。私も微妙に風邪気味です。みなさんもお気をつけて。

さて、今回は上のニュースがもろにテーマです。

ミャンマーのサイクロンと、中国の大地震で、いったい何人の命が失われたのか。実はミャンマーの方は最近まで知らなかったのですが、なんと30000人超の死者ですか。中国の地震については新聞で「8600人死亡」と出て目を疑いました。今はもう10000人は越えているようで。これって死者の規模で言えば、イラク戦争の全死者を足した数字とほとんど同じですわね。ほんのわずかな時間であっという間に全てを奪ってしまう。いつの時代も災害は恐ろしい。

以前もインド洋沖地震があって、そのときも大変な人数の方が亡くなりました。日本はもちろん東南アジアは地震が大きなリスクですね。そういえばこの間日本でも夜中に大きめな地震がありましたが、あれも何か関係があったのでしょうかね。ちなみに中東は地震がないそうです。ドバイに旅行に行ったときに、とてつもなく高い塔「バージュ・ドバイ」の建設が進められていて、すでに800メートルくらいに達していました。そのときにガイドさんが「ドバイは地震がないので高い建物でも安心」と言っていたのを思い出します。

中国は北京オリンピックとチベット問題に絡めて、国際社会からさまざまな批判を受けていましたが、ここへ来て同情票が集まって潮目が変わるのでしょうか。少なくとも中国包囲網を敷こうとしていたヨーロッパの陣営は、シナリオの大幅な書き換えを迫られそうです。また、中国国内で不買運動をされていたカルフールやケンタッキー、マクドナルドなんかが敢えて中国で復興のための支援をするならば、これはまた複雑な情勢を呼びそうな気もして面白いですね。

そしてミャンマー。なかなか各国の支援を受け入れようとしなかったことで、国連をはじめ多方面からの非難を浴びることになりました。まあ軍事政権の側からすれば、それはある意味当たり前かもしれません。軍事政権にとっては、国内情報は命綱。地理も人口構成も弱った国の様子も全て外部にさらされ、果てはミャンマー軍がどういう活動をしているのか、災害復興の現場で見えちゃうわけですから、当然軍事に関わる情報管理のために外部の目をシャットアウトしておきたいはず。

さらに言えば、外部からの支援が軍政の支援よりも手厚く行われた場合に、国民が軍政に懐かなくなってしまうことも大きな懸念点でしょう。アメリカが既に多額の支援を表明していますが、アメリカにとってはこれが自国の大々々PRチャンスです。人間なんて単純ですからね。今より高い給料をくれる会社があれば、長年世話になった会社を簡単に辞める人がいるくらいです。自分の暮らしが汲々とした状態のときに手を差し伸べてくれる存在があれば、そこになびくのは当然の道理。次々と首都ヤンゴンに運び込まれる救援物資は、ミャンマー国民の心を軍政から離反させる麻薬でもあります。

そういえば戦国時代の名将・毛利元就は、敵対する尼子家が守る難攻不落の名城・月山戸田城を力技ではなく兵糧攻めによって落としました。食糧を補給する道を完全に塞ぐこと数ヶ月。最後の仕上げに城の風上に大釜を何個も並べ、大量のおかゆを作ったのだそうです。風に乗ってやってくるおかゆの匂いに、城の中の兵士たちは役目を忘れ将軍を置き去りにして、城内から雪崩をうって飛び出してきたのだとか。なんとなく、アメリカがミャンマーに対してやろうとしていることに似て見えてくるのですよねえ。

人道支援も所詮は「政治」。毛利元就は戦国時代切っての知将と謳われていますが、日本の外交にも、そのくらいの深慮遠謀があってもいいでしょうね。
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2008年04月30日

マネーの電子化についての考察


だいぶご無沙汰でございます。上のニュースについて。ついにというか、なんというか。胸が痛みます。自分が最後に上野動物園でパンダを見たのはいつだったかなあ…。お客が来てもずっと寝ていたような気がするなあ。なんてことをふと思ってみたり。どうぞ安らかに。

さて。

先日スイカ決済のできるタクシーというものに乗りました。配備されるとは聞いていたものの、実際に乗ったのはそれがはじめてだったので微妙に興奮し、当然のごとくスイカで支払いました。しかし運転手さんもまだ慣れていなかったのか、タッチすれどもエラーが出て、あれこれ操作した後に再度のタッチでどうにか支払われたような音がした。しかし領収証をもらうと、どうもおかしくて、支払うべき金額よりも少なく決済されているんですな。めんどうくさいし、まあ得したのかもしれないので何も言いませんでしたが。

エディやスイカ、ナナコなど、各陣営が勢力の伸張に努めていることもあり、あっという間に暮らしのさまざまな場に普及したかに見える電子マネー。ユーザーにとっても手軽で便利だし、チャージできる金額も比較的小額なので万一の場合でもそこまで大きな被害にはつながらない。

さらにさまざまなインセンティブが働くことも魅力。わしの使っているスイカはオートチャージによって、JR東日本のクレジットカードのポイントが貯まる。それゆえ現金かスイカか、決済手段が選べる場合は、間違いなくスイカを使うと思います。家の近くのコンビニにちょっと買い物に行くときには、財布は持たずにスイカの入ったカード入れだけ持っていくことも多いです。

そんな電子マネーの普及に加えて、ネット銀行の創設や株券の電子化などもあり、金銭的価値がどんどん電子的にやりとりされていく世の中になっております。そんな中にあって、ふと思ったのが、改めての現金の大切さ。スイカにある程度の金額が入っていても、それ自体にあまりありがたみを感じる人はいないと思います。あまりリアリティがないですからね。

お金にリアリティが感じられないということは、結局、支払う・受け取る関係のリアリティが感じられないということにつながる。現金を手渡すことと電子マネーをタッチすることの間には、ものすごくコミュニケーションの隔たりがあるような気がする。

たとえばですけど、お正月のお年玉をあげるというときに、子供が端末を持っていたとして、スイカをかざしてピッとやったのではどうもおかしい。結婚式や葬儀の際の祝儀・不祝儀もそうだと思いますが、手渡すことでのみ成立するコミュニケーションがある。ある種儀礼的な行為に関することですね。仮にこれがお金の手渡しが必要な場面の最上位に位置するとしたとき、今の感覚では真逆に位置するのが、乗り物の料金ということになるのでしょうか。乗り物インフラ運営者と客との間に密な関係性がないために、支払いもあっさり済ませて問題がないパターン。電子マネーの持ち味がフルに生かせる場面ですな。

まあそれら両極の間に、いろいろなお金の支払いにまつわるコミュニケーションがある。これが、今の世の趨勢で、日常の決済手段がどんどん電子化の方向に傾いていってしまうことが、必ずしもよい流れとは思えないんですね。「自分が何かをして得た対価として受け取るお金」という意味において、電子マネーは現金より明らかに劣る。電子マネーの普及は、お金を受け取る側に対して、お金を得ることの意味を感じるコミュニケーション機会を失わせるというデメリットになりはしないか。

相手と対面して、対価たる現金を手渡しされる意味は少なくないと思います。分かりやすいのが給料でしょう。大きい会社では無理かもしれないけど、毎月の給料などは、できれば現金を手渡しで、さらに可能ならば社長から渡されるべきではないでしょうか。そりゃあ口座に振り込む方が手間もかからないのだろうけど、ひとこと労いの声をかけつつ給与袋を手渡すことで、受け取る側の気持ちのあり方はずいぶん違ってくるはず。毎月が無理なら、せめてボーナスの時くらいはやってもよいのでは。大きい企業でこれがやれたら、社員のモチベーション管理がぐっと楽になるのではないかと思います。まあこれは電子マネーとは直接は関係ないけど。

そんなことは言いつつも、やっぱり便利な電子決済。ちなみにわしが個人的に電子マネーを是非導入していただきたいと思っているのが、寺社仏閣などの観光名所。入館料・拝観料を支払って、最初から半券部分の切り取られた入場券を形だけ渡されるのは、正直紙の無駄だと思う。ぜひ電子マネーでピピッと入場できるようにしていただきたい。特に修学旅行シーズンや観光シーズンで混み合う時には、スムーズな入場にもつながってストレスも感じずに済みますしね。

とまあ、今回はこんなかんじです。それではまた。よい連休をお過ごしください。
posted by サイダー at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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